「兄上は、後悔なさらないのですか」
「ああ、しない」
白蓮の問いに、白雄は迷う様子など微塵も見せずに答えた。
その腕の中には赤子が抱かれている。久しく姿を見ていない妹が、兄との間にもうけたらしいその子は、今は安らかに眠っている。生まれてすぐに離宮から連れ出されたこの子は、もう二度と離宮には戻らないのだろう、と白蓮は予感した。白雄との間に子供が生まれたと聞いて祝いの言葉を述べに来た白蓮だが、どうしてもそれだけは聞かずにいられなかった。
白蓮は、正直なところ白瑛や白龍のようにをあそこから連れ出そうとするべきか否か決めかねていた。白雄が狂っているというには、あまりにその狂気が穏やかすぎたせいもある。軟禁はいささか行き過ぎてはいるが、そもそも後宮に入った女性は夫や侍女たち以外との関わりは持たないものである。兄がに抱く愛情の深さは白蓮もよく知っていたし、何よりの資質とそれを狙う玉艶や組織の存在を考えれば、は強者の庇護なくしてはまっとうに生きてはいけない。そしてこの煌においてその一番の適任は白雄であるに違いなかった。
「……は、健やかにすごしていますか。産後の経過は?」
「初産の割には良好な方だと産婆が言っていた。少し体調を崩していたが、数日もすれば良くなるそうだ」
「そうですか……によろしく言っておいてください」
「わかった。ところで白蓮」
いろいろと、聞きたいことも言いたいこともあったが、白雄とが幸せであるならば、と口を閉ざした白蓮の葛藤を見透かしたように、白雄は問う。
「お前は、に会いたいとは言わないのか」
「……会いたいと言ったとして、兄上はそれをお許しになるのですか?」
「いや、会わせはしないが。お前も白瑛たちのように、俺のしていることは間違っていると思っているのか気になってな」
赤子を乳母と思しき女性に預け、部屋から下がらせた白雄は言う。白蓮はそれにどう答えるべきか逡巡した。
「俺には正直、その正誤を判ずることができかねます。が兄上を慕っているのならそれで良いのではとも思いますし……ただ、の意思が見えないことは気にかかります」
「意思を折ってでも守ろうとするのはおかしいと思うのか?」
「……本当は、の思うように生きさせるのがいいのでは、と思うのは確かです。けれど、兄上が仰ることも解ってしまう。生死にすら関わりかねない問題で、の意思を尊重した結果が傷付くとしたら、俺もきっとの意思を折るでしょう」
ぐっと、白蓮は拳を強く握る。もともとこういったことに思考を巡らすのは得意ではないのだ。けれど、弟妹の言うことも、兄の言うことも、どちらも正しくて、どちらも理解できてしまう白蓮には、もうどうしようもなかった。
「いずれにせよ、が兄上の妃で、こうして姫宮とはいえ子までもうけたのは変えられない事実です。少なくとも、もうを俺たちの一存でどうこうしようなどとは……言えません」
「そうだな。お前がそう思い至ってくれて良かった」
結局白雄は白蓮の意思が自身のそれに近いことを確認したかっただけのようだった。
その答えを予測していたかのように涼しい顔で淡々と白蓮の葛藤を肯定する白雄に、白蓮は再度問いを投げかける。
「兄上、は幸せですか。俺は、が幸せだと、信じても良いですか」
白龍や白瑛はが可哀想だと言う。あんなものを幸せとは呼べないと言う。
白蓮はそれを認めてしまうのが怖かった。例え傷付くことがあったとしても、の幸せとはの意思の先にあるものだと、認めてしまえばもうやり直せない事実だけが後には残る。白蓮だって、白雄のしていることは正しいのだと、可愛い妹を守ろうとするのは間違いではないと信じたかった。
「は幸せだ。俺がを幸せにする。それを違えることはないから安心しろ、白蓮」
それを肯定するように即答する白雄に、白蓮は安堵と少しの不安を覚えた。
兄の狂いの形は美しい。けれど。
「……後悔しないのか、と聞いたな。俺がひとつだけ後悔を強いて挙げるとするなら、」
もう長いこと白蓮はに会っていない。白雄の言葉を信じるなら、は笑っているはずなのだ。
「もっと早く、こうしていればよかったと思うことだけだ」
それがのためだと、信じる白雄を信じるには、妹の影はあまりにも遠すぎた。
150601