ぽつぽつと降りしきる雨の中、厳かに姫宮の葬儀は行われた。
嫉妬に狂った側室の蛮行。その罪を負った一人の側室と、手引きをしたとされる一人の女官が今朝ひっそりと処刑された。白雄は無表情で小さな棺を見下ろし、白蓮は眉間に皺を寄せている。白瑛は目元に涙を滲ませ、白龍は唇を噛み締めていた。
はこの場にいない。表向きは、側室の凶行に巻き込まれ怪我を負ったため療養中であるとされている。元々、起き上がることもままならないほど体が弱いとされているだ。怪我と目の前で我が子を失った心労で葬儀を欠席したところで、訝しむ者はいなかった。
ひとり真実を抱えた白龍は、表情の読めない長兄をぐっと睨みつける。白雄が、姫宮を殺したに違いなかった。けれど、最愛の妹にばかり寵愛を向けて他の側室をほとんど顧みることのなかった白雄のために、嫉妬に狂った側室がいたことも、その側室の縁者が離宮の女官にいたことも事実で。二人とももう既に首を落とされており、死人は語る口を持たない。白龍はの子供が殺されたところを目にしたわけではなく、は精神を病み離宮に閉じ込められ、白雄が本当のことを言うはずもない。
何よりも、は煌の安寧を望んでいた。白雄と、寄り添って生きることを望んでいた。稀代の皇帝に対する不信を招くのは、の望みではない。愛した妹は、長兄に壊された。哀れな妹の最後の望みを、支えに白龍は生きるしかなかった。
「、ただいま」
「雄兄様……」
「ああ、まだ辛いんだろう。無理に起き上がらなくていい」
戻ってきた白雄を迎えようとして身を起こしたが、痛みに顔を歪める。それに心配そうに眉を寄せて、白雄はが起き上がるのを制止した。白雄の上着に包まれた白い肌を見下ろして、白雄はうっそりと微笑む。
「まだ湯浴みは無理そうだな」
「……ごめんなさい……」
「いい、俺が無理をさせたせいだ」
朝にお湯で濡らした布で体を拭いてやったが、もう一度拭いてやった方が良いだろう、と白雄は女官を呼んで湯と布を用意させる。手ずから布を絞って甲斐甲斐しくの体を拭いていく白雄の手付きはどこまでも優しく、慈しみに満ち溢れていた。
「雄兄様……」
「うん?」
「雄兄様、」
泣きそうな顔で、が白雄の名前を呼ぶ。縋るような、乞い願うような声。はっきりと言わないを疎むこともなく、白雄は優しくその髪を梳いた。白い肌に残る鬱血痕に指を滑らせれば、ぴくんとの体が跳ねる。
「ゆうにいさま」
まるでそれ以外の言葉を忘れてしまったかのように繰り返し白雄の名を呼ぶに、愛おしいことだと白雄はの体をそっと抱き寄せる。腰に響かないように慎重に膝の上に矮躯を抱き上げれば、が甘えるように白雄の胸にもたれかかった。
「可愛いな、」
白雄の腕の中で、白雄の衣に包まれて、白雄の名前を呼んで縋る可愛い可愛い妹。その瞳が昏い絶望に閉ざされていることなど、今の白雄にとっては瑣末なことだった。きっとまた、白雄の愛情を受け入れて、愛らしい顔で笑ってくれる日が来るに違いない。恐怖による制圧と、それを恐れた逃避の繰り返しであることから目を背けて、白雄は華奢な脆い体に絡みつくように抱き着いた。腕の中でぴくっと揺れたに言い聞かせるように、その耳をやんわりと食む。
「そう、いい子にしていてくれ、。そうすればお前は幸せでいられるから。俺が幸せにしてあげるから」
「雄、兄様」
「可愛い小さな、俺の愛しい、お前のためなんだ」
のためだと繰り返すそれは、もしかしたら自身に言い聞かせるためのものでもあるのかもしれない。きっと白雄以外の誰も、でさえも、白雄が願うの幸せは理解出来ない。世界、運命、そんなものに最愛の妹を明け渡したくなくて、の何もかもを壊し尽くして奪って籠に押し込めて。白雄が守らなければいけない。の幸せを守れるのは自分だけだと、白雄だけは疑うわけにはいかない。
脚が外に駆けるなら、その脚を折ろう。
翼が外に翔けるなら、その翼をもぎ取ろう。
心が外を求めるなら、その心を砕こう。
矛盾している、幸せを願いながらも傷付けるのはのためだとのたまって。それでも手放せない。愛しているから、自分の手の内で幸せでいて欲しい。
「、どこにも行かないでくれ。俺を置いて、どこかへ行こうなどと、思わないでくれ。愛している、。俺の妃でいてくれ、花の指輪も花冠も朽ちてしまっても、ずっとずっと。お前を繋ぐ鎖が腐り落ちても、自分の意思で俺の傍にいてくれ、。幼い約束に縋る俺を、愛してくれ。俺がいいと、また言ってくれ」
「……白雄お兄様」
「、愛していると、言ってくれないか」
口調は懇願そのものであるのに、傲慢な愛欲に濡れた瞳でを見下ろす白雄。その藍色の輪郭を僅かに歪めて、は応えた。
「愛してます、雄兄様」
「俺も愛している、」
そっと口付けた小さな唇が、もごもごと動く。何か言いたいのかと白雄が唇を離せば、はこてんと小首を傾げて問うた。
「雄兄様、愛とは何でしょうか」
問われた言葉に、白雄は優しく笑う。
「愛とはこの世の何よりも美しくて尊くて、おぞましく醜悪で、誰もが求めずにはいられない、哀しくて愛しい心のことだよ」
「……?」
「俺がから何もかもを奪いたくて、にすべてを与えたいと願う気持ちだ」
白雄の答えに首を傾げたに目を細めて、形の良い小さな頭をそっと撫で回す。ぽっかりと空いた闇よりもなお空虚な瞳で、は再び問うた。
「私が雄兄様に幸せでいてほしいと思う気持ちは、愛ですか?」
「っ、」
溢れ出るあまりの愛おしさに、白雄は思わず手加減も忘れてを抱き締める。
「ああ、、それは愛だ」
そう言えば、安心したようにが目を細める。笑ったようにも見えたそれが愛おしくて、強く強く抱き締めれば、軋んだ体にの顔が歪んだ。まるでそれが泣いているように思えて、白雄はの顔から目を逸らすように、その白い肩に顔を埋めた。
150918