「ともだち……」
 本の頁を捲って呟いたに、その頭をゆるゆると撫でていた白雄は目を瞬いた。
「どうした、?」
 慈しみに溢れた声音で、膝の上のに尋ねる。は数度本の上の友達という単語をなぞっていたが、白雄を振り向いて首を傾げた。
「雄兄様、友達とは何ですか?」
「お互いを理解し合える、親しい人間のことだよ」
「私と雄兄様は友達ですか?」
「いや、俺たちは兄妹で夫婦だから少し違うな。基本的に家族の情とは違ったものなんだ、友情は」
「……? では、女官の人たちは?」
「あれらも違う。あれはお前の付き人で、多少理解はあるかもしれないが親しくはないだろう」
「……私に、友達はいないのですか」
 白雄と女官以外に知る人間のいないはしゅんと肩を落とす。
「友達が欲しいのか、
 目を細めた白雄の問いに、はこくんと頷く。喉の奥をくっと鳴らして、白雄はの開いていた本を閉じさせた。
「お前には必要の無い存在だ、友達など」
 この本は別のものと取り替えておこう、と白雄はそれを寝台の脇の机に置く。本を取られて手持ち無沙汰になったを、そっと自らの腕の中に抱き込んだ。
「あまり俺を妬かせてくれるな、
 抱き締めたの耳朶を食み、上がった声の甘さに満足げに目を細めた白雄。愛らしい妹をそっと寝台の上に押し倒して、その胸元に手を伸ばした。

「鳥……」
 白雄がいない時間の大半を庭で過ごしているは、地面に落ちている鳥を見て痛ましげに瞼を震わせた。ぴーぴーと哀れに鳴く小鳥は翼に怪我を負っていて、このままでは飛べないだろうとはその鳥に手を伸ばす。
「もう、大丈夫ですよ」
 魔法でその怪我を癒したは、その青い小鳥が飛び立って逃げないことに首を傾げる。動物には好かれやすいだが、手負いの動物は基本的に人から逃げようとするか、襲うものだと知っている。けれどそのどちらもせず、ぴい、と鳴いて感謝するように、伸ばしたままのの手に擦り寄った小鳥に、は頬を緩めて微笑んだ。

 それから毎日、が庭に出るとその小鳥はの元へとやって来て、ぴい、との肩に止まりその頬に擦り寄ってきた。愛らしいぬくもりに目を細めるは、穏やかな時間をその小鳥と一緒に過ごすことに安らぎを感じていた。
お花が綺麗ですね、この草には薬効があるんですよ、そんな言葉にいちいちぴい、と鳴く小鳥がまるで返事をしているようで楽しくて。瑠璃色の翼はが触れると嬉しそうにパタパタと揺れる。その色の涼やかさに反して温かく、人懐っこい美しい小鳥がは大好きだった。
「雄兄様は、素敵な人なんですよ」
 指先へと飛び移った小鳥に、は微笑む。小鳥の周りにいるルフがきらきらと輝くのが、まるでの話に好奇心を示しているように思えては嬉しくなった。
「私のお兄様で、夫で、この国の皇帝なんです。私は雄兄様が皇帝のお仕事をなさっているところを見たことがないのですが……きっととてもいい王さまなんです」
 どうして? と言うように首を傾げた小鳥を、そっと指先で撫でる。
「雄兄様は、とても優しい人なんです。強くて、凛々しくて、頭が良くて、何でもできて、すごい人なんです。だからきっとすごくいい皇帝なんです」
 そうかもしれないね、とでも言いたげにぴー、とやる気のない返事をする小鳥に、はクスクスと笑う。
「雄兄様は何でも知っているんですよ。私が知らないことを聞けば何でも教えてくれます……ねえ、小鳥さん」
 数日前の白雄とのやり取りを思い出して、は声をひそめる。この庭には他に誰もいなかったが、は内緒話をするようにぎゅっと眉間に皺を寄せてみせた。
「私とお友達になってくださいませんか? 私、お友達が欲しくて」
 本に描かれていた友達は、にきらきらとした羨望を抱かせた。きっかけとなった本はどこかへ行ってしまったけれど、友達と語らうのは楽しそうで、困った時には助け合い、支え合うその関係には憧れを持っていた。白雄は落ち着いた人だし何より皇帝なので多忙であるし、女官はが話しかけると困ったような笑みを浮かべてしまう。気兼ね無く和気藹々と話せる存在が欲しかった。小鳥は言葉を話せないが、それでもの言うことを理解してぴいぴいと返事をくれる。庭に出てくる度に降りてきてくれるのは、それなりにを好いていてくれるからだろう。
は幼い心ゆえの無邪気さで、大真面目な顔をして小鳥に頼んでいた。
「お願いします小鳥さん、私とお友達になってください」
 の言葉にぴい、と鳴いた小鳥に、は目を輝かせる。それを肯定だと受け取ったは、破顔して小鳥に頬をすり寄せた。
「ありがとうございます、嬉しいです、小鳥さん、あなたは私のはじめてのお友達です」
 ぴいぴいと小鳥が鳴く。嬉しそうな鳴き声とルフに、はあどけない笑みを浮かべた。

「お友達とは何をするものなのでしょう……」
 友達がほしかったものの、それがどんなものがよくわかっていなかったはたくさんの本を前に首を傾げる。に友達は要らないと言った白雄に聞くことはできないし、頼りになるのは本だけだ。ふと、本の中の一節がの目に留まる。
「贈り物、」
 友人に贈り物をする主人公。友情の証だというそれに友人は喜んでいた。友情の証に贈り物。ぱっと閃いたは裁縫に使う箱を引っ張り出して中をがさごそと探る。
「…………」
 その様子を部屋の入り口で白雄がじっと見ていたことに、が気付くことはなかった。

「小鳥さん、喜んでくれるでしょうか」
 足早に庭へと急ぐの足音が、とたとたと響く。その手には細い青色の飾り布が握られていた。美しい翼や温かい羽毛と同じその色を、脚かどこかに邪魔にならないように結んであげよう、とは頬を緩めて庭へと踏み出すが。
「……?」
 いつもはすぐに飛んでくる小鳥の姿が見えないことに、は首を傾げる。
「小鳥さん……?」
 が呼んでも、ぴい、と答える愛らしい鳴き声は無い。青色を探して庭をきょろきょろと見渡すの視界に、庭の片隅、地面の上に散った青色の羽根や赤い血が映って、は顔を青ざめさせてそちらへと駆け寄った。
「あなたはまた怪我を、して……」
 治すための魔法をかけようとしたの言葉が、不自然に途切れる。地面の上で、美しく温かかった小鳥は無惨に死んでいた。その首は引きちぎられていて、翼ももがれてしまっている。流れ出した血はすっかり乾き切っていて、くすんでしまった青色を血が汚していた。
ひらりと、飾り布がの手をすり抜けて落ちる。無惨な小鳥の死に様に思わず取り落としたそれを拾い上げたのは、の小さな手ではなく。
「どうしたんだ、。こんなものを見ていてはお前の体に障るぞ」
「雄兄様、」
「猫か何かに襲われたのか、可哀想に。すぐに片付けさせよう」
 飾り布を拾い上げた大きな手が、そっとの肩を抱く。優しい声で語りかけつつも中に戻ることを促す白雄を、は呆然と見上げた。
「雄兄様……」
「うん?」
「この子、私のお友達だったんです」
「……そうか、残念だったな」
 慈しむようにの頬を撫でる白雄が、こつんとその額に自らの額を合わせる。ぽろりと泣き出したを抱え上げて、白雄はその大きな藍色の縁に口づけを落とした。

「怖っ、怖あっ!!」
「どうしたんですか、シン」
 その数時間前のシンドリアでは、シンドバッドが突然椅子の上で飛び上がりジャーファルの胡乱な視線に晒されていた。
「いや何、白龍くんが言っていた妹さんのことを調べていたんだがな」
「皇帝に囲われているという皇后の?」
「そう、あまりに警備が厳しいから諜報員は近付けないと思ってな、ゼパルを使っていたんだが」
「ああ、あのやらしい金属器」
「お前主の金属器をやらしいとか言うなよ」
 うっかり大きな鳥に襲われて落ちたのは誤算だったが、おかげで本来は距離を置いて観察するつもりだった心優しい皇后に近付くことができた。国の中枢にいるのに何も知らないから煌の情報は聞き出せなかったが、そもそもシンドバッドの目的は白龍と約束しているの身柄の確保を進めることだ。白龍と白瑛の協力を得た機会は失敗し、煌は余計なことをするなと裏で釘を刺してきたが、金属器使いの一人と人間魔力炉、しかも両方皇族である人間を引き込む機会をそう簡単に手放すシンドバッドではない。小鳥に友達になってほしいと頼むような年齢に見合わない幼さを見せるを哀れだとは思ったが、それでも優しく無邪気で愛らしいを歪んだ箱庭から救ってやりたいと思ったのはシンドバッドも同じで。
「あそこの皇帝本当に怖いな」
「やられましたか?」
「ああ、しかも気付かれてた」
 真夜中にガシッといきなり鷲掴みにされ、暴れる間もなく翼をもがれた。そうして胴体と首を掴み、いやにゆっくりとミチミチと力を込めて。
 『俺の可愛いに友達なんて要らないんだ、シンドバッド。ましてやお前が相手ではな』
 ひどく冷たい声でそう言い捨てたかと思うと、何の躊躇も無く鳥の首を捻じ切った。
「話には聞いていたが……妹君は本当に異常なまでに執着されているな……」
「大丈夫なんですか? 気付かれたのなら、手を引いた方が良いのでは」
「いや、できる限りのことはしてみよう」
 鳥を通して見た白雄の冷たい目を思い出す。狂気を孕んでなおさえざえと怜悧な輝きを放っていた。冷静に物事を考える人間の行動原理そのものが破綻しているというのはひどくタチが悪い。目的のために手段を選ばないのはシンドバッドも同じだが、白雄のそれは目的そのものが狂っているせいで生み出す被害が尋常ではない。おまけにそれをしれっと処理してしまえるだけの能力があるのだからなおのこと悪かった。
「慎重に動いてくださいよ、シン」
「ああ、今回のことで身にしみた」
 あれが鳥ではなくシンドバッド本人でも白雄は躊躇無く首を落としていただろう。シンドバッドはため息を吐いて、椅子の背もたれにずるずると寄りかかった。
 
151020
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