「父上」
 くりくりとした大きな瞳で見上げてくる息子に、白雄は目を細めて答えた。
「どうした、何かあったのか」
「僕の母上は、どちらにいらっしゃるのですか?」
「……お前の知らないところだよ」
「僕は母上にお会いすることができないのですか? 父上は毎日お会いしているんですよね? 僕も母上にお会いしたいです」
 無邪気な笑顔が憎らしい。自分たちと瓜二つの顔をした子供は、王としての優れた資質に恵まれた、武術の腕前や人格、頭の良さ、どれをとっても申し分のない息子だ。けれど白雄は父親としての愛情を惜しみなく息子に注ぎながらも、同時に息子がひどく妬ましくて仕方なかった。
の胎から産み落とされた、の命を削りながら生まれてきた、から血を分けられた存在。その彼に白雄はおぞましいほどの嫉妬を抱えていた。娘が生まれた時も嫉妬したが、これほどではなかった。娘はどちらかと言えば白雄似だったが、息子の顔立ちが似であることがその一因かもしれない。白雄ともよく似ているが、と息子はまさに瓜二つと言うような容姿で、まるで白雄よりもに近いのだと思わせられる。そのくせ中身はむしろ白雄に似ているのだから、にそういう感情を抱く可能性があるかもしれないと白雄は警戒していた。
だから母親の存在など教えずに育ててきたが、やはり聡い子供であるから、死んだわけでもないのに会うことの叶わない母親というものに疑問を抱いたらしく、最近よくこうして白雄に母親のことを問いに来る。の名前さえ知らない息子を、不憫だとは思わなかった。
「お前の母上はとても体が弱いんだ。その上繊細だから、精神に負担がかかると体に変調をきたしやすい。だからなるべく人に会わせないように静養させているんだ。残念ながらお前も例外ではないよ」

 が時々、何かを探すようにきょろきょろとすることがあった。いるはずの誰かを、知らないはずの誰かの影を追って、その藍色が動く。知っていたはずの兄や姉、娘の姿を探しているのかと思ったが、それは息子をもうけてから一層頻繁になった。白雄によって心を壊され、白雄以外の何もかもを忘れたままでも、無意識に根付いたものがあるのだろう。
、何を探しているんだ?」
「雄兄様……わからないんです、でも、何故だかひどく……」
 さびしくて。その声は音にせずぽつりと口の動きだけで呟いたの視線が、床に落ちる。
 『母上のお体に障るようなことはしません!
ほんの少しでいいんです、母上にお会いしたいです、父上』
 必死に言い募る我が子に、罪悪感がなかったといえば嘘になる。記憶は埋もれていようとも、腹を痛めて産んだ子の存在の欠落を感じ取って物思いに沈むの姿は痛ましい。の目の前で二人の血を引く娘を殺したことを後悔はしていないが、それでも彼が壊したの心に巣食う寂しさや悲しさは、白雄のそれが生んだものだ。の抱える寂寥は、きっと白雄が埋めてしまえるのだろう。溶けるほどに愛に沈めて、胸から溢れ出るほどに睦言を囁いて、記憶の齟齬ごと壊すほどに抱いてしまえば、はおそらくそれで欠けた何かを忘れることができる。けれど、それでいいと囲い込んでしまうには、最愛の妹の表情はあまりにも哀しそうだったから。
「……息子に、会ってみるか?」
 白雄自身が閉ざした世界に、自らの手で亀裂を入れることも躊躇わないほどには、とどのつまり白雄はに甘かった。

「母上……!」
 抑えきれない喜びの色を満面にたたえて、息子がに駆け寄るのを、白雄はの隣で見守っていた。
「あ……」
 ぽすっと勢いを殺してに抱き着いた小さな体に、は戸惑いながらもそっと細い腕を回す。父とは違う柔らかな体に抱き締められて、息子の顔が綻んだ。それを見た白雄の胸の奥に黒い澱のようなちらちらとした嫉妬の感情が沈殿するが、それに気付かない振りをする。
「この子の、名前は……?」
 不安げに見上げてくるの耳元で、その答えを囁いてやる。繰り返し噛み締めるようにその名前を口にしたに、息子のあどけない瞳がきらきらと光を反射してきらめいた。
「母上は、とてもお美しい方ですね!」
「……ありがとう、ございます。あなたは……大きくなりましたね……?」
「はい! 僕ははやく父上と並べるくらい大きくなるんです!」
 突然に息子の存在を知らされ驚愕し、忘れ果てていた息子と会っても『あなたなんか母親じゃない』と拒絶されるのでは、と怯えていたは、それでも欠けていた心の奥で求めるものがあったのだろう、息子に会いたいと躊躇いながらも白雄に願った。きらきらと無垢な輝きを宿すの瞳に早くも息子に会うかと聞いたことを後悔した白雄だったが、その気持ちは息子を抱き締めてやわらかな笑顔を浮かべるの表情を目にしてどんどん膨らんでいく。
「母上、僕はあなたを守れるくらい強くなってみせます! そうしたらきっと、母上はここから出られますよね!」
「……?」
「やめないか」
「だって、母上は、」
「やめろと言っている」
 に「ここから出る」という言葉は禁句であるとあれほど言ったのに、と白雄はため息を吐く。心の奥底に刻み付けられた恐怖によってかたかたと小刻みに震え出した体を息子から引き剥がし、息子に出て行けと命じる。
「ですが、父上……!」
「母上の体に障ることはしないという約束を破ったのはお前だ。具合が良くなったらまたいつか会う機会を与えてやるから、今日は帰りなさい」
「……っ、」
「聞こえなかったのか、帰りなさい。お前がいるだけでこの細い体にどれだけの負担がかかると思っている」
「……ごめんなさい、母上……でも、またいつかお会いしに来ます……!」
「ご、めんなさい……また、会いましょうね……?」
 恐怖にぐらぐらと揺れる意識と視界の中で、それでも今日会ったばかりの我が子のために必死に笑顔を作ってみせるの姿に、白雄の胸の中でどろりと生暖かく醜い、粘度の高い感情が溶け出していく。汚臭を放ちながらあちこちに巣食っていくその感情が、の柔らかな体に白雄の骨張った長い指を食い込ませた。
「やはり、会わせなければよかったな」
 我が子の背中が目で追えなくなるほど遠ざかったのを確認してから、白雄はに囁く。白雄が刻み付けた恐怖で震える体は、白雄が許しを与えるように繰り返しその背を撫でることで一応落ち着いてはいた。不安げに見上げてくるをきつく強く抱き締めて、白雄はその脆い体に縋りつく。
「雄兄様……?」
「俺はあれに嫉妬しているんだ、
 藍色の瞳は、白雄の青より少し色が濃い。息子の瞳も藍色だったと気付いて余計に腹立たしくなり、白雄はずるずるとしゃがみ込んで薄い腹に頭を埋めた。
「お前はあれに会った時に俺の知らない顔をした。母親の顔だ、俺はあんな表情を見たことがない。お前の母性というものは、今はあれのために存在するのだろう、俺のためのものでない感情がお前の中に存在するというだけで腹立たしいのに」
 戸惑いに震えた小さな体を、逃がすまいと背に回した腕にぎりぎりと力を込めた。
「この腹の中で、お前の血肉からひとつひとつ細胞を与えられて体を得て、俺が決して目にすることのない景色を十月余りも見て命を得たんだろう。俺がお前の腹を割いたとしても得られるものはお前の死と痛みだけなのに、あれがお前から生を得たことが妬ましくて仕方が無い。何もかもがお前に似た姿を見る度に、会ったこともない母親に俺よりも近いのではないだろうかと錯覚させられて腹立たしかった。お前が血を分けて産んだ存在が、お前とは別の人間だから余計だ。俺との間にもうけた子がお前との愛の証だとは思えない、俺はあれを息子として愛してはいるが、俺からお前を奪いかねないと思えばひどく憎らしいんだ」
 躊躇いがちに白雄に手を伸ばしたの手を捕らえて、その掌に口付ける。嫉妬や憎しみを語っているのにひどく乾いた淡々とした口調が、かえってそのどろりとした黒い感情のおぞましさを浮き彫りにしていた。
「お前が寂しいのなら、と思って会わせたが……やはり無理だ。俺以外の人間に笑いかけるお前を見ると、相手の目を抉ってしまいたいほど苛立つ。、すまない、俺のために寂しいままでいてくれないか、俺の存在だけでその寂しさをも埋めてくれないか」
「……はい、雄兄様。私は大丈夫です、雄兄様がいてくれるだけで十分です。私のわがままを叶えてくださって、あの子に会わせてくれて、ありがとうございます」
 懇願めいた驕傲な願いに、けれどは微笑んで頷いた。その眉は下がっていたが、瞳に白雄を責める色は欠片もなく、白雄はそれに安堵しての柔らかい小さな体をぎゅっとかき抱く。
には俺だけがいればいい、そうだな」
「……はい」
 一拍の間にが何を思ったのか、白雄は知らない。けれど何を思っていようと最終的にその口から出た答えに白雄は満足して立ち上がる。見下ろした体はやはり可哀想なほど小さくて、白雄は壊れものを扱うようにそっとを抱き上げた。
、愛してる」
「私も、雄兄様が大好きです」
 白雄ひとりの愛情で押し潰されそうに軋んでいる矮躯に、これ以上誰かの感情は要らない。そういえば息子はに抱き着いていた、と思い出して白雄は息子の腕が回ったの腰回りを撫でた。
、今日のことは夢だと思って忘れてしまえ。お前には息子なんていなかった、それでいいな」
 頷いた丸い頭を撫でて、白雄はため息を吐く。もう二度とのためでもこんな気紛れは起こすまいと、自分の嫉妬深さに呆れて、自身を嘲笑うようにふっと口角を持ち上げて白雄は笑った。
 
150911
ネタ提供:知らないシリーズで、白雄が生まれてきた子供(男)に嫉妬する。
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