「アラジンさん!」
 ジュダルに殴られたアラジンに、が真っ青な顔で駆け寄る。モルジアナとアリババに庇われたアラジンを治癒魔法で癒すを見て、ジュダルは目を瞠った。
「お前……!?」
 ふら、とよろめくように手を伸ばしたジュダル。彼にしては珍しい、まるで縋るかのような色すら孕んだ瞳に意表を突かれて呆気に取られたシンドバッドだったが、ジュダルが伸ばした手がに向かうのを見てハッとして声を上げた。
くん!」
「!?」
 しかし、ジュダルがの腕を掴む方が早く、ぐいっと引っ張られて振り向かされたの顎をもう片方の手でジュダルが掴む。アラジン同様にも危害を加える気でいるのかと危惧し引き剥がそうとするアリババやモルジアナたちだったが、ジュダルとの周りに現れた球状の壁に阻まれた。けれど周囲の予想に反し、ジュダルは至近距離からただの顔を見下ろしてジロジロと観察する。戸惑い怯えるの瞳をじいっと覗き込んで、はあっと感嘆とも取れるような音の溜息を吐いた。
「マジかよ……白龍が正しかったってわけか……」
「あ、の……?」
「ジュダル、一体何を? 彼女は……」
「どういうことだよシンドバッド? 死んだはずのうちのオヒメサマが、なんでこんなとこにいるんだよ?」
「何……!?」
 ジュダルの言葉に、周囲の人間は皆驚愕と困惑に表情を変える。ジュダルが自国の姫だと言った言葉通りに考えるのなら、は。
くんが、煌帝国の姫君……!? 彼女は幼少の頃からこの国にいたと……」
「あの、私が死んだはずって、あなたの国のって、どういうこと、ですか……!? あなたは、私のことを知っているんですか……!?」
「あ? 俺のことわかんねーのかよ妹ちゃん、あんなに仲良くしてやったのによお……まさか自分が煌帝国の第二皇女ってことまで忘れてんのか?」
「皇女……? 煌、帝国……!?」
「ああ、今はお前の親父が皇帝じゃねーから第二皇女じゃねーのか。にしても冗談きついぜ、本気で何も覚えてないとか言うなよ?」
「……うそ、そんな、私、」
 ジュダルの紅い瞳から目を逸らし、は呆然と呟く。遠い記憶の水底、朧げに覚えている暖かい記憶。そこが、今バルバッドを経済的に追い込んでいる煌だったなんて。アリババを、カシムを、マリアムを、の大切な人たちを苦しめている煌が、自分の祖国で。その上、自分がそこの皇族だと目の前の青年は言う。アラジンを殴った青年は、自分と親しかったのだと言う。ふらりとよろめいたの体を支えて「軽っ」と呟いたジュダルは球状の壁を解き、その肩をシンドバッドが掴んだ。
「待てジュダル、一から説明しろ。くんを皇女だと断ずる理由は何だ、死んだはずの皇女とはどういうことだ? 彼女にはバルバッドに来る前の記憶が無い、くんが本当にお前の知る人間であるにしろ、彼女はお前のことを知らないんだ」
「ハァ? マジで何にも覚えてねーのかよ?」
 呆れたように腕の中のを見下ろしたジュダルは、シンドバッドを含む周囲からの視線に気付いて面倒くさそうに舌打ちをした。アリババやアラジン、モルジアナは強い視線でジュダルを見据えている。強い光を瞳に宿したアリババは、の細い手首を掴んでぎゅっと握り締めた。
「……は、十年くらい前にバルバッドのスラムの外れに倒れてたところを俺と俺のおふくろが見つけた。その時には服もボロボロで、あちこち怪我だらけで……目覚めた時には自分の名前以外の何もかもを忘れてて、話すことさえできない有様だったんだ。唯一持ってた本からは、身元もわからなくて……が煌帝国のお姫様だったってんなら、どうしてはあんな目に遭わなきゃならなかったんだ?」
「…………」
「ジュダル、知ってることがあるなら話してくれないか。くんのためにも」
「……ったく、めんどくせーな」
 ガリガリと頭をかいたジュダルが、を見下ろして溜め息を吐く。アリババの方は一切見もせずに、シンドバッドに向かって口を開いた。
「こいつは煌帝国初代皇帝練白徳の第五子、元第二皇女の練だよ。十年と少し前に洛昌の大火事で太子が死んだ事件があって、妹ちゃんもそこで死んだことになってた。死体は見つからなかったけど、火事の中で子ども一人見つからなくても不思議はねえだろ? 誰もが練は死んだと思ったよ。ただ一人、こいつのすぐ上の兄貴を除いてな」
「兄……」
 ぽつりと、アリババがその単語に反応する。それを無視して、ジュダルは言葉を続けた。
「練白龍。火事の中で生き残った元第三皇子、現第四皇子だ。白龍は倒れてる妹ちゃんを助けて一緒に脱出したって言い張ったけど、見つかった時には白龍一人だったからな、誰も信じなかったよ。俺も妹ちゃんは死んだと思ったし、もう一人生き残ってた姉さんも妹ちゃんの死を疑わなかった。白龍は……まあ、目覚めた時の行動が行動だったからなー、錯乱してると思われてたぜ。白龍が起きるの待って妹ちゃんの葬儀があったんだけどよ、あいつ空っぽの棺桶笑いながら踏み潰したからな。『は生きてる、こんなものは必要無い』って泣き喚いて、ホントすごかったぜ? そんで、妹ちゃんの捜索はされなかった。けど結局、白龍の言ってたことが正しかったってわけだ。何で白龍と脱出したはずの妹ちゃんが見つからずにバルバッドなんかに流れ着いたのかは……まあ、煌の人間なら大体の予測はつくんだよ。お前らに教える義理はねーけど」
「……辻褄は合うが、彼女が『練』だという証拠は? お前の知っている『練』と名前が同じで顔が似ているというだけでは……」
「証拠ぉ?」
 腕を組んで考え込むシンドバッドの問いかけに、ジュダルは心底愉快そうに笑う。ぐいっとの顔を上げさせて、紅色をギラギラと輝かせてジュダルは言った。
「こいつが練である証明!? バカなこと言うなよシンドバッド! こいつが何なのか、知らねーのかよ!?」
 ぐっと顎を掴む力が強くなる。困惑に怯えるを指して、ジュダルは誇らしげに声を張り上げた。
「こいつは人間魔力炉だぜ? 規格外、お前だって目じゃないレベルの魔力量、更にはそれを他人に分け与えることのできる能力! こんな化け物じみた魔力量を持った人間なんて、どこ探したって妹ちゃんしかいねえよ!」
 先程を観察していた時に保有する魔力量も見ていたのだろう、先程までつまらさそうにが『死んだ』経緯を語っていたジュダルの表情は興奮に輝いていた。シンドバッドが相手にならないレベルの魔力量、おまけに魔力を他人に分け与える能力と聞いてシンドバッドたちやアリババたちに戦慄が走る。血の気の引いた顔を恐怖に引き攣らせ、は呟いた。
「わたし、そんな能力なんて……」
「使ったことねえだけだろ? こんなとこじゃ魔力を誰かにやることなんてないだろうしな、周りが素人ばっかじゃ忘れてるお前が気付くわけねーよ」
 シンドバッドに指摘されるまで、自分が他者を癒す能力も魔法だと知らなかったである。おまけに周囲も本人もその能力は無制限に使えるものだと思っていたが、実際は魔力量による制限があるはずなのだ。無制限に見えたのはが保有する魔力が治癒魔法の連続行使程度で枯渇するような量では無かったからである。明かされた出自と思いもよらない能力に愕然とするの背中を、宥めるようにジュダルがパシンと叩いた。
「それに何だっけ? ここ来た時に本持ってたんだろ? 妹ちゃんはそん時の皇太子の白雄に借りてた本を返しに行って火事に巻き込まれたんだ、その本は十中八九白雄のだろ。今でも持ってんなら、煌の文官が鑑定できるぜ? まあそんなもん無くても、俺や白龍たちの証言だけで十分だけどな」
「……待て、ジュダル。くんをどうする気だ?」
「どうするってそりゃ、連れて帰るに決まってんだろ? 妹ちゃんが生きてたって知れたら煌は大騒ぎだぜ、白龍なんか喜び過ぎて死んじまうかもな! ああ、もちろん俺もお前が生きてて嬉しいぜ!」
 バシバシと背中を叩くジュダルから、がじり、と距離を取ろうとする。受け止めきれない事実に呆然としながらも、傍にいる兄の手を握り返してジュダルへの拒絶を見せるに、ジュダルの眉間に皺が寄った。
「……何だよ、まさか帰りたくないとか言う気か? こんな国にいたってしょうがないだろ? 帰ったらお姫様だぜ、白龍たちも待ってる。記憶はまあ、その内戻るだろ」
「……お姫様になんか、戻れなくていいです」
「あ?」
「待ってる人がいるのは……申し訳なく思います。でも、私は練という人じゃなくて、ただので……アリババ兄さんたちの家族、です。しょうがないなんてことないです、私の国は、ここだから……」
……」
 ぎゅっとアリババの手に縋るの体温は冷え切っている。それでもジュダルを拒絶したに、アリババは目を見開いての横顔を見つめた。
「何言ってんだよ、お前は煌の皇女だろ? その魔力炉の能力だって、こんなとこにいたんじゃ宝の持ち腐れだ。第一俺が気付いたってことは親父たちもすぐ気付く、本国にも報告が行くぜ? そしたら紅炎たち、死に物狂いで妹ちゃんを取り返しに来るだろうな。お前がいたら、金属器使った戦争がもっと楽しくなるしな?」
「……それはお前たちの都合だろ!」
 ジュダルの言葉に怯えたを庇い、アリババがジュダルに掴みかかる。
を捜しもしないで、死んだことにして……偶然見つかったら、皇女だの魔力炉だの言って無理矢理に連れ戻すのか!? はもう煌の練じゃない、俺たちの家族だ! の気持ちを考えろよ!!」
「……さっきから何なんだよ、お前。妹ちゃんの何?」
「兄貴だ!!」
 不機嫌そうにアリババを見据えたジュダルに、アリババは即答で怒鳴り返す。後ろに庇われていたの藍色の瞳に、ふわっと光が灯った。迷うことなくを家族だと叫んだアリババに、の顔が泣きそうに歪む。
「うぜぇ……」
 胸倉を掴まれていたジュダルがバシッとアリババの手を払い、吐き捨てるように呟いた。睨み付けていた目が、アリババの顔をまじまじと見て何かに気付いたように愉快そうに歪む。それに怪訝そうに目を細めたアリババに、ジュダルは言い放った。
「そういやお前、昼間アブマドの豚にいじめられてた奴だろ! あんときのお前、みっともなかったよなぁ」
 目を見開いて凍り付いたアリババに気を良くして、ジュダルは畳み掛けるようにアリババを貶し続けた。言い返せなくて、不甲斐ない自分を突き付けられて、背中に庇ったや周りにいるバルバッドの人間がどんな顔をしているのか見るのが怖くて、唇を噛み締めるアリババをジュダルは嗤う。
「ほんっとお前って、情けない奴……」
 ジュダルがアリババを指差して笑っている最中、アリババの後ろから小さな影が飛び出す。パンッと乾いた音がして、よろめいたジュダルは呆然と叩かれた頬を抑えた。
「……っ、」
 ボロボロと顔を真っ赤にして泣いているが、ジュダルを見据えて嗚咽を必死に押さえ込んでいる。叩いた手の痛みも無視してキッとジュダルに怒りの眼差しを向けるを下がらせて、アラジンが口を開いた。
「アリババくんは、情けなくなんかない!!」
「……あ?」
 に叩かれた頬を押さえて、ギロリとジュダルがアラジンを睨み付ける。その眼光の鋭さに怯えたさえアラジンの言葉に同意するかのようにジュダルから視線を逸らさないのを見て、ジュダルは面白くなさそうにふーんと呟いて。胸元から杖を取り出し、アリババにその先端を向けたのだった。
 
160207
ネタ提供:ifルートアリババで、ヒロインの出自が皆にばれる話
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