が男に騙されたことに気付いたのは、連れられていった先で枷を嵌められてからだった。
『何をするんですか……!? 外してください!』
『世間知らずのお馬鹿なお嬢ちゃん、お嬢ちゃんは奴隷として売られるんだよ』
『奴隷……!?』
煌帝国で生きながらも奴隷の存在を知らなかったは、けれど売られるという言葉に怯えてひゅっと喉を鳴らした。身を震わせるを、男は檻の中に放り投げる。がちゃんと閉ざされた鍵の音にハッとして身を起こしただったが、檻をどんなに揺さぶっても幼子の力では檻はびくともしなかった。
『見目もいい、育ちも悪くなさそうだ。きっとお嬢ちゃんには良い値がつくだろうよ。幼女趣味の変態に買ってもらえれば、それはそれは可愛がってもらえるだろうから安心しな』
男の言葉の意味は半分も理解出来ずとも、檻や枷、男の表情がの不安を煽る。ボロボロと泣き出したに背を向けて、男は去っていった。
男はどうやらそういった趣味の金持ちにを売るつもりでいるらしく、他の『商品』とは隔離した檻でを保管した。買い手がつくまではを大事にするつもりなのか、最低限の食事は与えられたし着物を剥がされることもなく、埃や血は濡れた布で拭われた。が理解出来ないことなど構わずべらべらと、男は檻の前でについた価格の話を毎日のようにした。時折男が連れてくる人間は皆、愛らしく大人しい、怯えて泣いているを気に入り高い値をつけていくらしい。けれど欲深い男はそれに満足せず、望むより高くを売るためにを競売にかけることにした。その話をは、ガタガタと震えながら聞いていた。
檻の中に閉じ込められた日は、一日中泣いていた。呼べる限りの名前を呼んで助けてと泣き叫んだ。助けは来なかった。
三日目で、叫ぶのをやめた。比較的には寛容な男も叫ばれることは煩わしがり、が叫ぶ度に服に隠れる胸や腹を痛めつけたからだ。最初は耐えてそれでも叫んでいただが、青痣になったそこを踏まれる痛みに体の方が限界を訴えた。
五日目で、泣くことをやめた。どんなに泣いてもただ虚しさばかりが募り、何もできない自分に嫌気が差す。泣けば泣くほど渇きは募り、最低限しか与えられない水ではそれを満たすことはできない。命を繋ぐために余計に水分を失うことを避けなければならず、は泣くことを忘れた。
三週間が経った頃から、は大切な人たちの名前をひとつずつ忘れていった。どんなに呼んでも応えは無い。檻を傷つけようと引っ掻く爪が逆に傷付き剥がれていくのと一緒に、優しい思い出もの心から剥がれ落ちていった。
日付を数えるのをやめた頃、は助けを求めるのをやめた。助けてという言葉の意味も忘れるほどに繰り返して摩耗したそれは、何の意味も持たないと、自分を救わないと知ってしまった。
『お前の買い手が決まったぞ、お嬢ちゃん』
最低限しか与えられない食事、時折男や買い手候補に与えられる暴力、長く続く監禁生活にすり減った精神のためにぐったりと細い手足を投げ出して檻の中で倒れていたに、男がそう言ったのは捕まってから何日目のことだったのだろう。
がちゃんと開いた檻から引きずり出されて、けれどはそれを知覚することも出来ない。男が連れてきたのは酷薄そうな笑みを浮かべた太った男で、の小さな顎を掴んで顔を上げさせ満足そうに頷いた。
『ではあれを――』
太った男の言葉に、奴隷商人の男が何かを差し出す。それを受け取った男は、片手での口を開かせ、それをガキっと口の中に突っ込んだ。
『!?』
朦朧としていたの意識が、口の中に入った苦い鉄の味に浮上する。硬い感触から逃げようとするよりも先に、ゴキュッと嫌な音がした。
『――ッ!!!』
口の中の激痛、溢れ出した血の味、引き抜かれた鉄の器具とそれに挟まれた白い小さな歯。歯を抜かれたのだと知って、しかし口を広げられて叫ぶことも出来ず恐慌に暴れだしたを、太った男はにやにやと厭らしい笑みを浮かべて難なく押さえつけた。
『ああ、思ったよりも良い顔をする。きちんと躾れば最高の奴隷に仕上がりそうだ』
男の太い指が、の狭い口の中を蹂躙する。吐き気に嘔吐きそうになったを、バシンと平手で張った。指が引き抜かれ、再び鉄の器具が差し込まれる。弱々しく抵抗するも意味など無く、非情に無理矢理歯が抜かれていく。
「…………!!」
白龍や紅炎たちは、愕然として目の前の光景を見つめていた。は覚えていないはずの光景に体が震えるのを呆然と見ている。ジュダルがおえっと吐き真似をし、紅玉や白瑛は口に手を当てて非道な行為に目を逸らすことが出来ずにいた。
女性陣はその意味を知らずとも、顔を顰めた紅覇たちはがされたことの意味を知っている。虚ろな目で震えるの目を、白龍がそっと覆った。紅明や紅炎が、白瑛と紅玉に目を閉じるように促す。
これは覚えていないことの方が救いだ、と紅炎は忘れられていた寂寥をはるかに上回る嫌悪感に眉を顰める。紅炎にそういった趣味は無いが、そういう輩がいることは耳にすることもあった。男を受け入れることもできないような幼子を買って欲情するような変態の一部が、口淫が気持ちいいという理由でその歯を全部抜いてしまうことも。吐き気を催す先の見える行為は、しかしいくら彼らが今憎しみや怒りを募らせても止まることはない。そして小さなが歯を全て抜かれ、口から血を溢れさせ凪いだ瞳で倒れ伏すのを、太った男はその柔らかい髪を掴んで無理矢理顔を上げさせた。
そして紅炎たちの嫌な予感は的中する。見たくもない下半身をさらけ出し、汚らわしいそれをの目の前に見せつける。今からこれをお前の口に入れるのだと下卑た笑いを浮かべる男に、先ほどよりも強い殺気が部屋の中に溢れた。白龍は紅覇は殺す、と口に出していたし、口には出さない紅炎たちも同様のことを考えていた。は白龍の作ってくれた暗闇の影で、聞こえる幼い泣き声に身を震わせている。紅玉や白瑛も、聞こえる声から良からぬ行為を察して顔を青ざめさせていた。
光の無い目から大粒の涙を溢れさせていたが、ぴくりと瞼を震わせる。眼前に近付けられたそれに、声にならない悲鳴を上げて。
耳を劈くような音と共に、白い光が広がった。
『はっ、は、あ……ッ!!』
再び場面は切り替わり、は暗闇の中駆けていた。背後に聞こえる声は怒りと苦痛でひび割れている。限界に達した恐怖で暴発した魔力はの枷を割り男たちを吹き飛ばし、それを少しの間呆然と見ていただったが、目を抑えて呻いた男にハッとしてその場から立ち上がると駆け出した。
待て、クソガキ、捕まえて犯してやる、そう叫ぶ声が遠ざかってもはただ走り続けた。追っ手はどうなっているのかと、それすら考える余裕も無く、ただ恐怖に突き動かされるままに走った。森を抜け、枝に衣服を引き裂かれ頬や腕に傷をつけ、それでも走った。冷たい地面を駆けるうちに靴は脱げ、石や何かの破片で足の裏が裂けて血が出ても、その痛みにも頓着せずにただ走り続けた。もはやどうして走っているのかもわからない、引き攣った呼吸を繰り返しながらぼろぼろの体を引き摺ってあちこちから血を流して走る。
白龍の手がそっと離れ、は一心不乱に走る小さな子どもをぼうっと見つめていた。そっと紅明が部屋から出ることを促すが、静かに首を横に振る。幼いの腕からは半端に切れた鎖がぶら下がり、無残に破けた服の隙間からはたくさんの痛々しい痣が見える。それでも、失われた記憶の終着点は近いとには思えた。きっと、きっともうすぐ、
ぱたりと、小さな体が力尽きて転がる。辺りはもう夜も明けて穏やかな光に包まれていた。どこかの街の近くらしい、建造物がちらほらと見える川べりで、は意識を飛ばした。そして、キラリと光った金色。
『おふくろ、女の子が倒れてる!』
『な、なんだって!? 女の子!?』
ぼろぼろのに、近付く人影。
「……兄さん、お母さん」
が、ぽつりと呟く。その横顔を、白龍たちは寂寥と後悔の滲む瞳で見つめた。
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ネタ提供:愛は愛にifアリババルートで煌帝国滞在中にジュダルの透視魔法によってヒロインの過去を見た紅炎たちの反応