『ほら、、ア、リ、バ、バ』
『あー、い、』
『リ!』
『い……、い、り、りー、あ、り、ば、ば、』
『よし、言えてるぞ! もっかい!』
『あ、りばば、』
『すごいぞ!』
 わしゃわしゃと、アリババがの頭を撫で回す。その力加減の遠慮の無さに白龍の眉間に皺が寄るが、幼いの表情はどことなく嬉しそうで。
アリババがを遊びに連れ出した日を境に、はおそろしくゆっくりとだが、確実に表情と声を取り戻しつつあった。新しく家族になったカシムとマリアムの影響もあったのかもしれない。暫く話していなかった弊害なのか、一度歯を全て抜かれた影響なのか、まだ呂律は危うかったが、それでもアリババたちが熱心に教える言葉を一生懸命繰り返していた。
 『、じゃあ次はカシムって言ってみろ。カシムって』
『あ、し、むー……』
『誰だよアシムって! ほら、カ、シ、ム』
『あー……あしむ……』
『お前アシムで開き直るつもりだろ』
 相変わらずのーんとした表情のの頬を掴んで引っ張ろうとしたカシムを押しのけて、マリアムがの顔を覗き込む。
 『、私も呼んで! マリアム!』
『ま、い……まり、あむ、』
『おいなんでマリアムはあっさり呼べてんだよ』
『カシムだっせー』
『だっせー』
『んだとやんのかァ?』
『はいはい、遊ぶなら外にしろよー』
 マリアムとアリババに煽られ乱闘に発展しようとしたカシムに、アニスが笑いながらも外を指してしっしっと手を振る。いってきます! と口々に言いながら外に駆けていったアリババたちを追いかけて、も立ち上がる。けれどすぐに飛び出していこうとはせず、アニスの方へとてとてと歩いてきた。
 『うん? どうした?』
『かー、さ、いて、きます』
『……っ、おう、行ってこい!』
 たどたどしくもアニスを母さんと呼んだに、アニスの顔が真っ赤になってぐにゃりと歪む。そんな締まりのない表情を娘に見せまいといつものカラッとした笑顔を浮かべ、ぽんっとの背中を叩いて外へと送り出した。
「…………」
 白龍も白瑛も紅炎も、きょうだいたちの誰もが複雑な思いで黙り込んでいた。深く傷ついたの心を癒したのはバルバッドでの日々で。アリババたちと過ごした毎日で。を守ることも、辛い時に傍に寄り添ってやることもできなかった。けれど今更だからと、そんな資格が無いからと、から手を引こうと潔く諦めることもできなくて。ただ、今魔法で映された光景を見て笑っているの、その表情を作ったのがアリババたちとの日々だと思うとただ悔しかった。は、自分たちの末妹でもあるのに。
 『! 遅いぞ!』
 外に出たは、アリババとカシムが予想に反して取っ組み合いをしていないことに首を傾げた。この頃には既には魔法と知らずとも怪我を治すことができたから今回もそれをすることになると思ったのだが、怪我をしていないのならそれに越したことは無い。
 『俺と対カシムとマリアムで鬼ごっこすんぞ! 両方タッチされた方が負け!』
『負けた方は水汲み当番一週間!』
『私ももとばっちりだよねそれー……』
 ビシッと言い放った二人にマリアムが疲れた顔で抗議をするも、対決に燃える二人の男子がそれを聞き届けることもなく。
 『、ちょっと耳かせ』
 作戦だ、とこそこそと囁かれた内容に、はこくんと頷いた。
 『――スラムいちのドンくささを誇るを自分のチームに入れといて勝とうなんて、甘いんだよ!』
『うわあお兄ちゃんあくどい顔』
 マリアムがアリババに牽制を入れてのところへ行けないようにしつつ、どことなく呆れた視線を実兄に投げかける。それを歯牙にもかけずに無防備なの腕に触れようとしたカシムだったが、視界に映ったの表情に思わず目を見開いて硬直した。
 『…………』
 普段の無表情に毛が生えた程度の機微はどこへやら、そこにはひどく哀れっぽい表情を浮かべたがいて。ものすごく悲しげなに良心が痛むというよりもむしろ呆気に取られて立ち止まったカシムの腕を、ぺちんとが叩いた。
 『……な、』
『何やってんのさお兄ちゃんー!』
『よし、いいぞ!』
 反対側からもぺちんという音が響き、マリアムの残念そうな叫びが上がる。負けたのだと理解したカシムの肩がぷるぷると震え、
 『に変なこと教えてんじゃねーよ!!』
 爆発した。その叫びは奇しくも白龍や紅炎たちの心情と同じものであった。
 ――いいか、。カシムが来たらとびっきり哀れっぽい顔で同情を誘うんだ。哀れっぽい表情? ああ、お腹が空いた時の悲しさを百倍くらいで表現してみろ!
 『いやーはすごいな、役者になれるぞ』
『開き直ってんじゃねえよ、初めての表情が動くところ見たかと思えばあんな顔だった俺のやるせなさはどうしてくれんだよ』
『あーうん、ドンマイ?』
『ドンマイじゃねーよアリババこの野郎!』
『ってーな、やんのかカシムこの野郎!』
 結局乱闘に発展した兄二人を見て、何やってんだか、とマリアムがため息を漏らす。ね、もっかいさっきのやって、とマリアムにねだられ先ほどカシムに向けた表情を作ってみれば、よほど可笑しかったのかマリアムがお腹を抱えて笑った。そろそろ兄の喧嘩を止めた方がいいだろうか、と足を踏み出したの耳に、こん、と何かが落ちる音が届く。ふと下を見れば、髪を結う紐についていた飾りが落ちて転がっていくところだった。
 『あ……』
 アニスが結ってくれた髪。アニスが似合うと笑ってつけてくれた髪飾り。の伸ばした手は惜しいところで届かず、髪飾りはころころと薄暗い路地へ転がっていく。それを追ってとてとてと走り出したに、喧嘩に夢中なアリババたちも、それを見て笑っているマリアムも気付くことはなく。青みがかった黒が、路地裏へと消えた。
 
151025
ネタ提供:愛は愛にifアリババルートで煌帝国滞在中にジュダルの透視魔法によってヒロインの過去を見た紅炎たちの反応
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