暗闇の中で、大切な妹が泣いている。泣き止ませてやりたいのに、白龍の体は泥に埋もれているかのように動かない。は泣いている。その声を聞いているだけで白龍の胸は張り裂けそうに苦しくなって、白龍は見えない力に拘束されている体で懸命にもがいた。
「っ、」
 一瞬の間に、妹に覆いかぶさっていた影。死んでしまった長兄が絡み付くように小さなを背後から抱き締めていて、白龍は息を呑んだ。の左目をその大きな掌で覆って、何事か耳元で囁いている白雄。大きく見開かれた右目は恐慌と緊張に揺れていて、の拳はぎゅっと白くなるほどに握り締められていた。
辺りがだんだん、闇に呑まれていく。白雄と共に暗闇に消えていく妹の姿に恐怖を覚えた白龍は、の名を呼ぼうとした。けれど白龍の喉は凍り付いたように動かず、愛しい妹を呼ぶことすらできない。愕然と目を見開く白龍を、ちらりと白雄が見た気がした。うっそりと微笑んで、勝ち誇ったように口元を吊り上げて。そうして笑う兄の顔は、ぞっとするほど美しかった。
「――ッ!!」
 かばりと跳ね起きた白龍は、隣に妹がいることに安堵する。いつも通りの、幸せな朝だ。隣にがいて、深く息を吸えばの優しく甘い花の匂いがする。悪夢の後はなおさら、腕の中にいる愛しい存在に安心した。
「う、」
 ぎゅっと小さな体を抱き締めれば、穏やかな寝顔が歪んで大きな瞳がぱっちりと開く。白龍の姿を認めて、の目元が緩んだ。
「おはようございます、りゅうにいさま」
 舌足らずな声、柔らかい笑顔。変わらない朝なのに、どうしてか言いようもなく不安で。明日も明後日もその次の日も、こうして朝を迎えられればいいのに。昏睡状態から目覚めてからも白雄たちの死に深く傷付いて不安定なのために、白龍はと一緒に寝ていた。はやくすり減らした心を治してほしいと思う反面、ずっとこうしていたくて。
……」
 藍色が燃え尽きた青灰色の瞳。顔にも首筋にも、半身に大きく広がった火傷跡。どうしてがこんな目に遭わなければならなかったのだろう、それがただ悲しくて、白龍は小さな妹の体を強く強く抱き締めた。

、もう休みなさい」
「瑛姉様、」
 白瑛の言葉に槍を振るう手を止めたから、ぽたぽたと汗が滴っていた。小さな手にはぐるぐると布が巻かれ、柔らかだった掌は何度もマメを潰して悲惨な状態になっている。青龍たちに武術の教えを請うているは、毎日一心不乱に稽古に励んでいた。今まで剣を取ったことはないとはいえ、兄や父譲りの才覚とひたむきな努力ではめざましく上達している。勉学を疎かにすることもなく、小さい体でひたすらに努力をして。その姿はけれど、白瑛にとってはただ痛ましかった。慕っていた兄を喪い塞ぎ込んで、何かに取り憑かれたように強さを求めて。それとなくどうしたのかと聞いてはいるものの、大丈夫だと笑うばかりの小さな妹が白瑛は心配だった。あんなに泣き虫だったのに、は全く泣かなくなってしまった。槍の稽古でこっ酷く打ち据えられても、手の皮が破れて血が出ても、ギリッと歯を食いしばって耐えて。容姿だけではない、何かが変わってしまった末妹を、どう止めてやったらいいのかわからなくて。
「もう少し、頑張ったら休みます」
「……母上からお菓子を預かっているんです、一緒に食べませんか?」
「…………せっかくですが、夕餉が入らなくなってしまうので」
「そう……」
 何がをこんなふうに走らせるのか、それが解らないのが白瑛にはひどく不安だった。白瑛に頭を下げ、再び指導役にかかっていくは年齢につり合わない気迫を背負っている。稽古に集中して表情が消えたの瞳は、背筋が寒くなるほど白雄に似ていた。

「……人間魔力炉?」
 臣下から報告を受けた紅炎は、訝しげに眉を寄せる。隣で報告を聞いていた紅明も似たような表情だった。
煌を訪れたヤンバラの民、彼らが扱う魔力操作を会得せんと弟子入りした。そこで彼女には常人の限界を遥かに超えた魔力があることと、それを他者に分け与えることのできる能力があることが発覚したのだとか。ほぼ無尽蔵に近い魔力量は魔力操作と相性が良く、ヤンバラの民は稀代の才能だと喜びに沸いているのだそうだ。
「……兄王様」
 紅明が、窺うように紅炎を見る。あの大人しかった臆病な末の姫が、目覚めてからひたすらに強さを求めていることは知っていた。白雄と白蓮の最期を見たのは一人、何か託されたものがあったのかもしれない。あれだけ衝撃的な出来事だったのだ、年端もいかない子供が変貌してしまうのも当然である。けれど、原因はそれだけではないような気がして。
あれだけ母親を慕っていたが、目覚めた後はほとんど玉艶に近寄らなくなった。紅炎たちと同じ疑いを抱えているのか、それとも既に確信を得ているのか。もしその真相に気付いて追っているのなら、が強さを求める理由は明白だ。そして判明した、稀有な能力と膨大な魔力量。
「……の監視を強化しろ」
 隣にいた紅明がピクッと肩を揺らしたが、紅炎に反論したりはしなかった。いずれは玉艶を、組織を滅ぼそうとするだろう。けれどそれをされては困るのだ。むざむざ煌を組織に呑ませる気は毛頭ないが、組織を利用しなければ煌はまだ危うい。
魔導士であり武芸に向かない白龍同様、戦に行きたいとは言わずただ稽古と勉学に励むのことを紅徳は軽視している。従順で、城の中に大人しく閉じこもっているだけの無力な子供だと。
「紅明、お前もの動向は気にかけておけ」
「……はい、兄上」
 白雄と同じ峻烈な輝きを時たま見せるようになったを、どうして捨て置けるのかと紅炎は愚昧な父親に内心で溜め息を吐く。青龍と黒彪から、苛烈な稽古に耐えるの話は聞いていた。あの泣き虫な義妹が、泣き言も漏らさずに努力している。その結果を実らせるわけにはいかないから、紅炎にはただが哀れだった。
 
160114
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