「なーなー、迷宮行こうぜ! 迷宮! 俺が連れてってやるからよー」
「神官殿……」
 ひょこっと現れた黒い影に、は槍を振るっていた手を止める。隣で魔法の練習をしていた白龍が、を庇うように間に入った。
を迷宮なんかに行かせません、何かあったらどうするんですか」
「あ? お前には言ってねーだろ泣き虫兄貴。俺はを誘ってんだよ」
だって頷きませんよ、は危ないことはしないって俺たちと約束したんですから」
 そうだろう? と白龍はを振り向く。それに迷わず頷いたに不満げな声を上げたジュダルが、その肩に腕を回した。
「なあ、こんな泣き虫の言うことなんか聞かなくていいから迷宮行こうぜ? 強くなりたいんだろ?」
「…………」
 強くなりたいのは事実だが、組織の手を借りるわけにはいかないとは口を閉ざす。それに、兄や姉との約束も今は破りたくはなかった。ただでさえ、今は武術の稽古を始めたことでとても心配をかけているのに。
「それに、金属器使いは王の器とも呼ばれるんだぜ? お前は魔力量も桁外れだし、きっとすげー金属器使いになる! この国で一番の金属器使いになって偉くなれば、もしかしたらこの国はお前のものになるかもな。お兄さんやお姉さんの、役に立てるぜ?」
「王の、器」
「そう、王様だ! 俺ならお前をおーさまにしてやれるぜ」
 王の器という単語に反応を示したに、ジュダルはここぞとばかりに言葉を重ねる。しかしは、藍色と青灰色の目を閉じて静かに首を横に振った。
「私、王様にはなりたくありません」
「はあ? なんでだよ」
「王様になんか、なれません。なる資格がありません」
 白徳は、偉大な父だった。白雄も白蓮も、尊崇すべき兄だった。にとって王とは、彼らのような人間だった。
「お父様は、戦乱の世を打ち破る烈しさがありました。雄兄様は凛々しくて、たくさんの人を従える器があって、蓮兄様は勇ましくて、信じたものへと突き進む強さがあって……私には、何もありません。私は、王として必要なものを何一つ持っていないんです」
 泣き虫で、臆病で。ただ、兄の最期の望みを叶えるためだけに力を求めている。狂った母親や愚かな義父の手から国をあるべき姿に解放してやりたいとは思うが、それを導けるのは自分ではないのだ。
「それに私は……」
 白雄たちに助けられて生き残った。兄の命を引き換えに、生き長らえた。もし白雄たちがを見捨てていたなら、生き残れたかもしれないのに。がいたから。煌の皇を奪ったのは、自分でもあるかもしれない。そんな自分に、王になる資格などない。白雄たちの代わりに生き残った自分のことを、は許せなかった。
「そんなの関係ねーだろ? が王様になりたくないってんなら、ただ力が欲しいってだけでもいいんだぜ」
「神官殿、しつこいですよ。は行きたくないと言ってるじゃないですか」
 の肩からジュダルの腕を退けさせた白龍が、をぎゅうっと抱きしめる。優しい兄の瞳を見上げれば、白雄の面影を残す顔が慈しみをたたえて笑った。
(私の、守るべき人は龍兄様だ)
 ふと過ぎった想いが、強く強く胸の裡に焼き付く。は白雄に生き写しだと言われるが、似ているのは顔だけだ。白雄の死後どこか白雄の振る舞いを真似るようになった白龍の方が、よほど白雄に近い。なら、白龍こそが皇帝になるべき人ではないのだろうか。のすべきことは、組織から国を取り戻して、本来皇になるべきだった白龍の手に煌を返すことではないだろうか。は、白龍にこそ膝をつくべきだ。白龍に傅き白龍を支え、白龍をただ一人の皇帝と仰いで白龍に仕えたい。それができるのは、真実を知る自分だけだ。否、できるできないに関わらず、は白龍を皇にしなければならないのだ。白雄たちを救えなかった自分が、生きていていい理由はもう、それしかない。
考えてみれば、幼いに白雄たちを助けられるわけもなく、が自身だけが生き残ったことに責任を感じる必要など無い。けれど、はどうしても自分を許せなかった。この国に必要とされている命の代わりに生き残ってしまったことを、幼い子どもは自らの精神が摩耗していることにも気付かないほどに思い詰めていた。
「龍兄様、」
 だからは、白龍に生きる理由を求めたかった。白龍を守ることができたら、は自分を許せるような気がした。罪の無い白龍こそが、煌の皇帝になるべきだと思った。
「私、王様にはなりたくないです」
 あなたを王にしたい。その望みはまだ、言えなかった。けれど、白龍は優しく微笑む。の望みこそが全てだと言うように、火傷跡に指先を這わせて笑った。
「ああ、、大丈夫だ」
「なんだよ、つまんねーな。まあいいや、気が変わったらいつでも言えよ。すげー迷宮出してやるから」
「……龍兄様、神官殿、私は……」
 兄の命を対価に生き残った、死すべき命だった。それを許してくたのは、が目覚めた時に泣いてくれた白龍だ。は自分を許せなかったけれど、の名前を呼んでくれた白龍に、は既に許しを受けていた。だからは、生き残ってしまった罪を負って生きていける。大好きな母親を、殺すために。
 ――お前が、
 お前がやらなけばならないんだ。左耳の鼓膜を、白雄の声が震わせたような気がした。
 
160225
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