は、何かを隠している。白龍は、それが不安だった。
「……、」
紅徳に擦り寄る母親を遠くから見て、白龍は隣のの手をぎゅっと握り締める。あんなに玉艶を慕っていたは、このところ全く玉艶に近寄らなくなってしまっていた。しかしそれも致し方ないだろうと、白龍は思う。大火の後の玉艶は、少しおかしい。いくら娘や息子のためといっても、ああして夫の弟に色めいた仕草で擦り寄って。まるで売女だと、陰でひそひそと声を交わす者までいる。母親は白徳の妃ではなかったのかと、白龍はどこかやりきれない、悲しい気持ちでいた。
「、部屋に戻ろう」
「……はい、龍兄様」
玉艶をじっと見つめていたの視線が、地面に落ちる。握り締めた小さな手は、いっそ自傷じみた激しい鍛錬によってすっかり固くなってしまっていた。
「、もう帰ろう」
「はい、龍兄様」
あれから数年経っても、と一緒に部屋に帰るのは白龍の変わらない役目だ。は剣も槍も師である老将軍たちが目を瞠るほどの上達を見せ、魔力操作も完全に会得していた。それでも妹は白龍に手を引かれて歩いてくれる。けれど、白龍との間には薄氷一枚の隔たりがあった。
危ういまでの峻烈な光こそ瞳の奥へと沈んだものの、その青灰色の目には何かが隠れている。幼い白龍を苛んだ夢、白雄の影がそこにいる気がして。
「、」
「はい、何でしょう?」
ふわりと、が微笑む。青龍偃月刀を提げて、白龍へと歩み寄ってきた青みがかった黒を白龍は優しく撫でた。
「何か、悩んでいることはないか?」
「……いえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます、龍兄様」
「……それは、嘘だろう?」
すっかり開いてしまった身長差で見下ろす妹の体は驚くほど小さいのに、その体を押し潰すほどの何かをは背負っている。白龍の言葉に、は曖昧な笑みを浮かべたまま凍り付いた。家族としての気持ちを逸脱するほどに愛している妹だ、がどんなに隠そうとしても押し込めきれない何かは白龍にも感じ取れる。何か重いものを抱えて、それでも自身すら欺くように笑みを浮かべ、どこか明るくはない場所へと歩もうとしている可愛い小さな妹。その手を引いているのは、きっと白雄の幻影だ。ならば自分が、を連れ戻さなければ。その思いを胸に、白龍はを抱き締める。
「、辛いことがあるなら言ってくれ。俺たちはきょうだいだろう」
「……龍兄様、」
「、俺はお前を――」
ためらいがちに白龍を呼んだ。その喉から、ようやく白龍に縋る言葉が出てきてくれるような気がして。けれど重ねようとした言葉は、揺れる藍色を見て呑み込まれた。
「……わたし、」
泣きそうな顔をして、は白龍から視線を逸らす。
「私、ずっとずっと前から、夢を見ているんです」
「……?」
「叶わないと知っていても、ずっと、諦められなくて。もう絶対に叶わない夢なんです、抱いた時から破綻していた夢なんです、縋ることは不毛なんです、諦めないといけないんです。それでも、叶うと信じたくて、諦めたくなくて、夢を見続けているんです」
きっと、今となっては誰のことも幸せにできない夢です。そう自嘲気味に微笑んで、は白龍をおそるおそる抱き締め返した。
「……俺では、その夢を叶えられないのか」
白龍の問いかけに、は静かに首を横に振る。
「もう誰にも叶えられないんです。この世界のどこにも、この夢が叶う場所は存在しないんです。ずっと、この夢は夢のままで……愚かだとわかっているのに諦められないから、私は……」
の、白龍に対する隠し事。その一片が垣間見えた気がして、白龍はが再び隠そうとしたそれを逃すまいと手を伸ばした。
「なら、俺もその夢を一緒に見よう」
「え……?」
「お前と同じ夢を、俺も見る。叶えられなくとも、お前と一緒にどこまでもその夢を見続けてやる。だから……どうか、俺にはその夢を隠さないでくれ」
「龍、兄様……」
震えた声、動揺の奥に潜む縋りたい、頼りたい気持ち。どんなに強くなっても、一見気丈に思えるまでに変わっても、は白龍の臆病で優しい妹だ。このままではいけない、そう強く思う白龍はを強く抱き締める。ぽろりとの頬を伝った涙は、あまりに美しかった。
「――わたし、かぞくみんなで、」
煌の未来を歩みたかったです。
ぽつりと、静かな声が透明な雫と共に地に落ちる。明かされたの心の一片に、白龍は凍り付いた。消えずに残ってしまった大きな火傷跡、青灰色の左目。幾日幾月幾年経とうが、の中で大火の記憶は僅かばかりとも色褪せてはいないのだ。叶うはずのない夢。二度と帰らない兄と父と、歩むはずだった未来。今の煌では、なるほど口にすることもはばかられる願いだろう。決して実現しない幼い願いを、はずっとその内に抱き続けているのだ。
「……、」
妹の火傷跡の残る顔を、そっと両手で包み込む。決意は変わらない。叶うはずもない夢を、が見ていたいと言うのなら。白龍は共にそれを夢見ていよう。白龍だけは、の夢を守っていよう。愚かな優しい玻璃の箱を、共に抱え続けよう。
「俺も、家族皆で煌の未来を支えたかったと、そう願おう」
「龍兄様……ありがとう、ございます」
手のひらに、の顔が微笑みに歪む動きが伝わった。が夢の影に隠した本当の秘密を、白龍はまだ知らない。それでも今はこれでいいのだと、白龍もも願っていた。
160306