燃えている。何もかもが、燃えている。
倒れ伏した次兄の体。何度揺さぶっても、二度と目を覚ましてはくれなかった。炎に焼かれた長兄の、あまりに凄絶な最期。血と共に白雄がに被せたものは、あまりに大きな責任だった。
――必ず仇を取れ、。
燃え盛る業火の音が、兄の最期の声が、ずっと耳にこびりついている。黒く黒く、の心に焼き付いて離れない音。
――お前が、
お前がやるんだ。お前がやらねばならない。仇を。煌に巣食う悪を、裏切りを、討ち果たせ。許してはならない。使命を果たさなければならない。父を、兄を奪ったのは、
『ほら、何もできませんね?』
歪んだ笑顔が、ドロドロと炎の中に浮かんでは溶けていった。
「……ちゃん、ちゃん!」
焦ったような声が鼓膜を震わせ、ゆさゆさと体を揺さぶられた。暗闇に切れ込みが入って白い光が割って入り、瞼が開いたのだと知覚する。眩しい光に目を細めながら身を起こせば、心配そうな顔をした義姉がの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫? ちゃん、すごく魘されていたわよぉ……?」
「……だいじょうぶ、です。ご心配をおかけして申し訳ありません、義姉上」
「でも、とても顔色が悪いわぁ。船医を呼ぶこともできるけれど……」
「いえ、それには及びません……ありがとうございます」
もうシンドリアも近いのだ。臥せってなどいられないと、は紅玉に笑ってみせる。ぺたぺたとの顔やら首筋やらを触って熱を確認しようとする紅玉に、は苦笑した。
「大丈夫です、少し夢見が悪かっただけなんです。私は平気ですので、義姉上も、休まれた方が……」
煌を訪れたシンドバッドとひと悶着あったらしい紅玉は、だいぶ心をすり減らしていたようだった。うっすらと見える隈は、それでも化粧で大方が隠されているのだろう。紅玉こそ休んだ方がいいと言おうとしたは、船の大きな揺れと共に襲ってきた眩暈にぐらりと視界が揺れるのを感じて危機感を覚える。横に倒れそうになったを支えたのは、いつの間にかやって来ていた白龍の腕だった。
「……龍兄様、」
「、もう少し休んでいてくれ。シンドリアに着くまでにまだ時間はあるから大丈夫だ。義姉上も、は俺が看ていますからお休みください」
「でも……」
から手を離させられた紅玉が、不満げに眉を寄せる。の白い手をぎゅっと握り締めて、白龍は諭すように言った。
「今、この中で一番体調が良いのは俺です。シンドリアに着いてからもと過ごせる時間はたくさんあります。今は俺に譲ってください」
「……どうせ、シンドリアに着いてからも白龍ちゃんがちゃんの隣にいるんでしょう?」
「当たり前じゃないですか」
「………………」
「義姉上、龍兄様……」
バチバチと睨み合う義姉と兄に挟まれて、おろおろと所在無げにする。そんなの手を握り、紅玉はじいっと藍色と青灰を覗き込んだ。
「ちゃん、約束よぉ。シンドリアに着いたら絶対、絶対ふたりで、いろんなところを見て回りましょうねぇ」
「は、はい……」
「それじゃ、私は部屋に戻るわぁ。ちゃん、ゆっくり休んでね」
「ありがとうございます……義姉上もお大事に」
納得いかなさそうにしながらも、を慮って紅玉は何度も振り返りながら部屋を出て行く。パタンと扉が閉まると、白龍はそっとの体を包み込むように抱き締めた。
「……怖い夢でも、見たのか?」
白龍の声は、硬く強ばっていた。を安心させるように抱き締めてはいるが、まるで白龍の方がに縋っているような。
「魘されていた……兄上の、名前を呼んで」
「え、」
雄兄様、蓮兄様、と音も無くの唇が動く。どんな夢を見ていたのか、はほとんど覚えていない。ただ、チリチリと痛む火傷の痕が、兄の死を何度でもに思い出させた。悪夢に苛まれているのは、むしろ白龍の方かもしれなかった。白雄の声の残響が、をずっと呼んでいる。いつの日か白雄に手を引かれて、が暗い炎の中に消えてしまうような。そんな不安が、いつも白龍の胸の内に巣食っていた。
「……、」
と白龍が目指している場所は、同じはずなのに。の見ているものが、白龍には見えない。それがどうしようもなくもどかしくて、白龍は青灰色の下瞼を親指の腹で撫でた。
「俺は、お前の行くところならどこへでも、ついて行くから」
シンドリアでも、世界の果てでも、どこまでも。だから。
「俺を置いてどこかへ行ったりは、絶対にしないでくれ……」
「……龍兄様、」
の前で不安を曝け出す白龍の姿は普段滅多に見ないもので、はぱちぱちと目を瞬く。優しい兄の背中にゆっくりと腕を回して、は白龍に語りかけた。
「私、どこへも行きません。お兄様たちを置いてどこかへ行ったりなんて、絶対にしません」
「……そう、か」
きっとの言う「お兄様たち」は、白龍と白瑛のことであるのだろう。それでも白龍には、それが白雄たちのことを指しているようにも思えて仕方なかった。の心は、未だ大火の中に囚われている。愛しい妹の胸を焼き続ける炎が憎くて、白龍はぎゅっと唇を噛み締めて小さな妹の体をかき抱いた。
160710