とんだ茶番だと、隣にいた兄が溜め息を吐く。義姉がシンドリアの国王と不本意な契りを交わしたと聞いて驚愕に目を瞠っただったが、蓋を開けてみれば夏黄文が野心半分忠誠心半分に起こした騒動で。呆れることもできず戸惑うの頭を撫でて、白龍が場を収めようと一歩前に出る。しかしハッと我に返ったが、白龍がしようとしていることに気付いてそれよりも早く夏黄文の手を打ち剣を落とした。そして、シンドバッドへ向かって膝を付く。
「――申し訳ありません、シンドバッド殿」
 、と白龍の唇が動くのが視界の端に見えた。お前がそんなことをする必要はないと、苦い面持ちでいる。けれどにとって白龍はただ一人、真の皇帝である存在だ。が臣下として仰ぎ見る存在だ。そんな白龍に、他国の王に対して膝を付かせるなど、が自身に許すわけもなかった。
「我が国の者が犯した不義でご迷惑をおかけしたこと、どんなに謝罪を重ねたところで許されることではないと解っております……ですが、どうか滞在をお許しください。私たちは決して、シンドリアを貶めるためにここへ来たわけではないのです」
「…………」
 シンドバッドが、それまでの百面相を無表情の下に隠し、じっとを見つめる。静かにそれを見返すの藍色と青灰は、微塵も揺らがなかった。
「留学の目的は……こんなことではありません」
「――君と、煌帝国の本意は解ったよ。尊い身である君に膝を付かせてしまって、申し訳なかった」
 スッと、シンドバッドの手がの前へ差し出される。その手を取らずに立ち上がろうとしただったが、シンドバッドはの手を両手で包み込んで立ち上がらせた。
「好きなだけ滞在するといい。この国には煌にはないものも多くある、たくさんのことを学んでいってくれ」
「……ご厚情、痛み入ります」
 の両手を握ったまま、シンドバッドはにこやかに笑って王宮へ案内しようと歩き出す。シンドバッドに手を引かれることに戸惑うは物言いたげにシンドバッドを見上げるが、シンドバッドは笑うばかりでの手を離す気配はない。思わず白龍に助けを求めたくなっただったが、公的な場で兄に甘えるわけにもいかず、はシンドバッドについて進んで行った。結局王宮に着くまで、大きな手はの手を握ったままだった。

「ひとまず部屋で待っているようにと言われましたが……シンドバッド殿とお話させていただく時間は、いつ取れるのでしょうか」
「……正直俺は、お前とあの王をあまり近付けたくはないが」
 を椅子に座らせた白龍は、濡らした布で執拗にの手を拭いていた。シンドバッドの痕跡一切を消そうとする白龍に、身動きの全く取れないは少しだけ困ったように眉を下げてはいたが、シンドバッドに協力を仰ごうにも今は待つことしかできないため白龍にされるがままになっていた。
「ですが、どうしてもシンドバッド殿の力を借りたいんです……今の私には、何かを成す力はありませんから……」
「…………」
 何かまだ白龍には話せない目的を抱えているらしい妹を、しかし問い質すこともできず白龍はの手をぎゅっと強く握り締める。第四皇子とは言えど権力からも遠く無力に変わりない白龍には、が目的を果たすための力添えすらできないのだ。当然のように妹について留学に来たものの、確かなものが得られるまでは詳しいことは話せないと言うを前に白龍ができるのは、せめて少しでもが心穏やかに過ごせるようにと気を配ることだけだ。
「……少しだけでもお時間をいただけないか、聞いてきますね」
 そんな白龍の歯痒さを感じ取って申し訳なさそうに笑ったが、椅子から立ち上がる。その拍子にの手が、ひらりと白龍の手をすり抜けた。その手を追いかけて掴もうとした白龍がに触れる直前に、二人のいた部屋の扉がガチャリと音を立てて開いた。
「――――」
 白龍の目に、視界一面を覆うほどの白いルフが映る鳥のように羽ばたいて去っていった。白の向こうに、現れた少年二人。部屋を覗き込む青と黄色のどこか呆けたような表情は、きっと白龍たちも同じだったのだろう。
ふいに、と黄色の少年の視線が交わっていることに白龍は気が付いた。二人とも、どこかぼうっとした表情で、お互いのことを見つめている。それが何だか気に入らなくて、白龍はの手を今度こそ掴んで強く握り締めた。
「……あ、」
 が、ハッと我に返って肩を震わせる。それでもその左右色の違う瞳は、向かいにある琥珀色をじっと見つめ続けていた。

「――あなたが、アラジン殿なのですね」
 が、アラジンに向かって深々と頭を下げる。その隣で、白龍も同じようにアラジンへと頭を下げた。
「姉から話は伺っています。俺たちの大切な姉の命を救っていただいて、本当にありがとうございました」
 にとっても、白龍にとってもかけがえのない存在である白瑛。平原で彼女を救ってくれたマギとの思わぬ邂逅に、白龍もも眉間の力を緩めた。そして何より、アラジンは組織はもちろんどこの国や勢力にも属していないマギである。何とか助力を願えないかと口を開きかけたは、その隣からの視線に気付いて首を傾げた。
「あの、何か……?」
「あ、いや……ええっと、」
 の視線を受けて頬を赤らめたアリババは、気恥ずかしそうにから視線を逸らす。しかしチラチラとを見遣って、アリババは躊躇いがちに口を開いた。
「その……綺麗な目だなと、思って」
「え、えっと、ありがとう、ございます……?」
「…………」
「龍兄様?」
 不機嫌そうな顔をした白龍が、アリババの視線を遮るようにずいっとの前に出る。色素の抜けた左目と、顔から首にかけて広がる大きな火傷跡。の容姿について口さがなく言う者は煌でも決して少なくはなく、がそれに柔い心を傷付けられていたことを白龍は知っていた。アリババが好奇の目で愛しい妹を見ているのではないかと猜疑を含んだ厳しい目をアリババに向ける白龍ではあったが、アリババの表情に映る気まずさは、後ろめたさを指摘された者のそれではなく。純粋な照れしか含んでいないアリババの表情は、けれど却って白龍を苛立たせた。微妙に気まずい空気が流れる中、遠慮がちに扉を叩く音がして、シンドバッドからの使者が面会の知らせを告げる。
「……、行こう」
 白龍が、ぐいっとの手を引いた。どことなく申し訳なさそうにしながらも、はアリババたちに頭を下げて白龍の後へとついていく。それに心のどこかで安心しながらも、妹の視線が最後までアリババから離れなかったことが白龍はやけに気になって仕方なかった。
 
160716
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