『あの子、私に似ているわ』
 涙は零さずとも、無表情の下に何もかもを隠していようとも、妹が亡国の王女を悼んでいる気持ちは白龍には痛いほどに伝わってきた。その妹を自分に似ていると言った故人を呑み込む炎に、白龍は花を投げ込む。
 『そんなわけ、ないでしょう』
『……本気でそう言っているのなら、あなたは自分で言うほどあの子のことを愛してなどいないわ』
 ドゥニヤの哀れむような目と言葉に、白龍は何と返したのだったか。怒りを抑えるのでいっぱいいっぱいではあったけれど、ただ認めたくなかったことだけは覚えていた。確かに、と境遇が重なるとは白龍も思っていたが。
「……
 義手になったの腕を、白龍はそっと掴む。
 『あの子は私と同じ道を歩むかもしれない。それを止められるのはきっと、あなただけなのに……あなたはきっと、止めてあげないのね』
 それが愛だと言えば、あの王女はきっと自分たちを哀れんだのだろう。
 『私と同じ結末を、あの子に迎えさせないであげて』
『……どうして、あなたはを気にかけるんですか』
『あの子は、最後までイサァクを殺そうとしなかった。私はあなたを、殺そうとしていたのに』
『…………』
『大切な人を奪われる悲しみを、ようやく思い出せたの。だから、』
 に同じ道を歩ませないでくれと、そう、言った。
今、最愛の妹は何を思っているのだろう。復讐の道に膝を折った王女の最期に、自らの迎えるだろう末路を重ねているのだろうか。振り向いたの瞳に揺れる色に、何と言うべきか逡巡して。
、ちょっといいか」
「……アリババ殿」
 横から入ってきた琥珀色が、の目を奪っていった。

「…………」
「…………」
 とアリババの間に、気まずい沈黙が落ちる。お互いに話したいことはあるのに、どう言葉にしたらいいのかわからない。先に口を開いたのは、だった。
「……アリババ殿は、」
 逡巡の後に、はそれを問いにする。どうしても、聞いておきたかった。例えそれが、アリババの傷を抉る行為だとしても。
「家族を、とても大切な人を……自らの過ちから殺したと、仰っていました」
「……ああ」
「その方を手にかけるのは、やはり……辛かったのですよね」
「……ああ、そうだな。俺がもっと、ちゃんとしていれば、あんなことにはならずに済んだのにって……今でも、そう思うよ」
 暗い表情で俯くアリババは、とても優しい人だ。そんな彼ですら、何かと引き換えに家族を手にかけた。どんなに大切なものがあっても、やはり時には自らの手で壊さねばならないこともあるのだと、はひとつ自らを歪みへと傾ける。
――紅明。幼い頃から憧憬と不信を抱いてきた義兄から、手紙が届いた。その内容は異国で腕を無くしたを気遣うもので、の決意を揺らがせそうになった。今でも、は心のどこかで紅明を慕っている。昔のように、何も知らなかったこどもの頃のように、紅明と一緒にいたかったと、そう思う。けれど手紙を読んだ白龍は言うのだ。もう、紅明のことも敵だと思えと。何もしてくれない不安要素ではなく、と白龍の夢を阻む敵だと、そう紅明のことを断じた。場合によっては、自身の手で紅明を手にかけねばならない時も来ると。
紅明とは、敵対したくない。が変わり始めてからも優しくしてくれた、穏やかな従兄。けれど白龍がそうしろと言うのなら、は紅明を――。
「そういえば、の家族はどんな人たちなんだ?」
 アリババの問いかけに、はハッと我に返る。第九皇女ってことはきょうだいがたくさんいるんだろ? と悪意なく首を傾げるアリババに、は眉を下げて微笑む。
「私の家族は……龍兄様と瑛姉様を残して、皆いなくなりました」
「え、」
「兄姉のほとんどは、養子縁組によりできた義兄姉です。お父様もお兄様も……皆、組織に殺されたんです」
「っ、」
 アリババからカシムという家族を奪った、組織。彼らに家族を奪われたという。こんなところまで同じなのかと、アリババは目を見開いた。
「私も龍兄様も、アラジン殿には本当に感謝しているんです。姉を亡くしたら、私たちは……二人きりに、なってしまっていましたから」
 目を伏せるに、アリババはどうしようもなく謝りたくなる。どういう経緯でそうなったかはわからないが、皇帝である父親の本当の子どもではないのなら、も白龍もその姉も、宮中では微妙な立場を強いられているのだろう。王族のきょうだい関係の難しさというものを身をもって知っているアリババは、迂闊な質問をしたことに後悔からぐっと唇を噛み締める。それを見たは、気にしないでくださいと首を横に振った。
「義兄上たちも義姉上たちも、悪い人ではないんです。紅玉義姉上も、実のきょうだいのように優しくしてくださいますし……ただ、私が臆病なんです。怖くて、近づけないでいるうちに、兄と、姉と、呼ぶことができなくなってしまったんです」
「……大丈夫だ」
 どこか義兄姉との関係の修復を諦めてしまっているようなの言葉に歯がゆさを感じて、アリババは思わずその小さな手を握り締めていた。きょとんと目を瞬いたに、諦めてほしくなくて。
「大丈夫だ、が優しくて可愛くて真面目でいいヤツだって、俺は知ってる。が仲良くしたいって言えば、皆喜ぶよ。紅玉なんか特に」
 だから怖がらなくていいのだと、アリババは笑う。その笑顔に、は目を奪われた。
義兄姉と、仲良くしたい。けれど、きっとそれはと白龍の目的の妨げになるから。だから、それを諦めた。大切になってしまえば、もし戦いになってしまった時に壊せなくなってしまうから。だから好きになることが怖いのだと、そう思った、けれど。
そんなことさえ忘れさせるような眩しい笑顔が、の胸を射抜く。手のひらから伝わる温度は、太陽の色をしていた。暖かくて、幸せで、無条件で信頼できるぬくもり。
「……ありがとうございます、アリババ殿」
 無意識に、作り物ではない笑みがこぼれる。この時初めて、はアリババへの恋を自覚したのだった。
 
160918
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