「アリババ殿? いかがなさったのですか?」
シンドリアの王宮の片隅で、暗い顔をして独り俯いているアリババ。その姿を目にしたは、慌てて想い人に駆け寄った。顔を上げたアリババは、を見上げて何とも言えない表情になる。
「……も、煌に帰っちゃうんだよな……」
「?」
アラジンとモルジアナの、旅立ちの決意。や白龍、紅玉との別れ。自分だけがすべきことを見つけられないことの苛立ちと、疎外感。それらに悩むアリババに、は心臓がバクバクと煩く鳴るのを感じながら口を開いた。
「あの、よろしければ、煌にいらっしゃいませんか……?」
「え?」
「敵国に身を寄せるのは、複雑だと思いますが……バルバッドのことについて義兄上たちと話す機会が必要であれば、必ず場を設けてみせます。それに、煌にも貴重な書物や腕の立つ武人の集う訓練場はありますし、アリババ殿が留学にいらっしゃるのであれば、第九皇女とはいえ便宜を図ることはできます」
落ち着かなさげに髪に手をやりながら、頬をうっすらと赤く染めたは足元を見ながら早口で言葉を連ねる。アリババが煌に来てくれたらいいなと、強くそう思うけれど、それを直接言葉にするのは気恥ずかしくて。
「……いいのか? 煌には、俺を良く思わない人もいるんじゃないのか?」
「もしそんな人がいたとしても、アリババ殿に決して不快な思いはさせません。練の名において、アリババ殿は必ず私が守ります」
「……」
どうしてそこまでしてくれるのかと、感動すらしているアリババを前に、は照れて目を逸らしながらも口を開く。
「……仲間とは、助け合うものなのでしょう? 私もあなたの、助けになりたいのです」
迷宮の中で、拒むに手を差し伸べ続けてくれたアリババ。子どものように駄々をこねるをアリババが見捨てずにいてくれたから、は今ザガンの主としてここにいるのだ。
「……ありがとな、! 煌への留学、考えてみるよ」
眩しい笑顔で、アリババは頷く。元気になってくれてよかったと、の顔にもまた微笑みが浮かぶのだった。
ごめんなと、本当に申し訳なさそうにするアリババには笑顔を作って首を横に振った。
「アリババ殿が為すべきことを見つけられたなら、その方がいいんです。旅路のご多幸をお祈りしております」
「本当にごめん、。でも、のおかげで俺も頑張ろうって思えたんだ。それは、本当だ」
「はい、大丈夫です、アリババ殿。またいつか、機会があれば煌にいらしてください」
「ありがとう、……そうだ、に頼りたいことがあるんだけど……」
いいか? と合わせた両手の影からを窺うアリババに、はクスクスと笑いながら頷く。アリババに頼られたいというの気持ちを尊重してくれたアリババのことが、やはり好きだと思ったから。だからこそアリババの頼みは、の胸を深く深く抉った。
「――モルジアナに、装飾品を贈りたいんだ」
キュッと、心臓が誰かの手に握り込まれたような不快感。凍り付いたそことは裏腹に、は笑顔で頷いていた。女の子の好みはよくわからないから見繕って欲しいと言うアリババに、もちろん私でよければ、と答えた自分がまるで自分ではないようだった。乖離した心が、ドクドクと血を流す。痛い。アリババがくれた首飾りの、その青い石を握り締めて。まるで自分の涙のようだと、詮無いことを考える。
アリババとモルジアナの、お互いを見る目の色が同じであることは知っていた。自覚はないけれど確かに芽吹いている、慕情の萌芽。誰が気付かなかろうとは気付く。だっては、その色を宿してアリババの姿を追っていたのだ。
強くて、気高くて、美しいモルジアナ。彼女が羨ましい。アリババの眷属で、不可侵の絆を持っていて。真っ先に誘いを受けて、当然のように一緒に行動するとばかりアリババに思われていて。それでも、凛々しく自分の行くべき道を歩む。
(――ああ、)
先を行くアリババに気付かれないように、はぎゅっと拳を握り締める。嫉妬なんて感情を、知ったのは初めてだった。
160928