「待ってくれ、!!」
「……アリババ殿」
 姉のいる天山を目指すたちを追ってきたアリババに、は直視出来ないながらも振り返る。アリババに、見られたくはなかった。知られたくはなかった。母親への憎悪を。と同じように家族を奪われ、大切な日々を壊されながらも恨まないと綺麗な笑顔を浮かべるアリババに、醜い怨恨を知られたくなかった。アリババのことが、本当に好きだったから。一緒にいられないのならせめて、汚れた自分を知られないまま、さようならを言いたかった。
「……、行こう。話すことなど何も無いだろう」
「待てよ、白龍。俺はと話がしたいんだ」
「龍兄様……申し訳ありません、少しだけ、時間をください」
「…………わかった」
 渋々ながらもの腕を引いていた手を離し、白龍はアリババに視線を向ける。敵意の込もった眼差しにたじろいだアリババの目の前で、白龍はの頭を抱き寄せて振り向かせその頬に口付ける。即座にの顔は真っ赤に染まり、あからさまな牽制にアリババは眉を顰めた。
「っ、その、行ってきます」
 頬を押さえたが、パタパタとアリババに駆け寄ってくる。どことなく気まずい雰囲気のままに、アリババとは道から少し逸れた木の影へと移動した。

「俺、……俺は、が優しい人間だと思う」
「…………」
 アリババの顔がまともに見られず、は地面に視線を落とす。優しくなんかない。は優しくない。優しい人間に復讐は成し得ない。は優しくなどない。優しくあっては、いけないのに。
、自分の気持ちに嘘ついてないか? 無理して復讐のことばかり、考えてるんじゃないのか?」
「っ、」
「自分は幸せになっちゃいけないんだって、そんな資格無いんだって思い込んで、自分の本当にしたいこと、わからなくなってるんじゃないのか? ……シンドリアにいるお前は、本当に楽しそうだったよ」
「……はい、楽しかった。本当に、楽しかったんです」
 ぐっと握り締めた手のひらに爪を立てて、はアリババを見上げた。眉間に皺が寄りそうになるのを必死に抑え込んで、笑顔を作る。
「アリババ殿、私は無理なんかしていません。本当にしたいことも、わかっています。私は本心から、母への復讐を望んでいるんです」
「……嘘だろ、。そんなの嘘だ。だって大聖母を斬った後、お前泣いてただろ」
「泣いてなんか、」
「一瞬でも、後悔したんだろ!? 本当にの母親は、お前の兄さんたちの仇なのかよ!」
 の肩を掴んで、アリババは縋るように言う。真面目で優しくて実は泣き虫で、雪解けのように微笑む。そんなが、自分の意思で復讐を望んでいるとは到底思えなかった。シンドリアでのの笑顔は本物だった。アリババたちと笑っていたの感情は本物だった。無力を嘆いたの、片腕を失っても尚ひたむきに進むの、その望みが復讐だなんて。それも、自分を産んだ母親への。何かの間違いではないのかと、アリババはに問う。静かに目を閉じて、は口を開いた。
「……私の母親は、優しい人でした。怖い夢を見て怯える私を慰めてくれて、優しく抱き締めてくれて。一緒に花を摘んだり、本を読み聞かせてもらったり……私は、お母様が大好きでした」
 そっとアリババの手に生身の方の手を重ねて、は笑った。
「それでも、お母様は私たちを裏切ったんです。お母様はお父様とお兄様を殺しました。真実を知った私を憐れみました、嘲りました。何もできない私を、嗤いました」
「……
「私はあの日、死んでいたはずなんです。お兄様の命を代償に守られて、生き永らえてしまったんです! ならば、私はお兄様のしたかったことを成さなければ。お兄様から託された使命を果たさなければ。そうしなければ……お兄様の死は、無意味になってしまうではないですか……」
「俺はそうは思わない、のお兄さんたちは、に笑顔で生きて欲しくてを守ったはずだ。を泣かせたり辛い思いをさせるためじゃない! 俺たちと一緒に行こう、。俺は、復讐のことを口にする度に傷付いてるお前のことを、放っておけないんだよ」
「……だったら、私と一緒に来てくれますか?」
 アリババの手をきゅうっと握り締めて、泣きそうな顔では言った。縋る思いだった。泣きたいほどにアリババが恋しいのに、鼓動が爆発しそうなほどに重なる手が愛おしいのに、アリババにとってこれはただの優しさなのだ。はアリババの特別ではない。それでも一縷の思いで、はアリババに言い募った。
「わたし、アリババ殿がレームに行くと言ったとき、少しだけ安心したんです。アリババ殿と一緒にいると、楽しくて、胸が暖かくて、幸せで……やらなければならないことを忘れそうになるくらい、幸せで……アリババ殿が、好きなんです」
「っ!?」
 驚愕するアリババの頬に震える両手を伸ばし、そっと包み込む。ぷるぷるとつま先立ちになりながらも背伸びをして、硬直しているアリババに口付けた。ふに、と押し当てられた柔らかい感触に、アリババの顔が真っ赤に染まる。見開かれた琥珀色の瞳いっぱいに、情けない顔をした藍色が映っているのがよく見えて。数秒の沈黙の後に、は耳まで赤く染めて俯きながら唇を離した。
「……もう一度だけ、聞かせてください、アリババ殿。私と一緒に、煌へ来てはくれませんか……?」
 ぽろぽろと涙を零しながら、精一杯の不器用な笑顔を浮かべてはアリババに問う。呆然とを見つめていたアリババは、やがて暗い顔をして俯く。ぎゅっと握られた拳に、は答えを悟った。
「……ごめんな、。行けないよ。俺は、と一緒には行けない」
「……はい」
「本当に、ごめん……!!」
 アリババの瞳から、涙が零れる。とても綺麗な涙だと、ぼやける視界では思った。
 
161219
BACK