きっと、役に立たないことばかりだった。無駄なことばかりだった。くだらない笑い話だとか、屈託の無い笑顔だとか、馴れ馴れしい仕草だとか、自分の弱さを許さないような瞳の光だとか。友情だとか、恋情だとか、きっとそんなもの、復讐には何一つ役に立たないことなのに。
けれどシンドバッドがアリババから学べと言ったのは、そういうことなのだろう。人と人との、正しい交わり。心を触れ合わせる尊さだとか、仲間と繋いだ手の熱。それを知ってなお復讐を望むのかと、与えられた猶予。残酷な優しさ。
いっそ絡繰り仕掛けの復讐装置になれたらいいのに。は弱く、組織は強い。他のことを考えながら倒せるような相手ではないと、わかっているのに。
温もりを知った心が、邪魔をする。あちら側に生きたいと、自分勝手な望みが生まれてしまう。は自分自身の願望なんて持ってはいけないのに。白雄の遺志を叶える、ただその他に存在意義などあってはいけないのに。ただ一つ夢を持つことが許されるとしたら、それは。
「――お姉さんは、不思議なんだ」
「……アラジン殿」
アリババと別れて涙を拭うの元に現れたのは、小さな青いマギだった。何百年も生きた大賢者のような静かな瞳が、を見上げる。
「お姉さんは『王の器』だ。それは間違いないのに、ザガンもさんを選んだのに……どうしてかな、僕にはお姉さんが、アリババくんやシンドバッドおじさんたちよりも、僕に近い存在のような気がするんだ」
「……それはきっと、私が本来の『王の器』ではないからでしょう」
「それは、どういうことだい?」
「私の兄は……私の兄こそが、きっと『王の器』たる人だったんです。けれど、兄は私の代わりに死んでしまいましたから……私はきっと、本当は王佐なんです。あなたのように。兄の血を受けて永らえたから、代替の器として此処にいるのでしょう」
「…………僕が言いたいのは、そういうことじゃないよ」
どこか苦い面持ちになったアラジンに、は首を傾げた。泣き腫らした後の痛々しい目が直視できず、アラジンは目を逸らす。ならばどういう事だろう、と思案していたは、自分にとっては当たり前だった事実を思い出して口を開いた。
「ならばきっと、私には龍兄様がいるからです。アラジン殿にとってのアリババ殿のように。『この人こそが、私の王なのだ』と思う人がいるから、きっと同じに感じるんです」
「君が、白龍くんを?」
「はい、私にとっては龍兄様が王なんです。龍兄様が魔導士でも、私が金属器使いでも、そんなことは関わりなく。私は龍兄様の臣下で、龍兄様は私の王さまです」
叶うはずもない夢を、導いてくれるひと。の在処になってくれたひと。煌の皇族の中で唯一、罪のないひと。の贖罪の道標。或いは自分の望みを持つとするなら、ただ一つ許される夢。白龍を、王に。
「私は『王の器』かもしれません。私を選んでくれたザガンのためにも、それは否定しません。それでも、私にとって王はただ一人、龍兄様だけなんです」
あなたにとってもそうでしょう、とは微笑む。シンドバッドや他の人間のマギだとは言わないアラジンはずっと、アリババだけを自らの王の器だと信じて往くのだろう。
「……ねえ、さん」
「?」
「僕には、言ってくれないのかい? 一緒に来てほしいって、力を貸してほしいって。アリババくんや、シンドバッドおじさんに言ったみたいに」
「…………」
寂しさを少し含んだ、青い瞳。きらきらしていて、綺麗で、優しくて。きっとこの少年は、の友人だった。あの赤い少女も、黄色い少年も。みんな、友だちだった。これからは。
「言えません。断られるとわかっているのにお願いするのは、さすがに立て続けだと堪えます」
「……そう」
「不思議ですね、私たちはこんなに同じなのに、まるで違う道を行くんです。同じ、シンドバッド殿の側にいるはずなのに。どうしてか、あなたと『この先』一緒にいる光景が、想像できないんです」
「違う道を行くからって、目指す場所が全く違うとは限らないよ」
「異なる道を行くのなら、いずれは衝突するのではないでしょうか」
「……それは嫌だな。僕はさんの、敵になりたくないし、なるつもりもないよ」
俯いたアラジンが、ぐっと唇を噛み締める。けれど顔を上げたアラジンは、強い光を宿した瞳でを見つめた。
「お願いだよ、さん。また、みんなで冒険がしたいんだ。迷宮じゃなくてもいいから、僕がいて、アリババくんがいて、モルさんがいて、白龍くんとさんがいて……みんなでまた、未知の世界を冒険して、帰ってきてお祭りがしたいんだ。だから……」
「…………」
「なんて言ったらいいのか、わからないけれど……お願いだよ、さん、お願い……」
の行き先を危ぶみ、アラジンは拙くも訴える。静かな微笑みを浮かべたまま、は否定も頷きもしなかった。
「……約束はできませんが」
復讐の炎の彼方に、まだこの身が灰にならずに残っていたら。きっとその時は。
「覚えておきます。もしも、その日が来たら、きっと」
そんな優しい日々が、再び訪れるのなら。生き残ってしまった罪を贖ったあと、もしも新しい生き方なんてものを考えることができるのなら。その時はきっと、アラジンの言葉に頷けるのだろう。
あくまで『今』のことではないの返答に、アラジンはぎゅっと眉間に皺を寄せた。けれど、それ以上に引き止める言葉をアラジンは持たない。不安を抱きながらも、礼をして去っていくをアラジンは独り見送るのだった。
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