隣家の呼び鈴を押そうとした紅明は、押す前に突然ガチャリと開いたドアに出鼻をくじかれ思わず硬直した。飛び出してきたのは、可愛い従妹。自らの泣き腫らした目もそのままに、手に氷嚢やらタオルやらを持ち、ドアの前にいた紅明に驚いて硬直していた。その後ろでは、を引き留めようとしていたらしい白龍が中途半端に手を伸ばした状態で硬直していた。
「……紅明おにいさま」
「、」
呆然と呟いたに応えると、その淡い桜色の唇がきゅっと引き結ばれる。おそるおそる伸ばした手がの頬に触れた瞬間、大きな青い瞳からぶわっと涙が溢れ出した。
「っ、ごめんなさい、ごめんなさい、紅明お兄様……!」
ぼろぼろと、大粒の透明な雫を落としながらは紅明に謝る。の肩越しに、妹の涙におろおろと狼狽える白龍が見えた。けれどそんな白龍にはお構い無しに、紅明はを抱き締める。ぎゅうっと、脆く小さな可愛いひとの存在を確かめるように、強く強く抱き締めた。
「っ!?」
「……どうか泣かないでください、。私が悪かったんです」
「でも、わたし、紅明お兄様にひどいことを……叩いたりなんか、して……」
いたたまれなくなって逃げ出したものの、は自分が他人に手を挙げたことをそのままにしておけるような性格ではない。こんな不甲斐ない自分のことを案じて、手当の道具を揃えて紅明の元へ来てくれようとしていたのだ。紅明は、を傷付けたのに。
「あなたが謝る必要などありません、。私がどうしようもなく、愚かで臆病だったんです。私はあなたに対してあまりに不誠実で、残酷なことを言いました……心の底から、申し訳なく思います」
「……姉上とに叩かれてやっと気付くなんて、遅すぎるんですよ。さっさとから離れてください」
先程まで凍り付いたように動かなかった白龍が、驚きから回復したのか愛する妹を泣かせた男から取り戻そうとの肩に手をかける。白龍の言うことに反論などできないが、ここで引き下がってはもう二度とに顔向けできない。睨み合いになるかと思われた予想を裏切ったのは、紅明にぎゅっと抱き着いたの行動だった。
「……!?」
「……」
小さな手で、紅明の服の裾をぎゅうっと握り締める。ぐり、と縋るように頭を紅明の胸に押し付けて、は表情を隠しながらも紅明から離れることを嫌がった。
「……もう一度だけ言わせてください、紅明お兄様」
静かな声は、震えていた。何度も自分の恋心を無かったことにされたが、怖がりながらも口を開く。自分は本当に何て酷いことをしていたのだろうと、紅明はの手に自らの手を重ねて言葉の続きを待った。白龍はひどく不満そうな顔をしていたが、それでも妹の求める手の先を見て言葉を無理矢理に胸の内に押し込んでいる。
「好きです、紅明お兄様。ずっとずっと、好きです。ただ、好きなんです」
「私も、あなたが好きです。」
――ああ、こんなにも簡単なことだったのか。
目頭が熱くなる。ぐっと胸が締め付けられるように息が詰まって、痛いくらいの強さでを抱き締めた。おそるおそる顔を上げたが、紅明を見上げて微笑む。その笑顔に、痛いくらいに胸が満たされて。
ぽろり、涙が溢れて、何だか可笑しくなって笑ってしまう。なんてつまらない意地を張っていたのか。が望んでいたのも、自分が望んでいたのも、ただ、好きだという言葉だけだったのに。
は泣いていた。にこにこと幸せそうに微笑みながら、ぽろぽろと泣いていた。その涙を優しく拭って、謝る代わりに好きだと繰り返す。とめどなく溢れる涙が、ただただ愛おしかった。
「…………」
蚊帳の外の白龍が、苦々しい面持ちでと紅明を見ていた。可愛い可愛い妹を泣かせるくせに、幸せそうな笑顔にしてあげられる憎らしい従兄。それでも妹が望むのはこの男の隣なのだ。腹立たしいけれど、認めるより他にない。白龍の目も気にせず抱き合う二人を前に、白龍はそっと踵を返した。
「……きっと私は、あなたよりずっとずっと臆病だった。あなたの言う通りなんです、。私は、意気地無しだ」
「ご、ごめんなさい、ひどいことを言って」
「いいえ、。そうじゃないんです。あなたがそう言ってくれてよかった。あなたが気付かせてくれたから、私はやっと自分の弱さに向き合えたんです」
腕の中にすっぽりと収まる華奢な体は、小さくて頼りない。それでもずっと、その心は紅明よりも強かったのだ。まだまだ小さいと思っていた従妹は恋を知り、その痛みを知り、気付けばすっかり大人になっていた。
「ただ幸せなだけではいられないかもしれない、それでも、あなたの傍にいさせてください。、あなたを笑顔にするのは私でありたいんです」
「私も、紅明お兄様の傍にいたいです、笑っていてほしいです。もし何か辛いことがあっても、一緒に乗り越えていきましょう」
伸ばした手を、握り返してくれるひと。小さくて弱くて頼りなくて、それでもとても強く優しい。紅明を、愛してくれているひと。
紅明もも、臆病で怖がりだ。それでも、好きだと思った。それだけで、良かった。
きっとこの従妹には一生勝てないと、紅明は思う。勝てなくていいと思う。否、きっと勝ちも負けも無いのだ。これから手を取り合って歩んでいく相手だ。誰よりも、何よりも大切にしよう。
「好きです、」
確かめるように、ただ何度も拙い告白を繰り返す。先のことはわからないけれど、今はただ、目の前の少女が愛しくて、それだけで満たされていた。
170709