それは、どういった話の流れだったのだろうか。玉艶が、「何でも好きなものを取っていいのよ」と机上に並べられた数々の菓子を指した時、ジュダルはの肩を掴んで「じゃあ、これちょーだい」と言ったのだった。
「え、」
戸惑うと同じように、玉艶も眉を顰める。
「ジュダル、はお菓子でも物でもないわ」
「何でもいいって言ったじゃん」
「お菓子の話よ、ジュダル」
「でも、何でもいいって言った」
ジュダルにとっては、菓子もも自分の所有物という枠の中でさしたる差はないのだろう。白雄たちが死んでたちの立場が微妙なものになってから、ジュダルがを自分の私物か何かのように扱う傾向はますます強くなった。
「あの、神官殿……私、お菓子じゃありません……」
「あ? 知ってるけど」
くいくいとジュダルの服の裾を掴んで訴えるに、ジュダルは振り向いて不思議そうに首を傾げる。妙な空気のまま場の雰囲気は膠着しつつあったが、玉艶が自分の要求に応じる気がないのを感じるとジュダルはつまらなさそうに机の上を指した。
「じゃあ、この菓子全部ちょーだい。それで、全部こいつにやる」
「……そう」
どこか驚いたような様子の玉艶に視線を向けられ、慌てたのはである。これだけの量の菓子を貰っても困るというようにあたふたと手を振るの頭を乱暴にぼすぼすと叩いて、ジュダルは口を開いた。
「食い切れねーなら白龍たちにでもやれよ。俺はいらねーから」
「あ、ありがとう、ございます……?」
の掌を広げさせ、ジュダルは机の上にあった菓子を山と積んでいく。こぼれ落ちそうな菓子に慌てるとそれに構わず次々と菓子を積んでいくジュダルの様子を、玉艶は含みのある笑みを浮かべて見守っていた。
「、これやるよ」
「わっ、あっ!?」
ぽーんと放物線を描いて放られた丸い物体を顔で受け止めたは、それが地面に落ちる前に慌てて両手で掴み取る。その際につんのめってぺしゃりと転んでしまったの耳に、ケラケラと愉しそうな笑い声が届いた。
「相変わらずトロくせーな、」
「神官殿……」
起き上がって地面に座り込んだは、手の中に収まっているものを見下ろす。そこにあったのは甘そうに熟した桃で、の手を引いて立たせたジュダルはニッコリと笑った。
「池に珍しい魚入れたって紅炎が言ってたから、見に行こうぜ」
「は、はい……」
ジュダルに引き摺られるようにして、は桃を落とさないようにジュダルに付いて行く。今日は池に突き落とされないといいな、とはジュダルの気まぐれな優しさの一部である桃を見下ろして、きゅっと唇を噛み締めた。
「あ、あの魚美味そう」
「そ、そうですか?」
池を見下ろせる椅子に座り、ジュダルと並んで桃を齧りながらは平和に魚を眺めていた。色とりどり、というよりも極彩色と言ってもいい魚は観賞用としては綺麗だが、とても食欲をそそるものには見えない。ジュダルの感性との差異を感じながらも、今日は少なくとも池に突き落とされることはなさそうだ、とは胸を撫で下ろした。
「……様! こちらにいらっしゃいましたか!」
自分を呼ぶ声に振り返ったが目にしたのは、少し急いだ様子の兵士の姿で。何か急ぎの用件だろうか、と椅子から下りようとしたの肩を、グッとジュダルが掴んだ。
「今こいつ、俺と遊んでるんだけど。何か用かよ?」
あからさまに機嫌の下降した神官の睨みつけるような視線に、兵士はぐっと息を呑む。けれど必死に目で謝るに落ち着きを取り戻したのか、深く息を吸って口を開いた。
「……恐れながら、紅明様がお呼びです。とても大切な用件だそうなので、申し訳ございませんが……っ!?」
「っ!!?」
一瞬の内に伝令の兵士の胸を貫いた氷塊に、は真っ青な顔で悲鳴を呑み込んだ。手からぼとりと落ちた桃が、ころころと転がって池に落ちる。うるさいのがいなくなった、と杖をくるくる回すジュダルの横から飛び出し、は血を流す兵士の傍に座り込み両手を傷口にかざした。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「……おい、」
「ごめんなさい、今治しますから、絶対に治しますから……!」
「」
ぐいっと、必死に魔法をかけ続けるの肩を掴み、ジュダルがの顔を覗き込んだ。
「そんなヤツ、治す必要ねーよ」
「でも、」
ジュダルに強く肩を掴まれながらも兵士の治療をやめないに、ジュダルが苛立ったように杖を向ける。
「ほっとけよ、お前は俺と遊びに来てるんだろ」
「でも、このままではこの人は死んでしまいます……!」
「……もう死んでるだろ」
ハッとして兵士を見下ろしたの目の前で、ジュダルはその体をゲシッと足蹴にした。
「ひどいです、神官殿、この人は何も悪くないのに……」
「俺の邪魔したんだから、十分悪いだろ」
「そんなことっ、ありません、人を殺すのは悪いことです……!」
「……悪くねーよ! 俺はマギだぞ、神官だぞ! 玉艶だって親父共だって、今更俺が兵士の一人殺したくらいで怒んねーよ!」
偉大な魔法使い。創世の魔法使い。事あるごとにそう言い含められて育ってきた少年は、周りの大人とは違い自分を責めるの言葉に、赤い双眸を怒りの感情に歪めた。
「偉大な者は人民のためにあるべきだと、お兄様たちはおっしゃっていました! 神官殿は偉大なマギです、だからこそ、簡単に人を殺すなんて、」
バチン、弾けるような打音と共にの短い悲鳴が上がる。ドサッと地面に倒れ込んだの胸倉を掴んだジュダルは、鼻がくっつくほどに顔を近付けて言った。
「力があるやつは何してもいいんだよ! ……紅明の呼び出しだって、どうせ戦争にお前を連れてくとかそんな話だ! お前に力があれば、そんな呼び出し聞かねーで遊んでられんのに! お前が弱っちいから、俺が代わりに断ってやったんだよ!」
「……でも、」
「お前は黙って、俺の言うこと聞いてろよ」
そうしたら、俺が守ってやるのに。
その一言が言えないジュダルと、伝わらない一言がある故にジュダルの言動を理解できない。二人の間に横たわる溝は、未だに深いままだった。
160605