ものが良く見えなくなりました。立って歩くことすら儘ならなくなりました。妹と同い年になりました。弟妹よりも小さくなっていました。
 子を望めない、体になっていました。

 目覚めてから、は十年の歳月を取り戻すことに一生懸命だった。大火を境に煌はあまりに大きく変貌し、変わっていないことといえば自分と母の外見年齢くらいなものだ。父の死後、帝位には叔父の紅徳がついたこと。養子として迎えられた白徳の子どもたちは先帝の子として微妙な立場にあり、冷遇されていること。母が、紅徳と再婚して自分たちを守ろうとしたこと。線の細い少年だった紅炎が、体格の良い大将軍へと、国中の兵士に慕われる第一皇子へとなっていたこと。よくの影に隠れに来ていた小さな紅明が、今は軍師として皆を率いていること。愛らしい妹が美しく凛々しい将軍となって、金属器を手に戦っていること。幼かった弟が、姉ふたりを守るのだと勇ましく笑うこと。誰も彼もが、変わってしまっていた。見た目の変わらない玉艶さえも、宵闇を纏ったような恐ろしい微笑を浮かべるようになっていて。変わらないのはただ一人、多くの後遺症と火傷跡を代償に生き残ったけれど、その空白はあまりに大きく。
は前皇帝の長子であるが、十年間寝たきりだったこと、目覚めた今も寝台の上からほとんど動けずにいることなどが原因で、腫れ物に触るような扱いを受けていた。子も成せない、戦にも使えない、ただ火傷跡ばかり抱えた皇女もどき。玉艶と紅徳の婚姻の結果一番守られたのは、に違いなかった。言われずとも解っている、は厄介者だ。何も国に益をもたらさない、時代に置き忘れられた存在。いっそ惨めたらしく生き残るより死んでしまっていた方がすっきり片付いていて良かったのではないかと、自分でもそう思ってしまうような異物感。死に損なった彼女は今日も、寝台の上で狭まった世界にかろうじて生かされていた。
「白瑛、また傷が……」
 病的なまでに白く、細い指。幼かった頃と変わらない、慈しみに溢れた手付きで、姉は白瑛の手の甲を撫でた。視力の弱くなったは、白龍や白瑛の手や頬に触れることが多くなった。視覚の代わりに鋭敏になった触覚は、古傷も新しい傷も敏く知覚する。今日の稽古でできた新しい切り傷を触ってしまったことに申し訳なさそうに眉を下げると、はそっと呪文を紡いで白瑛の傷を癒した。が時を止めている間に、可愛い妹の体には数え切れないほどの傷が刻まれてしまっていて。傷の数ほど、白瑛は強くなったのだろう。痛みの数ほど、白瑛は誇りを持てるようになったのだろう。けれどはただ、大切な妹が傷を作って帰ってくるのが悲しかった。
「白瑛、どうか自分を大切にしてください。あなたが傷付くのは、とても悲しいんです」
「はい、姉様」
 の手を握り返して、白瑛は頷く。その頬は、恍惚と紅潮していた。
最初は、心配されるのが純粋に嬉しかった。白龍と二人の時は、白瑛が心配する側だったから。久々に姉からの甘やかな心配を受けて、胸の奥が擽ったいような気持ちになって。
触れることが世界との繋がりである姉が、良く見えない瞳で懸命に白瑛を見上げて、手の中の温もりが消え失せてしまうことを恐れるように白瑛の手を握り締めてくれるのが愛おしかった。その高揚と幸福感が、自分のことで泣きそうな姉を見下ろす度に歪んでいって。綺麗な姉が、悲しむ姿は胸を抉られるほどに愛おしい。優しい姉が、自分のために涙を零す姿はなんて煽情的なのだろう。
きもちいい。純粋で歪んだ快感が、白瑛の胸の内に湧き上がる。傷を負って帰ってくる度、白瑛を労わって泣く。その泣き顔はどんな至宝にも勝る。だってが、ただ白瑛ひとりのためにこの世で一番綺麗で哀しい雫を落としてくれるのだ。ぞくぞくする。背筋を熱が駆け上がる。こんなに愛しい姉の尊い涙は、白瑛の歪な形の情欲を潤した。
「ねえさま、姉様、」
 すりすりと、繋いだ手に自らの頬をすり寄せる。あたたかくて、頼りなくて、優しくて、愛おしい。白瑛はが大好きだ。ひとりでは立つこともできないほどに弱った姉が大好きだ。ぼやける世界に怯え、弟妹の確かな輪郭を求めて手を伸ばす姉が大好きだ。自分と同い年になった、その綺麗な弱さが大好きだ。愛おしい、。子を望めない体になったを、全く変わらず愛している。
「大好きです、姉様。ね、私のことを大好きだっておっしゃってください。もう、怪我なんてしませんから」
「もう、白瑛……白瑛がたとえ怪我をしたとしても、私は白瑛のことが大好きですよ」
「まあ、嬉しいです」
「……でも、本当に怪我には、気をつけてくださいね」
「はい、姉様」
 仕方なさそうに笑うの細い体を抱き寄せて、薄い胸に顔を埋める。未だ死の匂いをうっすらと纏う姉は、まるで隠世の住人のようだと思った。
 
161207
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