ごめんなさい、白雄。
ゆるして、白雄。
おねがい、白雄、もう、やめて。
ゆるして、ゆるして白雄、ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「――姉様」
 とうの昔にの身長を追い越していた麗しい弟は、の頬を両の手で優しく包み込む。その温かい体温が恐ろしくて、はびくりと体を震わせた。途端に、凛々しく美しい顔が苛立ちに歪む。身を竦ませたを、しかし彼が許すはずもなかった。
「俺を恐れるなと、申し上げたはずです、姉様」
「……ご、ごめん、なさ、い」
「ほら、また吃る。姉様は恐怖を感じているとき、吃音が起きますよね。俺の何が怖いとおっしゃるのですか、姉様」
「そ、れは……」
「俺に怯えるのは構いません。俺に従順なのも喜ばしいことでしょう。ですが、恐れることは許せません。姉様、姉様が俺を恐れる必要など、無いのです。その恐怖は無意味です、無価値です」
 目を、逸らしたい。目を、逸らせない。強く、優しく、高潔で公正で慈悲深く、けれど恐ろしい弟が、の瞳を瞬きもせずに覗き込んでいた。
「愛らしくて、可憐で、小さくて、か弱い姉様。この戦乱の世の中で、姉様のように脆いお方が独りでは生きられないことくらい、おわかりでしょう? 姉様をお守りできるのは俺だけなのです、姉様は俺がいないと生きていけないんです。ですから姉様、俺を恐れないでください」
「……ぁ、」
 優しく、甘い声で白雄は幼子に言い聞かせるようにを諭す。けれどやはり、にはどうしたって、目の前の実弟が恐ろしいものにしか思えなかった。

「ねえさま、ねえさま」
「……ぅ、」
 ゆさゆさと、強く体を揺さぶられては微睡みから強引に引き上げられる。気持ちの良い午睡から目覚めさせられたの視界に、あどけない頬をぷくっと膨らませた弟の姿が映った。
「はくゆ……? おはよ、ございます……」
「おはようではありません、ねえさま。あれだけもうしあげたのに、また昼寝などして」
「う、だって、お母様もお父様も、おひるねしていいって……」
「だれがゆるしても、ぼくがゆるしません。どうしてねえさまはそう、だらしないのですか」
「あぅ……」
 寝台の上できっちりと正座をさせられ、幼い弟に叱られる。一緒に昼寝をしていた白蓮がぐずるようにの腿に頭をすり寄せ、がそっと白蓮の頭を撫でるとその手をぺちんと白雄が叩き落とした。
「ぼくのはなしをきいていますか、ねえさま」
「その……白雄も、いっしょに、お昼寝しますか……?」
「けっこうです。それより、まったくはんせいなさっていないでしょう」
 姉から見ても綺麗に整った目元が、厳しく吊り上がる。萎縮して首を竦めたは、弟がの昼寝をここまで叱る理由がわからずに身を縮めた。
「ねえさまはいつもそうです。のんびりして、ゆるゆるで、ほわほわふわふわと『ききかん』がありません。いくらきょかされているといっても、こんなに小さな白蓮といっしょになって昼寝など、はずかしくないのですか」
「ぅ、でも、」
「でも、は言い訳です。だみんをむさぼるひまがあるなら、何かしらやるべきことをこなすべきでしょう。なまけ者のねえさまには、しおきがひつようなようですね」
 ぐいっと白雄に腕を引っ張られ、は無様に体制を崩して倒れ込んでしまう。自分の膝の上にを抱え込んだ白雄は、の長い裳を捲り白く柔らかな尻を剥き出しにする。肌を晒されたことに戸惑い焦るを押さえつけて、白雄は大きく腕を振り上げた。
「やッ……!?」
 ばちん、と大きな音を立てて白雄がの尻を叩く。容赦のない痛みに、は目尻に涙を浮かべて逃げ出そうと身を捩らせた。けれど小さな体のどこにそんな力があるのか、より一回り小さいはずの白雄の体はビクともしない。逃げようともがくに口元を歪めた白雄は、繰り返しの尻をぶった。やぁ、と声を上げて身をこわばらせるの尻を叩く度に、白雄の中の何かが満たされる。すやすやと眠る白蓮の隣で、白雄はがただ泣き震えて許しを乞うようになるまでの尻を叩き続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい白雄、ゆるして、いたいよぅ……」
「はんせいなさいましたか? ねえさま」
 真っ赤に腫れ上がった尻をぺちぺちと軽く叩きながら、白雄はの顔をのぞき込む。涙でぐしゃぐしゃになった顔を怯えで歪ませて、は必死にコクコクと首を縦に振った。泣きながら従順に頷く姉の様子を見て、白雄は満足げにの頭を撫でた。
「いい子ですね、ねえさま。これからはぼくがねえさまの生活をかんとくしますが、かまいませんね?」
「え……」
「いいですよね? ねえさま。だらしのないねえさまは、ぼくがきちんと見ていてあげないといけませんから」
 の生活を管理するという白雄の宣言に怯えるに、白雄はニコニコと微笑みを浮かべて言葉を重ねる。追い討ちをかけるように真っ赤な肌をぎゅうっと抓られて、は痛みからの逃避で反射的に首をぶんぶんと縦に振った。の承諾にパッと手を離した白雄は、心底嬉しそうに笑う。
「あんしんしてください、ねえさま。ぼくがねえさまを、いい子にしつけてさしあげますから。おべんきょうもおけいこも、ぼくが見てさしあげます。ねえさまのためなのですよ、ねえさまのために、ぼくはがんばりますからね」
 気持ちがいい。いつものんびりふわふわとしていて、穏やかで優しくて、笑顔を絶やさない姉姫が、怯えて震えて、泣いて白雄の許しを乞うている。今この時は、白雄が姉の全てを支配しているのだという全能感に満たされていた。『大好きな姉様』が、白雄の下で白雄のなすがままになっている。愛らしい姉を支配するのは、こんなに簡単なことだったのだ。痛々しく腫れ上がった尻を、白雄はうっそりと優しく撫でる。
「ああ、いたいのですね、ねえさま。おかわいそうに。いま冷やすものをとってきますから、そこをうごかないでいてくださいね」
 普段のなら、自分で手当をしただろう。大丈夫だと、白雄の心配を受け取らなかっただろう。けれど怯えたように頷いた姉は、白雄が戻ってくるまで大人しく寝台の上で震えていた。裳を下ろして掛布に包まり、隣で穏やかな寝顔で眠る白蓮を、泣きそうな顔で見守っていた。
「いい子にできましたね、ねえさま。えらいですね」
「ぁ……」
 優しく、けれど容赦のない手付きで再びの尻を剥き出しにすると、白雄は冷たい水に漬けた布を搾り、腫れ上がって熱を持つ尻にそれを当てる。恥ずかしそうに身を捩らせるだったが、白雄が笑顔のまま静かに見下ろすとびくっと肩を揺らして大人しくなった。理解の早い姉に笑みを深めた白雄は、軟膏を取り出して赤くなった柔肌に指を這わせる。幼いとはいえ年頃に差し掛かり人並みの羞恥心のあるは、弟といえど異性に隠すべき肌に触れられていることに真っ赤になってぼろぼろと涙をこぼす。手当を拒否すれば、また痛い目に遭わされるのではないかという恐怖が、の身を重く縛り付けていた。
「……さあ、これで大丈夫ですよ、ねえさま」
 手当を終えた白雄が、名残惜しげにの肌から手を離す。ぷるぷると震えるに、白雄は仕方なさそうに微笑んだ。
「そのようにおびえずとも、ねえさまがいい子にしていてくだされば、ぼくも手は上げませんから」
「…………」
「……ぅ、ねえさま? にいさま……?」
「……白蓮、」
 目を擦りながら起き上がった白蓮に、は躊躇いがちに声をかける。いつもなら目覚めた白蓮を優しく抱き締めてくれる姉が、伸ばした手をびくっと震わせて止めたのを見て、白蓮は首を傾げた。
「ねー、さま? ぎゅー、して、ほち、です」
 思わず窺うように白雄に視線を向けてしまっただが、白雄はむしろ嬉しそうに目元を緩めて頷く。止まりかけた手をおそるおそる伸ばし、小さくてふにゃふにゃした体を抱き締めたに、白蓮はいつものようにくしゃくしゃの笑みを浮かべて姉をぎゅううっと抱き返した。いつも通り、何一つ日常と変わらない午睡からの目覚め。けれどと白雄は、取り返しのつかない日常の軸を一つ、確かに壊してしまっていたのだった。
 
170730
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