教育というものは重要だと、長い付き合いの幼馴染を眺めながらティトスはしみじみと思う。
自分と同じようにオメガで、加えて虚弱体質な幼馴染。というよりも、同じオメガで虚弱だったからこそ付き合いが発生したと言った方が正しい。どこもかしこも細くて、小さくまとまった体躯。外出よりも家で落ち着いた時間を過ごすことを好むこともあって、新雪のようにまっさらな白い肌。よく手入れのされた、青みがかった黒の長い艶やかな髪。光や角度によって藍色や瑠璃色に深みを変える青い瞳がそのすっとした輪郭とは裏腹に、愛らしい印象が強いのは本人の性情によるところが大きいのだろう。桜色の小さな唇の斜め下にあるきょうだい共通のぽつんとしたほくろですら愛嬌の一端だ。という少女は間違いなく愛らしい可憐な少女であると、ティトスは断言できる。
そして虚弱でオメガであることや、控えめで優しい性情が、その容姿と相まってという人間の儚げな印象を確たるものとしていた。
だからこそ、彼女の保護者たちが躍起になって彼女を守ろうとするのは解らなくもない。小さい妹が目の前で熱に魘され、命さえ危ぶまれたことすらあれば、過保護になるのも無理はない。ティトスの保護者であるシェヘラザードも大概ティトスに過保護であるし、そのシェヘラザードも病弱であるため周りの人間もティトスも彼女に対しては心配症を超してしまう。
けれど少なくともティトスとシェヘラザードの間にあるのは家族としてのそれで、そこに例えば男女間の愛情というものは無い。
「どうしたティトス、そんなにじっと見つめてもうちの妹はやらないぞ」
「そういうのではありませんよ」
歪んだ倫理を植え付けられた、幼馴染。
茶化すように言ってきた白蓮の目の奥には昏い影が潜んでいた。笑顔の影の鋭い視線から目を逸らしたティトスの視線の先には、白龍の腕の中でびくびく震えるの姿。ついでに言うならティトスはティトスでスフィントスの背後に隠れてスプラッタ映画の難を逃れているわけだが、今はそれはどうでもいい。
には三人の兄と一人の姉がいる。彼女が成長し世界を構築していく中で、彼らから影響を受けなかったものなど何一つとしてない。小さくて虚弱なオメガの妹を、彼らは片時も一人にしなかったからだ。の倫理も常識も、全て彼らが組み立てた。その結果は優しく控えめで慎ましい少女へと成長したわけだが、意図的に彼女の家族が植え付けた歪みにはずっと気付かずにいる。
「ほら、。怖いのならこっちにおいで。何も見えなくしてやるから」
白雄が、に手を伸ばす。俺がいるので余計なお世話です、と白龍がその手を振り払った拍子にの服の裾からちらりと赤い痕が見えて、ティトスは思わず目を逸らした。
という人間にはまともな倫理観も常識も備わっている。ただひとつ、近親者との関係は禁忌であるということだけ、彼らは意図的に彼女の倫理から排除した。更にはオメガの起こすヒートという特異な状況を隠れ蓑にして、当然のようにきょうだいたちでの熱を喰らっている。欠陥のある倫理を植え付けられたに背徳の罪はない。けれど彼らは、自分たちのしていることの意味を知っているはずなのだ。白龍の首にしがみつき、白龍に腰をしっかりと抱きかかえられたの体勢に、先日覗いてしまった彼らの情事の光景がフラッシュバックしてティトスは思わず首をぶんぶんと横に振った。
ヒートを起こして公欠をとった幼馴染にプリントを届けに来たティトスは、珍しくあっさりと「に会っていくか?」と白雄にの部屋に通されたことを疑うべきだったのだ。僅かに開けられたドアの隙間から目にしたのは、白龍の腕の中で乱れるの姿で。白龍の首に縋り付いて、荒い呼吸を繰り返す。その折れてしまいそうな腰を掴んで激しく揺さぶる白龍。覗き見てしまった情事に息を呑んで後ずさったティトスの肩を、叩いたのは白蓮だった。「俺たちの妹に、何か用か?」 ティトスが部屋の中を覗いてしまったことも、僅かに漏れ聞こえるの喘ぎ声にいたたまれない気持ちでいることも知っているはずなのに、白蓮は白々しい笑顔で尋ねた。「あれは、いったい、」震える声で問うティトスに、白蓮はにこにこと彼らの『事情』を語る。信じ難いものを見る目で呆然と白蓮を見上げたティトスに、背後から現れた白雄が囁いた。
「お前も混ざりたいのか?」
ティトスの淡い恋情を見透かしたような言葉に、ティトスは愕然と白雄を振り返って仰いだ。たった今ティトスの幼い恋心を粉々に叩き壊した人間は、にこにこと笑っている。その真意が読めずに、ティトスは慄いて後ずさった。
「どうして、」
どうしてオメガとはいえ実の妹にあんなことを、どうして誰にも言ったことのないティトスの慕情を知っているのか、どうして、そう問いたいのに言葉は口にする前からぼろぼろと崩れていく。ひとつだけ解るのは、ティトスの恋を無惨に叩き壊すためだけに、彼らが最愛の妹の淫らな姿をティトスに晒したということだけだった。
「さあ、どうしてだろうな」
笑う白蓮と白雄に挟まれて、ティトスは常軌を逸した彼らの思考回路に恐怖を抱いてがたがたと身を震わせた。部屋の中から、聞いたこともないようなの高い声がティトスの鼓膜を打つ。ちらりと目を向けてしまった扉の隙間から、を腕の中に閉じ込める白龍の鋭い視線に睨めつけられて、ティトスはその場から弾かれたように逃げ出した。
ティトスが恋した可憐な少女は、すぐ上の兄のことを慕っているらしい。そしてその想いに白龍は同等以上の想いを返している。本来ならばそれだけで済む話だったのを、彼らの長兄がややこしいことにした。横恋慕にも躊躇わず末妹への執着で幼い恋を引っ掻き回す白雄は、けれど自分のことは棚に上げてティトスの恋を阻害した。アルファでない、の番になれない自分の出る幕は無いのだと、突き付けられたようだった。
「りゅ、う、にいさま……!」
「ああ、、偉いな。あと十数分で終わるから」
ぎゅっと白龍にしがみつくはやはり、白龍への恋情を募らせているのだろう。白雄がティトスの恋だけでなくや白龍の恋心をも叩き潰そうとした一件のことをティトスは知らない。けれど、彼らの関係がいかに複雑で不安定であるか、それは容易に見て取れた。そこにティトスが自分の恋情を持ち込めば、の心はより苦しめられるだけなのではないだろうか。
ティトスは白雄たちに踏み砕かれた恋心を、けれど捨て切れずに未練がましく抱えていた。その欠片が掌からこぼれ落ちないように、ぎゅっと握り締めれば鋭利な破片が傷を生む、それでも。
この恋を、捨てるべきか、捨てざるべきか。スプラッタ映画の終幕を無視してをぼんやりと見つめながら、ティトスはひとり懊悩していた。
150911