それは、見たこともないはずの外の世界だった。
たくさんの兵が犇めき合って、馬上で武装した兄が、見たこともないのにどこか懐かしい、武人然とした人と対峙していた。
『我こそは白夜王国第一が王子、白雄! 暗夜の将よ、一騎打ちを所望する』
『……暗夜王国第一王子、紅炎。一騎打ち受けよう』
兄は、神器ジークフリートを抜いて駆けた。対するその人は、青く光る刀を抜いて翔んだ。
二人の刃が交差する刹那――の意識は切り替わった。
『――行くぞ、! 敵を倒すんだ!!』
青い刀の武将によく似た、天馬に乗った人が、征けと叫んでいた。呆然としていたを敵の刃から庇い、に大丈夫か、と笑った。
『きょうだいみんなで力を合わせれば、卑劣な暗夜軍になど負けはしないさ』
(待って、)
(暗夜は、わたしの、)
『さあ、行こう!』
の戸惑いを置き去りに、進む世界。
『暗夜の王子よ! 何故この白夜に攻め入った! これまでの卑劣な策も貴様の差金か!』
蒼い雷電を纏う刀を兄に突きつけて、叫ぶその人は、
『……敵に語る言葉は持たん。降伏し支配を受け入れろ。さもなくば……死ぬがいい』
ジークフリートを掲げる兄は、二人は、の視界の遥か前方で剣戟を交わしている。そして更にその彼方、現れた影。
『おや、橋が壊れてしまっていますね。これでは兄上のところに行けません』
『また明兄ってばそんなこと言ってサボろうとしてー! 僕たち王族を阻むことは誰にもできないんだよぉ?』
いつも通り気怠そうな次兄と、戦場の空気に高揚した様子のすぐ上の兄。
河を干上がらせて渡ってくる彼らに、の隣にいた三人は驚きの声を上げた。
『この力、竜脈か……?』
『どうやら敵の王族が近くにいるようです』
『気を抜くな、。敵の武将が攻めてくるぞ』
天馬に乗った人が、その言葉を残して駆けて行った。呆然とそれを見送るに、残っていたうちの、やはり雷電の武将によく似た顔立ちの、天馬の人よりは若い少年が言葉をかける。
『大丈夫だ、。敵……暗夜の王族は強いが、俺たちきょうだいが力を合わせれば、きっと』
(この人は、いったい何を)
のきょうだいは、干上がった河の向こうのあの人たちだ。あの紅い人たちこそが、のきょうだいなのに。
『、怪我をしているの……!? 大丈夫、私がすぐに治します』
いつの間にか負っていたの怪我を、癒してくれた女性。その人も、彼らとよく似た顔をしていた。そして、既視感はそれだけに留まらず、他の、よく知っている誰かにも似ている気がしたが、いったい誰に似ているのかも思い出せず。
の意思を置いてきぼりに、体は勝手に剣を振るっていた。矢を番え放つ少年の動きに合わせて、敵の刃を掻い潜り、その喉を裂く。人を斬ったことなどないはずなのに、の体はそれをよく知っているかのように滑らかに動いた。
『よし、敵を倒したのか! 素晴らしいぞ、、白龍!』
天馬の人が朗らかに笑う。隣で白龍と呼ばれた人が、誇るように笑い返した。
『きょうだいの絆の力だな!』
『すごいですよ、、白龍』
『うまくいったな、』
青みがかった黒い髪の人たちはに笑いかける。戸惑うの心情など、誰も知らずに。
『この戦争も、勝てるかもしれない。俺たちが力を合わせれば……』
『さあ、兄上のところに急ぐぞ!』
天馬の青年が先導して、弓の少年と巫女の女性に手を引かれながら地を駆けた。
『兄上、お怪我は?』
『大丈夫だ、お前たちも無事でよかった』
雷電の刀の武将の元へと辿り着き、天馬の青年に応えてその人は微笑む。その笑顔に、の心臓がどくんと嫌な音を立てた。心の軋む音がする。それは、全速力で地を蹴ったからではない。
『敵の新手が来る。お前たちはその相手を頼む。 ――、白蓮と共に皆を守ってやってくれ』
青く光る刀は、には向けられなかった。静かに、しかし不敵に笑むその人に名前を呼ばれると、の胸の動悸は一層激しさを増す。言い様のないその不安を払ってくれる声が、その肩越しににかけられた。
『無事だったか、……良かった』
ジークフリートを下げた長兄が、口角を吊り上げて薄く笑んでいた。それに安堵したは今すぐにでもそちらへ駆け出したいのに、不思議と足が動かない。
『戻ってこい。お前がいるべき場所はこちらだ』
戻りたい。帰りたい。心は痛いほどに叫んでいる。この、わけのわからない「きょうだい」たちから今すぐにでも離れて、よく知っているその手へと縋りたい。それなのに。どろりとした言い知れない不穏な影が、の胸の内に湧き上がった。
『させるものか! は白夜の王女、俺たちの妹だ』
『……黙れ。は暗夜の王女。我々の妹だ』
を庇うようにして立ちはだかった武将の肩越しに、暗夜のきょうだいたちが駆け寄ってくるのが見えた。
『あー、! 生きてたんだ、良かったあ!』
『悪運が強いですね、は。でも本当に良かった』
そちらへ手を伸ばしたいのに、やはり腕はピクリとも動かない。足も腕も、まるで鉄にでもなってしまったかのようだ。兄の言葉に反発するかのように、天馬から下りた青年がの肩を強く掴んだ。
『何を言う、妹をさらった暗夜の者が……は俺の妹だ!』
『違うよ、は僕の妹。誰にも渡さないよ!』
真っ直ぐにを見つめる兄を遮って、青の武将は振り返る。
『騙されるな、。お前は俺達の大切な家族だ』
に手を差し伸べて、兄は言う。
『戻ってこい、。またきょうだい一緒に暮らすぞ』
硬直したままのに、二人は強く呼びかけた。
『『!』』
「……さですよー、朝ですよー!!」
頭の中を掻き回すかのような大きな声で、は目を覚ました。
外の世界などどこにもなく、いつもの北の城塞の、よく知っている自分の部屋。ピスティとヤムライハが、笑顔での顔を覗き込んでいた。
「朝ですよ、様」
「朝ですよー様、起きてくださーい!」
「う、今起きます……」
なんだ夢か、と目を擦りながら身を起こすの手をやんわりと止めさせて、ヤムライハが濡らして絞った布での目元を優しく拭う。それに礼を言いながらピスティから鎧を受け取るに、バルカークとカシムが声をかけた。
「本日は訓練の予定がございます」
「こっちに訓練用の武具用意してあるぜ」
「わかりました、ありがとうございます……」
「まだちょっと眠そうですね、様」
「仕方ないよ、まだ日も昇ってないもの!」
ふらふらと危なっかしく立ち上がったの額に手をかざし、ヤムライハとピスティが冷気を放つ。ひゃっと声を上げて飛び上がったに、周りの人間は声を上げて笑った。
「そういえば、今日は変な夢を見ました」
「夢? どんな夢だ?」
鎧を着込みながらぽつりと零したの呟きに、カシムが反応する。
「知らない人たちが……私のことをきょうだいだと言っていました。私のきょうだいは、この暗夜王国のお兄様たちしかいないのに」
ぼんやりと遠くを見つめるように瞳の青色を揺らがせるにピスティたちは顔を見合わせ、遠慮がちに声をかける。
「そうですね、やっぱり夢ですし、おかしなこともありますよー……」
「行ってらっしゃい様、紅炎様がお待ちですよ!」
ぐいぐいとの背中を押して、二人はに部屋を出るように促す。そういえば今日は紅炎と剣の訓練があるのだった、とは気持ちを切り替えて扉に手をかける。その手で扉を開いて足を進めた時には、もう夢の中の「きょうだい」のことなど忘れてしまっていた。
150717