「記憶にない小さな頃から、外に出られず生きてきた私を支えてくれて、ありがとうございます」
紅炎との手合わせを終えたが柔らかな微笑みを浮かべて頭を下げた。それに対して紅炎、紅明、紅覇はそれぞれに笑みを見せる。紅炎から一本取るまでに成長したが、父のいる城に招かれたと聞いて三人はそれぞれに嬉しさと心配を抱いていたが、きっとこのきょうだいたちでいれば大丈夫だろう、と不安を払う。これからは、この小さな妹とも力を合わせて戦っていくのだ。やっと私もお兄様たちのように、この国のために戦うことができるのですね、と笑う可愛い妹。健気な妹の手を引いて、彼らは歩き出した。
「僕もお供するからね、様」
ピスティとヤムライハに城塞を預け出立することになったのところへ、厩舎係のユナンが駆け寄る。
「なんだ、お前もついてくるのかよ?」
「まあね、」
意外そうに問うたカシムに頷くユナンだが、その表情は些か暗い。もしかして城まで行く自分に付いていくのが嫌なのだろうか、と青い顔をして問いかけたに、そんなわけないじゃん、と紅覇が抱き着いた。
「ってば鈍感なんだからぁ。ユナンはこれからお前を独り占めできる時間が少なくなることに落ち込んでるんだよ、ねえ?」
「うん、そうだね。解ってるならあまり見せ付けないでほしいな、紅覇様」
「やだよ、今までお前はたくさんと一緒にいたんだから、これからは僕の番!」
ユナンに向かって勝ち誇ったように笑うと、紅覇はの首に白く細い腕を絡ませる。ぐっと引っ張られてバランスを崩しそうになるに、紅明と紅炎はやれやれと笑った。
「魔剣ガングレリ……ですか」
「異界の力を宿した魔剣だ。白夜の捕虜がいるから戦ってみろ、よ。それの力を試すのに丁度いいだろう」
「捕虜……?」
紅徳は紅炎と互角に打ち合えるようになったを暗夜の戦士として認め、北の城塞から解放しこれから戦場へ立たせる証として魔剣ガングレリを授ける。そのおどろおどろしい外見に、のみならず紅炎たちも僅かに引いたように息を呑んだが、おそるおそるながらも受け取って礼を述べたに紅徳は捕虜を倒せと命じた。それが捕虜の処刑を意味していることを知っている紅炎は止めさせようと口を開くが、それよりも先に広間に武器を手にした捕虜が駆け込んでくる。
「白夜の忍のジャーファルと申します、お見知りおきを」
「……炎の部族のマスルールだ」
暗器と金棒をそれぞれに構え、名乗る捕虜の二人には頭を下げて魔剣を構える。
「暗夜王国の第一王女、と申します」
「……?」
「? どうしました?」
「……いえ、何でもありません」
怪訝な顔をしての名前を繰り返したジャーファルだったが、の問いかけに首を横に振る。カシムとバルカークがの後ろでそれぞれに武器を持ち、戦闘は開始された。
「――いい勝負でした、ありがとうございます」
くるりと剣を収めたが、地に膝をついたジャーファルとマスルールに頭を下げる。こちらの動きを鈍くする毒があるジャーファルの手裏剣と、その隙を見逃さず重い攻撃を叩き込んでくるマスルールには苦戦したが、長くを共にした従者の二人との連携と、竜脈によって作り出した回復の魔法陣によってたちは勝利を収めた。カシムさんとバルカークさんもありがとうございました、と礼を言うに、紅徳の冷ややかな声が飛ぶ。
「何をしている、そいつらを殺せ」
「お父様……? この人たちはもう、戦意を失っています」
殺す必要はないと訴えるに、やはりか、と紅炎たちは頭を抱えた。の頬をかすめて捕虜へと向かった火球。紅徳の放ったそれはジャーファルたちからすれすれで外れ爆発を起こす。ハッと振り向いたは続く二撃目から二人を庇い、殺す必要はありません! と再び紅徳へ叫んだ。
「……なんてことを」
王命に背いて捕虜を庇ったばかりか紅徳に逆らったに、紅明が顔を真っ青にして呟く。憤った紅徳から邪魔する者ごと捕虜を殺せと命じられた紅炎は、苦々しい顔付きで捕虜を背後に庇うへとジークフリートを向ける。
「どけ、」
「紅炎お兄様! この人たちはもう、戦えません、そんな人たちを殺してしまっては……!」
「それでもだ、」
力づくでも退かす、と紅炎がへ斬りかかる。手合わせの時とは違いとてつもなく重い一撃に、しかしは歯を食いしばって耐えた。背後に人の命を抱えているのだ。
「ちょっとやめなよ! 炎兄もも!」
「…………」
冷や汗を浮かべて叫ぶ紅覇の横で、紅明がごそごそと神器ブリュンヒルデを取り出す。剣戟を交わす二人の背後にいた捕虜の二人を、ブリュンヒルデによる魔法が襲った。突如生えてきた木々に、強かに打ち付けられたジャーファルとマスルールはばたりと倒れる。うめき声に振り返ったの口から、引きつった悲鳴が漏れた。
「……父上、不出来な妹の不始末は私が片付けました。ここは私に免じてくださいませんか」
「もうよい! 追って処分は伝える!」
薄い笑みを浮かべて進言する紅明に、紅徳は苛立ったように玉座から立つと歩み去っていく。
「紅明お兄様、なんてことを、」
「しっ、、静かに」
「……?」
紅明に抗議しようとしたを、紅覇が止める。
「捕虜たちの持ち物を調べたい、死体は俺の館に運んでおけ」
ジークフリートを下ろした紅炎が兵に命じると、頷いた兵たちはジャーファルとマスルールの体を運んでいく。その指先が僅かにぴくりと動いたのを見て、は息を呑んで紅明へ振り返った。
「紅明お兄様、まさか」
「ええ、殺したふりです。上手くいってよかった」
「明兄ナイスー!」
「だが、あまり無茶をするな。寿命が縮む」
「ごめんなさい、紅炎お兄様……紅明お兄様も、紅覇お兄様も、すみませんでした」
「まあちょっとヒヤッとさせられたけどぉ、それがのいいところだしねー」
「優しいのはあなたの長所ですが、時と場合によりけりですよ。私たちがいれば、可能な限りフォローはしますが」
「はい……」
それでも、無為に人の命を奪わなくて良かったと安堵するに、紅明たちは顔を見合わせて笑った。
「今回は妹の優しさに免じてお前たちを解放してやる。見咎められない内に消えろ」
「………………、」
紅炎の館の庭で、紅炎とは捕虜の二人を解放する。ジャーファルは何かもの言いたげにをじっと見つめていたが、がそれに首を傾げるとハッとしたように姿勢を正してその場から走り去って行った。
「……今回のことは礼を言うが、次に会った時は敵だ」
その鋭い目でじっとを見て口を開いたマスルールに、は首を横に振る。
「そうならないことを願ってます。もしぶつからなければならない時が来てしまっても、私はできるだけ戦いを避けたい。白夜のあなたと暗夜の私が今こうして言葉を交わせている、こんな時間が消えてしまうのは悲しいことですから」
「……世間知らず」
「え?」
「暗夜に世間知らずの王女がいるという噂があった。どうやらそれは本当だったみたいだが、」
「…………」
「そのおかげで命を救われた。ありがとう」
世間知らずという言葉に自覚があるためショックを受けているに再度礼を言うと、マスルールもその場から走り去って行った。その影が完全に見えなくなって、踵を返したの頭に紅炎がぽんと手を乗せる。
父の不興を買ったことへの不安も、自分のしたことは世界を知らない子供の我が儘だったのではと思う気持ちも、紅炎の手のぬくもりがじんわりと溶かしていく。ありがとうございます、と呟いたに紅炎は、なんのことだ、と素っ気なく返してわしゃわしゃとの頭を掻き回した。
150721