「……どうして」
 目の前で飛び散った鮮血に、目を見開いたの口からぽろりと嘆きがこぼれ落ちた。
「任務は偵察のはずでしょう!?」
 白夜兵を次々に虐殺していく呂斎を止めようと剣に手をかけるが、それよりも早く仲間を殺されて憤りに燃える白夜兵がたちにも斬りかかってくる。歯を食いしばってそれらをいなしながら打開策を探すに、偵察任務を続けることは不可能だとバルカークが叫ぶ。
様、もう偵察は無理だ、戦うぞ! こうなったら生きて戻ることだけ考えろ!」
 暗器を取り出したカシムもに戦うことを促し、を守ろうと前面に立つ。やるしかないのかと唇を噛み締めて、は剣を構えた。

 たちが国境付近の無人の砦への偵察任務に出されたのは、紅徳の命令に背いて捕虜を庇ったことを償うためだった。と従者だけで任務を成功させれば、本来死罪となるはずのを許すと紅徳は言った。
「でもやっぱり一人で行かせるなんて心配だよぉ、僕たちもついて……」
「それはダメだぜ、紅覇」
「ジュダルくん? どうしてさ?」
 を心配してついて行こうとした紅覇の後ろからかかった声に、紅覇たちは振り返る。そこには暗夜軍の軍師を任されているジュダルが立っていた。
「あのブタ曰く、この偵察行は妹ちゃんへの試練なんだとよ。こいつにこの国を治める資格があるのかどーか試すつもりでいんだから、助けたら意味ねーだろ?」
「そうは言ってもですね……」
「……わかりました。この任務、必ず成し遂げます」
 渋い顔をした紅明を遮って、が真剣な顔をして頷く。精々頑張れよ、と笑ったジュダルの影から、紅徳ともう一人男が現れた。どこか酷薄そうな顔をしたその男を、紅徳が紹介する。
「この男は呂斎という。、偵察任務にはこいつも連れていくといい。お前の任務の助けになるだろう」
「ありがとうございます、お父様」
「…………」
 頭を下げて礼を言ったの肩を、紅炎が掴む。不思議そうに顔を上げたの耳元に顔を寄せて、紅炎が囁いた。
「……。あの男……呂斎には気をつけろ」
「え? それはどういう……」
「あの男は過去、数々の略奪や殺人を重ねてきた重罪人だ。父上によって兵に取り立てられたが……決して油断するな」

 そしてやってきた無限渓谷は、白夜と暗夜を分かつ果てしない谷。無人のはずのそこで待ち伏せていた白夜軍を見て、は仲間たちに一時撤退を命じたのだ。けれど呂斎が勝手に白夜兵を殺し、戦いが始まってしまった。
「どうして、どうして勝手に、白夜兵を殺したんです!? 話し合えばわかるはずでした、いったん引いても良かったんです、それなのにどうして!?」
 常になく声を荒らげるに、カシムとバルカークはの悲しみを感じ取って戦いながらも眉を顰める。けれど呂斎はニヤリと嫌な笑みを浮かべて口を開いた。
「まったく、噂通りの甘っちょろい王女様ですね。その甘さのせいで、ここでくたばるわけだが……」
「……?」
 訝しげに眉間に皺を寄せただったが、そうしている間にも白夜兵は押し寄せてくる。は唇を噛み締めて、紅徳から授かった魔剣ガングレリを握り直した。

「……これで、お父様の任務は果たせました……」
 息を乱しながら、制圧した砦の地面に剣を突き立てる。任務を果たした安心感よりも、無為な戦いで罪の無い人々の命を奪ったことへの後悔の方が大きかった。地面や鎧に飛び散った血。倒れ伏した死体の数々。出発の前にの無事を願ってくれた紅炎たちのように、彼らにもきっと待っている人たちがいたはずなのに。矢傷を受けたカシムや、浅いとはいえど斬られて傷を負ったバルカークの手当をするの表情は暗い。一人で白夜兵に突っ込んでいった呂斎は、深手を負って撤退していった。自分たちも任務を果たした以上撤退しようとするの前に、新手の白夜兵が現れる。
「……貴様、暗夜軍の将だな」
 先日戦ったジャーファルたちと似た格好をした忍たちが、たちに向けて武器を構える。軽傷とはいえど今の戦いで消耗しているたちが不利に違いなく、カシムたちを庇うようには剣を携えて立ち上がった。
様!」
 に向けられた刃に、カシムが叫ぶ。迫る刃にがグッと唇を噛み締めた瞬間、と白夜兵の間に割って入った影があった。
「……そうはさせん」
「貴様は……」
 刃を弾いた相手に、白夜兵が舌打ちをする。を庇った大きな背中が、振り向いてへと微笑みかけた。
「間に合ったか。無事でよかった、
「紅炎お兄様……!」
 頼れる長兄が駆け付けてくれたことに、の顔がほっと緩む。紅炎の後から次々とやって来た兄たちの姿にの藍色の瞳がきらめき、カシムたちも安心したように詰めていた息を吐いた。
「大丈夫~? 、とっても心配したんだよぉ?」
が死んでしまったら、私も悲しくて死んでしまいますよ」
「お兄様……」
、怪我してるの? 誰にやられたのさ、かわいそうに……」
 あちこちに傷を負ったの姿を見て、紅覇が眉を顰める。
「だ、大丈夫です、紅覇お兄様」
「安心してよぉ、をいじめる悪者は……お兄様がみぃんな殺してあげるからさぁ。見ててね、
 慌てた声で止めようとしたに笑いかけて、紅覇はドラゴンに乗って翔けていく。次々と白夜兵を斬っていく紅覇に、たちは引き攣った笑いを浮かべた。
「敵の増援か……さらに後続も来るようだな」
 白雄様の率いる本隊がもうじき到着なさる、という白夜兵の言葉を聞いて、紅炎が表情を引き締める。
「なるほど……どうしますか、兄王様」
「目的は達した、無駄に命を奪う意味もない。、お前はバルカークと先に戻れ。俺たちも後から追いかける」
「はい、わかりました」
 紅炎の言葉に頷いたが、バルカークに続いて駆けていく。それを見送った紅炎たちが、迫る白夜兵に向けて冷たい表情と武器を向けた。
 
151109
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