「あの、やっぱり龍兄様をシークレットサービスとして働かせるわけには……私が龍兄様のSSに、」
「何を言うんだ、お前にそんなことをさせるわけがないだろう。何も心配しなくていいから、二人で一緒に幸せに暮らそう」
 スーツ姿の少年と、清楚なワンピースに身を包んだ少女が、高級そうなマンションの前でスーツケースを挟み真剣な顔で話し込んでいた。大きなトラックから荷物を下ろしていく業者たちはそんな少年少女は気にしないことにしたらしく、忠実に職務を遂行している。ただならぬ様子の二人を遠巻きに見て、道端の主婦がひそひそと言葉を交わしていた。
「ここの住人ってSSが付くらしいけど……ずいぶん若いのね」
「しかも兄妹らしいわよ」
「兄が妹の護衛なんて……訳ありかしら」
「もしかして禁断の愛? 駆け落ちなんじゃない?」
 囁き声は、本人たちが思っているほどひそめられていない。決まり悪げに唇を噛んだの頬にそっと手を当てて唇を撫でた白龍は、柔らかな唇を指でなぞって噛むのを止めさせる。ハッとしたに優しく微笑んで、その肩越しに白龍は主婦たちを睨み付けた。鋭い眼光にそそくさと逃げて行く主婦たちを見て鼻を鳴らした白龍に、背後から声がかかる。
「……久しいな。白龍、
「紅炎殿、」
「紅炎お兄様、お久しぶりです」
 ハーフアップの紅い髪を揺らして、玄関ホールから顔を出した従兄弟に兄妹は挨拶をした。淡々とした温度の白龍と、しばらく会っていなかった紅炎を前にどことなく嬉しそうにする。顔以外あまり似ていない兄妹だ、とこの二人に関わる人間が大抵持つ感想を抱きつつ、紅炎はの横にあるスーツケースを持とうとする。しかしそれは黒の手袋を嵌めた白龍の手にさりげなく払われ、相変わらずだな、と紅炎は争う気もないのであっさり手を引いた。
「いろいろ苦労したと聞いたが、元気そうで何よりだ……その内白雄殿たちも帰ってくる。何はともあれ、よろしく頼む」
「はい、こちらこそよろしくお願い致します」
「……よろしくお願いします」
 部屋まで案内しよう、と紅炎が二人を先導する。スーツケースを左手に持った白龍が、右手で最愛の妹の手を引いた。

 白龍とは、練家の末弟と末妹だ。練家は先祖に妖怪のいる血筋同士で婚姻を重ねてきた名家で、今代の子女は皆それぞれの血筋の先祖返りだっために奇跡だと言われ周囲は喜びに湧いていた。もちろんそれは白龍とも例外ではなく、縁起のいい存在であるとされる先祖返りの二人は兄姉同様とても大切にされてきた。
けれど、母である玉艶のに対する執着は度を越していて。ほとんど軟禁に近い境遇にあったに、白龍はずっと寄り添い続けていたけれど。外に出たいと虚ろな目で泣いたのために、白龍は当主である父親に直訴して、兄姉も住む先祖返りたちの共同体「メゾン・ド・章樫」、通称妖館で生活することを条件に二人でひとつの自由を得たのだった。けれど、妖館には入居者一人につき一名のシークレットサービスが付くことになっていて。普通は妖館に入居しているSSの誰かを雇うのだが、二人のどちらかがどちらかのSSになるというのが白徳が出した条件だったのである。迷わず自分がSSになると言った白龍に、は申し訳ない気持ちでいた。
「……龍兄様、お茶くらいは私が……」
「いいんだ、護衛から身の回りの世話に至るまで、俺がお前にしてやりたいことだから」
 の好きなミルクティーを淹れる白龍は、引越しの片付けから食事の支度まで全てが手を出す間もなく一人でやってくれたのだ。兄妹なのに家事を一方にだけ押し付けてしまうのは心が痛む。これではまるで護衛ではなく使用人だと眉を下げるの足元に膝を付いて、白龍はを見上げた。
「俺はお前に傅きたいんだ、
 母親の愛情という名の檻に囲われて、心を擦り減らしてしまった可愛い妹。を助けるために自立の道を探して外へ出た兄姉たちと、を守るために同じ檻の中に留まった白龍。ようやく外へ解放された今も、愛しい妹の瞳はまだどこか虚ろで、長かった軟禁生活に押し潰された心はぺしゃんこなままだ。新しい二人の生活で、白龍はの身も心も守りたい。大切にこの掌の中で慈しんで、愛おしんで。のために何でもしてやりたいと、白龍はそのために迷わずSSの道を選んだ。
「俺が、お前の全てを守る。俺があの家を出たかった理由はそれだけだ。お前のいない自由には微塵の価値もない。お前が不要だと言ったその瞬間から俺にとって世界は不要になる。だから……」
 ヒュンッと手を振って、白龍は一振りの荘厳な太刀を顕現させる。それをの小さな手に握らせて、白龍は笑った。
「SSの俺が要らないというのなら、この刀で俺を処分してくれ。お前に必要とされないのなら死ぬ」
「っ、生きてください!」
「なら、俺はお前に必要だということでいいな?」
 慌てて血の気の引いた顔で刀を突き返したに、白龍はにっこりと微笑む。の手を引いて、その指先に口付けを落とした。
は優しいな……愛らしくて、尊くて、誰よりも慈しみに溢れていて……俺はそんなお前の、犬になりたい」
「!!?」
 兄から受けた下僕願望宣言に、凪いだ藍色の瞳が凍り付く。が感情を取り戻す日は、そう遠くないかもしれなかった。嫌な意味で。
 
150209
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