ここではないどこかへ行けたら、
誰でもない自分になれたら、
かみさまは、きっと微笑んでくれると思うのです。
「シン、がサーヴァントを召喚しました」
「……そのようだね」
まったく、頑固な子だ。仕方なさそうに肩を竦めてシンドバッドは笑う。笑い事じゃないですよと呆れたように言うジャーファルを宥めて、シンドバッドはアウターカソックの裾を翻した。
「おまけにサーヴァントの槍兵は、『練白龍』か。これも運命というものかな」
「……彼を排除しますか? サーヴァントを失えば、も諦めがつくかもしれませんよ」
「いや、ああ見えてあの子は意思が強いからな。アーチャーのマスターがに契約を譲渡する、なんて事態になっても困る。とはいえの腕を切り落とすなんて以ての外だ、無理に令呪を剥がしてもあの子が傷付く」
「それで、どうするんですか?」
「他の参加者を潰してしまえばいい、そうすればが勝者だ。が聖杯に辿り着いた時、どんな顔をして俺に縋ってくれるのか楽しみだな」
「シン、もしかして楽しんでいませんか?」
「いいや、あの子に傷ついて欲しくないという気持ちは本当だ。だが、俺にはわかるんだよ。はいずれにしろ、聖杯に何らかの形で関わることになる」
「…………」
「そこでだ、ジャーファル、お前に動いてほしんだが。『彼女』はこういうことには向いていないし、まだ表に出すには早いからな」
「……ええ、わかりました。シンとのためならば」
カソック姿のジャーファルが、両の拳を合わせてシンドバッドに頭を下げる。その瞳は、深みを帯びた緑に輝いた。
「義父(とう)さま、ごめんなさい」
「……どうしたんだ、。いきなり頭なんか下げたりして。またどこかで転んだのかな? どんなに高価なものを割ったりしても、俺は怒ったりしないだろう?」
「こ、転んでません! そうではなくて、実は……」
いきなりがばりと頭を下げたに、シンドバッドは一瞬瞠目したもののすぐににっこりと笑みを浮かべて愛娘の頭をぽんぽんと叩く。真っ赤な顔で頭を上げたが振り向いた先で、霊体化していたランサーが実体化した。生前の白龍と服しか違わない姿に、シンドバッドは瞠目してみせる。ランサーの白龍もまた、シンドバッドの姿を見て僅かに目を見開いた。
「サーヴァントを、召喚、したんです。言いつけを守れなくてごめんなさい、義父さま。でも私、どうしても叶えたい願いがあるんです……!」
「……彼については、今は何も訊かずにおこう。問題は、聖杯戦争のことだ。のことだ、何を言っても一度決意したことは貫くんだろう? 本当なら、サーヴァントに自害させてでも参加を止めるよう言うつもりだったんだが……」
「っ、」
「そのサーヴァントにから自害を命じさせるなんてこと、俺にはできないからな。弱ったね、、君の幸運は君にとって最良のサーヴァントを喚んだようだ」
「義父さま……!」
「俺は監督役だから、悔しいがに肩入れはできない。ジャーファルも俺の助手だから同様だ。、君はサーヴァントと二人で聖杯戦争を勝ち抜かなければならない、それはわかっているね? アーチャーは……あまり信用し過ぎないでくれ。それともう一つ、約束してくれるのなら俺は君の参加についてもう何も言わない」
「約束、ですか?」
「ああ。誓ってくれ、。絶対に勝利よりも生きることを優先すると。本当の危機を迎えたら、ランサーを盾にしてでも自分が生き残ることを選ぶと。君のお兄さんもお姉さんも、君が自分たちのために命を擲つことは望まない」
「……、」
「それが誓えないのなら、俺は今ここで君の腕を切り落とす」
金色の瞳が、強い光を放つ。シンドバッドは本気だと、には理解できた。平行世界の白龍であるランサーを盾にしてでも、生き永らえると、そうに誓えるのか。けれどその誓がなされなければ、の願いは優しい義父の手によって潰えるだろう。ぐっと唇を噛み締めて震えたの肩を、ランサーがそっと掴んだ。
「誓ってください、マスター。そんな選択をあなたにさせないために、俺はここにいる」
「ランサー、さん」
「大丈夫、俺はあなたの前から決して消えたりはしない。俺の命をあなたの重荷になどしない。だから誓ってください、あなたの願いを始めるために」
「…………」
優しくを諭すランサーに、は確かな兄の面影を見て瞳の藍色を滲ませる。じっと探るようにランサーを見つめていたシンドバッドの眉間に、僅かに皺が寄った。
「……誓います、義父さま。私は、ランサーさんを盾にしてでも生き残ります。お兄様とお姉様のためにも、今いてくれる家族のためにも」
「……わかった。かわいい愛しい娘に、神の加護があらんことを」
ありがとうございます、義父さま。再び頭を下げたのつややかな髪を、シンドバッドの大きな手が撫でる。を挟んで、シンドバッドとランサーの視線が交錯した。須臾の間に、しかし確かに。
「…………」
「…………」
ランサーとシンドバッドは、ほぼ同時に口元に笑みを浮かべる。その表情は、酷似しているようでもあり、全く重ならないようでもあり。それに気付かないだけが、ただ一人本心から安堵の笑みを浮かべていた。
160322