たったひとりのかみさまでした。
愛していました。愛してくれました。
笑いかけました。笑いかけてくれました。
救いました。救ってくれました。
 何もできない、かみさまでした。
何でもできる、かみさまでした。

「……アリババ先輩に、暗示をかけました」
 ふらふらと立ち上がり去っていくアリババを見送りながら、複雑そうな表情では教室の窓を閉める。くるりと振り向いた修道服の少女は、まっすぐに赤い髪の青年を見つめた。
「今日のことは、アリババ先輩の中で無かったことになります。一般人の先輩を、これ以上聖杯戦争に巻き込むわけにはいきません。アリババ先輩の安全が確保できるまでは、傍に使い魔を置いておきます……まだ、続けますか?」
 の問いに、青年は首を横に振る。
「いや、俺の元々の目的はこの結界の術者を見つけて排除することだ。君たちが競争相手とはいえ、一般人を巻き込んでしまった後に戦闘を続行する気もない」
「……そう言ってもらえて良かったです」
「いい勝負だった。次も楽しみにしている」
「…………」
 青年の言葉にランサーは応えず、とはいえマスターであるの意向に逆らう気もないので去っていく敵サーヴァントを黙って見送る。戦いを中断させたためにランサーの気分を害してしまっただろうかと不安そうにするに、ランサーは優しく微笑んだ。
「いえ、良い判断でした。あれを襲った何かや、向こうのマスターまでやって来て混戦になればあなたの身も危なくなってしまいますから」
「……その、ランサーさん」
「はい、何でしょう」
「ランサーさんのいた世界には、アリババ先輩もいたんですか?」
 の問いに、ランサーの表情が強ばる。それを見て、やはりそうなのだとは確信した。アリババを見た時のランサーの表情は、驚愕と、こちらの白龍でさえ浮かべたことのないような複雑な負の感情を宿していて。
こちらの白龍とアリババは、時折相容れないながらも不思議とうまく噛み合った友情を築いていた。向こうの白龍とアリババは、どんな関係だったのだろう。そして、向こうの白龍と、は。
「ええ、いましたよ。 ……たぶん、友人だったのでしょうね」
「……ごめんなさい、立ち入ったことを訊きました」
 ランサーの表情と曖昧に濁された言葉に、あまり話したいことではなかったのだろうとはランサーに頭を下げる。謝るにいえ、と首を横に振ってランサーは武器をしまった。
「結界の解除を急ぎましょう、。先ほどの戦闘に気付いた他のサーヴァントやマスターがやって来ないとも限らない」
「……はい」
 アリババのように、魔術師の争いに巻き込まれてしまう生徒がこれ以上出てはいけない。ランサーから視線を逸らして探索を再開したを、どこか熱を孕んだ視線でランサーは見つめていた。

「……!!」
 結界を構築する術式の結び目にあたる部分を見つけ一つずつ解除していたが、弾かれたように顔を上げる。何事かと振り向いたランサーを置いて、はその場から勢いよく走り出した。
!?」
 ランサーが制止しようとするも、は止まらずに階段を駆け下りて校舎の外へと飛び出す。そのまま校外へ駆けていこうとしたの腕を掴んで、血相を変えたランサーがを引き留めようとしたが、真っ青な顔のが縋るようにランサーを見上げたことに息を呑んだ。
「っ、どうしたんですか?」
「アリババ先輩が……!! はやく、追いかけないと、」
「え……?」
「使い魔が消えたんです! また誰かに攻撃されて……アリババ先輩が危ないんです、助けに行かないと、」
「…………」
 アリババを助けに行こうと焦っているを見下ろして、ランサーはぐっと唇を噛む。結界の解除はほとんど終わっており、仮に発動したとしても誰かが死ぬまでには至らない。アリババはおそらく、先ほどの襲撃者に襲われているのだろう。心臓を一突きで殺した相手に襲撃を受けているアリババと、命には関わらない結界では明らかに前者の方が優先度が高い。を引き留める理由もなく、ランサーは宝具である槍の力を発動した。
「わあ……!?」
「……俺のスキルの一つです。空気中の微生物から眷属を作り出しました。これに乗って移動しましょう、は視線誘導と認識阻害の魔術をお願いします」
「は、はい……! ありがとうございます、ランサーさん!」
「いえ、の願いですから」
 の小さい体を軽々と抱き上げ、ランサーは空気中に創り出した眷属の上へと飛び乗った。が人の目につかないためにいくつかの魔術をかけたのを確認して、使い魔が消えたという地点を目指して眷属に移動させる。
「アリババ先輩……」
「……なぜ、あの人を助けようとするんですか?」
「え……」
 ランサーの問いかけに、夜の冷たい風を受けながら祈るように手を組み合わせていたが目を瞬かせる。
「確かに、人命は尊い。救える命が目の前にあれば、一も二もなく救うのがだと俺は知っています。けれど、魔術師というのは損得で動くものでしょう。大勢の生命力を奪う魔術を阻止するというのは、まだ合理的な理由がつけられます。おそらくあれは他のマスターが仕掛けた結界で、あなたの義父は監督役だから、あの魔術が発動すれば処理のために大きな負担を強いられる。それに、それだけの魔力を蓄えた相手は面倒だ。けれど、一般人の一人が死んだところで何の損失も無ければ、助けることで得をすることもない。 ……どうして、あの男を助けるんですか?」
「…………私のためです」
 淡々としたランサーの疑問を受けて悲しそうな顔をしたが、組んだ指の先を見下ろして口を開く。片眉を上げたランサーにようやく聞こえる程度の声で、はゆっくりと言った。
「私が助けられるかもしれない人は、助けたいんです。お兄様たちの時のような後悔は……もう二度としたくありませんから」
「………………」
「それに、」
「それに?」
「……龍兄様が帰ってきた時にアリババ先輩がいなかったら、きっと龍兄様は寂しいと思うので」
 躊躇いながらもが口にした答えに、ランサーは目を見開く。月明かりを受けて微笑むが、どこか泣いているように思えた。
は、心の底からきょうだいを取り戻すことを望んでいる。戻って来たその時に、彼らの世界に一筋の亀裂もないことを願っている。が背負う願いは途方も無く大きく、けれどランサーはそれを傲慢だとは思わない。それでも。
「…………」
 にもきっと、まだ気持ちの整理はついていないのだろう。白龍を取り戻すための戦いで、別の世界の白龍を喚んでしまったことによる混乱や動揺もまだ収まっていないはずなのだ。そしてランサーにも、英霊という存在になってまで求める願いがある。その理由に近しいものが目の前にいることによる感情の振れ幅は、きっとと変わりないほどに大きい。
もランサーも、まだお互いへの気持ちを割り切れていない。今はまだそれでいいと、思いたい自分もいる。けれどやはり、最愛の妹と等しい存在が、自分ではない自分を求めて戦う姿に、ランサーの胸はちくりと刺されたような痛みを覚えたのだった。
 
160331
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