「退いてください、ランサーさん」
こわばった声が、重く停滞していた空気を震わせた。
「マスター、」
何やら因縁のあるらしいセイバーを前に刃を収められない様子でいるランサーが、振り向いてに呼びかけるが、は険しい顔で首を横に振った。
「退いてください。アリババ先輩に、私たちと争う意思はないはずです」
「ですが、あなたの敵です。あの男はセイバーを召喚しました。経緯はどうあれ、あの人間は聖杯戦争の参加者で、あなたの望みを阻む敵なんです」
「今のは偶発的な召喚です、セイバーを討たなくてはならないとしても、アリババ先輩まで殺す必要はありません。どうか退いてください、ランサーさん、アリババ先輩を傷付けないでください……!」
「……マスター、それは」
承服しかねます。地を這うような低い声と同時に、ランサーが槍を掲げた。八芒星の輝きに呼応して、を守るように傍にいた白龍の眷属がに巻き付いて拘束する。ランサーさん!? との悲鳴が狭い土蔵に木霊するが、ランサーはアリババを真っ直ぐに見据えて槍の切っ先を突きつけた。
「……俺はあなたと戦わなければならない、『アリババ殿』。『そうでなくては、意味がない』」
「何、言ってんだよ、白龍……!? を離してやれよ、お前は何をしてるんだよ……?」
「『あなた』には、解らないことだとしても……俺は、」
「――令呪を以て命ずる、」
「っ!!」
震える声が、アリババとランサーの睨み合いに割って入る。赤い輝きに気付いてハッと振り向いたランサーはの拘束を強めようとするが、それよりも早く泣きそうな顔のが唇を震わせて言葉を紡いだ。
「ランサー、あなたは、アリババ先輩に危害を加えてはならない……!!」
の手の甲に浮かぶ幾何学模様が強い光を放ち、三画の内の一画が弾けて消える。弾けた赤い光がランサーを拘束するように収束し、その直後にランサーが浮かべた苦々しい表情は令呪の絶対的命令権が正しく行使されたことを示していた。
「……お前には、願いがあるのだろう」
事態を静観していたセイバーが、に向かって静かに問いかける。ギリギリと歯を食いしばり自分たちを睨みつけてくるランサーをちらりと見て、セイバーは言葉を続けた。
「ランサーはお前のために誰を殺してでも願いを成就させようとしていたようだが……敵を助けるために令呪まで使って、お前はそれでいいのか」
「……敵じゃありません」
セイバーの問いかけに、は静かに首を横に振る。が視線を向けたランサーは、小さく息を吐いて眷属による拘束を解いた。
「アリババ先輩は、敵じゃありません。あなたが、私の敵なのだとしても。私は私の願いのために、セイバー、あなたを倒します。絶対に、倒します。それでも私は、アリババ先輩を殺しません。私の願いは、アリババ先輩が死んでしまったら……その意味のほとんどを失ってしまうから」
「……どういう、ことなんだよ、。どうして白龍が、死んだはずの白龍が、お前と一緒にいるんだ? 戦いとか願いとか、は一体何に巻き込まれてるんだよ?」
「……アリババ先輩、巻き込まれているのは私じゃありません。私は自分から、この戦争に参加することを選びました……巻き込まれたのは先輩です、先輩は、魔術師の殺し合いに……聖杯戦争に、巻き込まれたんです」
「聖杯、戦争……?」
「『どんな願いでも叶える』、万能の願望器……聖杯を巡る、七人のマスターと七騎のサーヴァントによる戦争です。ここにいる龍兄様は、ランサー……英霊である、平行世界の龍兄様です。この世界にいた龍兄様では、ありません……。先輩は、何故かひとりのマスターとして戦争への参加権を得てしまいました。その手の甲の赤い模様……令呪が、戦争の参加者、マスターであることの証です」
の言葉に、アリババはバッと自分の手の甲を見下ろす。そこにはいつの間にか、真っ赤な幾何学模様が刻まれていて。
「……令呪は、魔術回路の備わっている人間であれば魔術師でなくとも聖杯から与えられることがあると聞いたことがあります。セイバーの召喚は、偶発的なものとしか今は説明がつけられませんが……」
「…………」
「先輩、お願いします、この戦争から離脱してください。過去にも偶然マスターになってしまった人間が、監督役に令呪を譲渡してマスター権を放棄した例はあります。私は、どうしてもこの戦争で勝ち取らなければならない願いがあるんです。セイバーが存在し続けるのなら、いずれは討たなくてはならない。そうなった時に、アリババ先輩を傷付けたくないんです。そうでなくても、マスターでいる限り先輩は他のマスターに命を狙われ続ける。先輩は一般人なんです、どうか今日のことは忘れて、この戦争から手を引いてください……!」
「……、お前はなんでそんな危ない戦争に参加するんだよ? そこまでして叶えたい願いって、何なんだ?」
「……家族を、取り戻すことです」
「っ、」
「龍兄様を、瑛姉様を、蓮兄様を、雄兄様を。生き返らせて、前みたいに、みんなで……」
きょうだいがいて、家族がいて、友人がいて。誰も欠けることのない、日常を。それを取り戻すことが、が命を懸けて望む願いだ。例え目の前に立つのが大切な兄の友人だとしても、微塵も揺らがない願い。修道服に身を包み、十字架を下げていても、世界を越えても、変わらない瞳。セイバーが、静かに瞬きをした。
「私は、命を懸けてきょうだいを取り戻すと決めたんです。お兄様たちのいる日常を、取り戻すと決めたんです。そこにはアリババ先輩もいてほしい。アリババ先輩に、欠けてほしくありません。だから退いてください、アリババ先輩。私はあなたを、敵だと言いたくない」
「……俺はお前の敵にならないよ、」
「…………、」
アリババの返答に、セイバーとランサーがそれぞれピクリと眉を動かす。聖杯戦争から降りてくれるのだと安堵の表情を浮かべたは、続くアリババの言葉に藍色の目を見開いた。
「俺も一緒に戦わせてくれ、。俺は、お前の味方になりたいんだ」
「……!!?」
何を言っているのだと、とランサーはそれぞれ驚愕を浮かべて凍り付く。けれど二人が上げようとした制止の声は、強い琥珀色に気圧された。
「俺は、お前の敵にならない」
強い意思を込めた声と共に、真っ直ぐに伸ばされた手がの目の前に差し出された。
160612