「聖杯戦争は、とても危険なんです、アリババ先輩」
 差し出されたアリババの手を見下ろすの表情は、暗く青ざめていた。
「お願いします、先輩、先輩が考えているよりもずっと、本当に危ないんです。先輩が命を危険に晒す理由なんて、どこにもないんです」
「理由なら、ある」
 必死に言い募るに一歩近付いて、アリババは強い眼差しをに向けた。
が取り戻そうとしている日常は、俺の日常でもあるんだ。白龍が帰ってくるためなら、俺だって戦う」
「……私の戦いです、先輩を巻き込むわけには」
 スッと、の視界を大きな手が遮る。静かにの言葉を止めたセイバーが、感情の読めない瞳をアリババに向けた。
「お前の願いは、借り物の願いで良いのか。勝者には望みうる限りのものが与えられるこの戦争で、対価も無しに他人のために命を削るのか」
「……願いなんて、俺にはないのかもしれない。それでも、が戦っているのを知っていてただ見ているなんてできないし、今日の俺みたいに巻き込まれる人がいるとしたら、俺はそれを放っておけない」
「随分と無欲なことだ、魔術師らしくもない。だが良いだろう、お前に手を貸してやる」
 フンと鼻を鳴らしたセイバーは、の眼前に翳していた腕を下げた。チラリとを見下ろしたセイバーの眼差しに、はびくりと肩を揺らす。セイバーの表情は哀れみと懐古と後悔を綯交ぜにしたような複雑なもので、けれどがそれを疑問に思う間もなく、それは消えてしまった。
「……その男と同盟を組むのですか、マスター」
 いかにも不承不承といった様子で苦々しげに口を開いたランサーの拳は、ふるふると震えていた。槍を握る手には血管が浮き出るほどに力が籠っており、ランサーが今この時でもアリババにその鋒を向けようとしているのは明白だった。令呪に全力で抗おうとしているが、マスターの絶対命令権には逆らえない。そんなランサーを見て悲しそうに眉を下げたは、ランサーの問いかけに頷いて言った。
「先輩の意志がここまで固いのなら、私はもう先輩の令呪を無理矢理奪う他に止める手立てがありません……それよりは、一緒に戦ってくれるという先輩の言葉を信じたいんです。戦力的に考えても、セイバーの存在は大きいですし」
「ですが、その男自身はたまたま魔術回路が備わっているだけの一般人でしょう。セイバーが限界し続けるための魔力すら、賄えるかどうか……それに何より、いつあなたを裏切るかわからない存在を、あなたの傍に置いておきたくない」
 それはアーチャーにも言えることですが、とランサーはため息を吐く。ランサーに睨み付けられたセイバーが、ふうと息を吐いた。
「なら、こちらも令呪で俺の裏切りを封じさせればいい。俺のマスター単体なら、仮に裏切ったところでそちらには脅威になり得ないだろうからな」
「お前も願いを持たないなどと言うのか、セイバー」
 嘲笑にも似た笑みを浮かべて、ランサーはセイバーに鋭い視線を向ける。
「聖杯に望むものがあるから、お前も召喚に応えたのだろう」
「……俺の願いは、まだ生きているからな」
 それだけ言ったセイバーが、もうこれ以上話すことはないと言いたげにランサーからアリババたちへと視線を逸らす。その視線を受けたは、ビクッと震えてアリババが差し出したままの手を見下ろした。ぎゅっと拳を握り締めて、ごくりと唾を飲み込む。深く息を吸って、はそっとアリババの手を取り両手で握り締めた。
「……お願いですから、無理だけはなさらないでください、アリババ先輩。私が全力で、先輩のことを守りますから」

「……まったく、うちの子は本当に頑固だね」
 眠るを、シンドバッドとジャーファルが見下ろしていた。ランサーは今夜応戦した二騎のサーヴァントの捜索に出ており、部屋には彼ら三人しかいない。
「まさか敵のマスターを守るために令呪を一画消費してしまうなんて、お前は予想できたか? ジャーファル」
「私も驚いていますよ。聖杯戦争はまだ正式に開始されてはいませんからね……本当に、優しい子です」
 眠るの前髪を、シンドバッドの大きな手が退けた。丸く白い額を撫でて、シンドバッドは口元に笑みを浮かべる。
「さて、学校に仕掛けられた魂喰らいの結界を解いたマスターに、一般市民を守ったことに対する報奨を与えなければいけないな。令呪一画が妥当だと思うが、どう思う?」
「明らかな贔屓ですね。親馬鹿丸出しです」
 容赦のないジャーファルの言葉に、シンドバッドは肩をすくめる。
「だが、にはどうしても勝ち上がってきてもらわなければならない。そうでなければ、この聖杯戦争を続ける意味などない」
「……ええ、そうですね」
 ジャーファルが、穏やかな寝息を立てるを静かに見下ろす。その右手で輝く赤い花のような模様は、既に欠けたところを補填されて完璧な状態で輝いていた。
 
160625
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