『……、』
その人が、俺を見つけた時の顔は、今でもよく覚えている。焼け落ちる街の中、死んでいく街の中、同じように焼け死んでいくはずだった俺の命を、助けてくれた人。眩しいくらいに青い、男の人。
『良かった……!』
命を救われたのは俺のはずなのに、何故かその人の方が、よほど救われたような表情をしていた。
――十年と少し、昔の話をしよう。
俺には両親がいた。友達がいた。きょうだいは、たぶんいなかった。きっと、普通に、幸せに、暮らしていた。
ありふれた日常が崩壊したのは、大災害が起こった冬の日だ。街は燃えて、たくさんの、数え切れないほどの人が死んだ。俺の両親も、友達も。俺もあの街で死ぬのだと思ったけれど、焼け崩れた街をさ迷い倒れ伏したところで、俺はとある人に命を救われた。
大災害の唯一の生存者となった俺は、その人に引き取られて養子となった。その人は魔術という神秘の世界の住人で、不思議な世界の扉を俺に向けて少しだけ開けてくれた。もっとも、俺が魔術に関わるのを嫌がっていた節があったから、あまり多くのことは教えてもらえなかったけれど。
でも、俺があの人からもらった何よりも大きいものは、命よりも魔術よりも――
「正義の味方?」
オウム返しに問い返したに、アリババは照れ臭そうに頷いた。アリババの言葉を聞いたたちは、三者三様の反応を返す。は感嘆したように目を丸くし、ランサーはくだらないとばかりに鼻で笑う。セイバーはといえば、何かしら思うところのあるような表情で黙り込んでいた。
「その人――養父さんの夢だったんだ。正義の味方になること。養父さんはその夢を叶えられなかったけど……俺が、その夢を継ぐって約束したんだ」
はにかみながらも、誇らしげにアリババは語る。
『俺はな、正義の味方になりたかったんだ』
養父の遺したその言葉が、アリババの人生の揺るがない軸となっていた。
「その……先輩のお義父さまの、お名前は?」
「ソロモン。名字は結局最後まで、教えてくれなかった」
姓は元々使っていたらしいものを使っているのだと、アリババは苦笑する。セイバーとランサーはそれぞれソロモンという名前にぴくりと反応を示したが、が別のところに反応を示したためそれにアリババが気付くことはなかった。
「使っていた、らしい……?」
「……ああ、俺、養父さんに拾われる前の記憶がほとんどなくて」
「……!」
が、ハッとして口元を押さえる。不躾な質問をしてしまったことを謝るに、アリババは気にするなと笑いかけた。
「とにかく、俺は養父さんに拾われたおかげで魔術をミジンコ程度には知ってる。とはいっても、使える魔術は強化と投影だけで、成功率も低いんだけどな」
「でも、強化の魔術は便利ですね」
「……ほとんど成功したことはないけどな」
「この男に利用価値なんてありませんよ、」
まるで使い物にならない、とランサーは溜息を吐く。アリババとの同盟を解消させたくて仕方のないランサーは更にアリババの戦術的価値の無さを言い募ろうとするが、それを遮ってセイバーが口を開いた。
「……、」
「貴様がその名を口にするな、セイバー」
しかしセイバーがの名前を呼んだことに、ランサーが瞳を暗くギラつかせる。セイバーを殺すなという命令は受けていないからな、と口の端を吊り上げて槍を実体化させたランサーは、その矛先をセイバーの眉間に突き付けた。
「貴様に、の名を呼ぶ資格はない」
「…………」
「ランサーさん、槍を収めてください」
また令呪を使わなければならないだろうかと眉を下げるを見て、ランサーは燃え上がらせていた怒りを鎮火させる。さすがに立て続けにマスターに令呪を使わせてまでセイバーと反目するのは得策ではないと思ったのか、大人しくその場に座り直した。
「…………」
アリババの家の茶の間に、重苦しい沈黙が下りる。当代の格好に合わせてスーツ姿でいるサーヴァント二人と、学生服のマスターが二人。異様な空気を醸し出す空間に救いを齎したのは、シャッと襖を開けて入ってきた金色の存在だった。
「すまない、アリババ先輩。遅くなってしまった」
「ティトスくん」
瞬時に霊体化して消えたサーヴァントに内心驚愕しつつ、正座していたは部屋に入ってきたティトスを見上げる。アリババの黄金の金色とは異なり、砂金のような淡さを見せる金色がどこか儚い印象を与える、の数少ない友人であり家族以外に唯一魔術師としての関わりを持つ人間だった。何かしら用事を済ませてきたのか、その息は上がっていた。麦茶を用意して差し出したアリババに礼を言ってそれを飲み干したティトスが、慣れなさそうに和風の室内をきょろきょろと見回す。腰を下ろしたティトスは、掛け軸に興味の目を向けながらも表情を引き締めて口を開いた。
「それで、アリババ先輩を見てほしいということだったが」
「はい、私だけでは不安なので。ティトスくんにも見てもらった方が、より確実だと」
「よろしく頼むな、ティトス、」
アリババをマスターとして立てるにあたり、まず最低限だけでもきちんとした魔術を身につけようという話になった。アリババが養父から教授を受けたのはほんの少しで、後はずっと独学でやっていたという。まずはアリババの特性や起源を調べようということになったのだが、一人では見逃すこともあるかもしれないとティトスが呼ばれたのだった。
「それにしても、ティトスって魔術師だったんだな。全然知らなかった」
「それはこちらの台詞ですよ、アリババ先輩。まさかあなたが魔術の世界の人間だったなんて」
「私もつい最近知ったんです、……」
卓や座布団などが置いてある茶の間から、隣のだだっ広い部屋へと移動しながらティトスたちは言葉を交わす。龍兄様も、ご存知ではなかったそうで。そう続けようとした言葉が胸につかえて、は胸元を押さえた。今とアリババを繋ぐのは白龍の死で、の願いを叶えるために喚ばれたのは白龍ではない白龍で。未だに整理しきれていない感情の数々に、息が詰まりそうになる。けれど今はひとまずアリババの魔術教練だと、はそこから目を背ける。
いずれは決着をつけなければいけない葛藤だとは、解っているのだ。でも、ランサーと一緒にいればいるほど、わからなくなる。ランサーが見せる、アリババやセイバーへの憎悪と敵意。を見る時に時たま浮かべる、懐かしそうな表情。ランサーとセイバー、そしてランサーの世界にいたアリババとの間に何らかの確執があったのは明白で、けれどアリババを守るためにも共闘は続けたい。とはいえ一向に軟化しないランサーの態度に、早めに事情を訊いた方がいいだろうとは思った。サーヴァントの内面に無闇に踏み入ることはしたくないが、このままではよくない。俯いたの肩に、そっと触れた気配があっては思わず振り返った。
「……、」
そこには誰もいなかったが、さっきの気配は確かに白龍だったとは確信する。きっと霊体化しているランサーだ。けれど、その手がどうしようもなく懐かしくて、あたたかくて。
ランサーと白龍を、一緒にしてはいけない。解ってはいるのに、兄のぬくもりが恋しくて仕方がなかった。
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