厚藤四郎の朝は早い。
日の出とほぼ同じくらいに起床し、眠っている弟たちを起こさぬように身支度を済ませ、厨へと向かう。
朝に弱い骨喰が起きてくるまでの間、そこで料理当番を請け負っている鯰尾の手伝いをしつつ、料理に何も妙なものを仕込まないように見張るのだ。
手先の器用な鯰尾は、一般的に料理が得意であるとされる燭台切や薬研よりも先にこの本丸に来ていたため、まだ刀剣の数が少なかった頃から主と共に厨に立つことが多かった。
しかし、刀剣が増えるにつれて職務が増えた主が厨にあまり立たなくなった頃から、料理に「向こう」の食物を混入させようとすることが増えた。
主の隣席で食事をする厚が寸前に気付いて黄泉竈食は阻止されたものの、鯰尾はそれ以降も目を離せばしれっと主の膳に「向こう」のものを仕込む。
一時は料理当番から鯰尾を外すべきだと進言しようかと思った厚ではあったが、心優しい主が信頼する鯰尾の企みを知れば胸を痛めるであろうこと、鯰尾の作る食事をいっとう主が好んでいることなどから、骨喰と協力体制で異物混入を阻止するにとどめた。
起きてきた骨喰と鯰尾の見張りを交代すると、厚は主を起こしに行く。
とはいえ主は規則正しい生活を心がけているので、厚が訪れる時にはもうすっかり身支度を整えているのだが、厚は自分が朝行くまでは部屋にいてほしいと言ってある。
今日も厚の言葉通り部屋で待っていた主と挨拶を交わし、今日の予定を確認する。
それを終えれば朝食ができている頃合なので、厚は主を連れて広間へと向かった。
主を席に通し、主の膳に何も仕掛けられていないか自分の目でも確認したあと、誰にも預けずに自らの手で主の元へと運ぶ。
好物である菜の花の和え物に顔を綻ばせる主と共に食事をとった後は、出陣と遠征、内番の通達だ。
第一部隊と第二部隊にはそれぞれ厚樫山と桶狭間への出陣を、第三部隊には遠征を、第四部隊には休息を言い渡し、出番でない者たちの中の幾人かに内番を依頼する。
出陣部隊と遠征部隊を見送る主に付き添った後、報告書に追われる主を私室とは別にある執務室まで送り、やって来た平野と前田に、主に適度な休憩をとらせるように頼み、離れ難く思いながらも部屋を後にした。
まず向かうのは畑である。
今日の畑当番である小狐丸と三日月は何かと主に不埒を働こうとする。普段彼らの監視を引き受けてくれている岩融は今日は遠征に行っている。ならばと畑当番にまとめて放り込んだものの、どうにも嫌な予感が拭えないため様子を見に来た厚であったが、はたしてそれが正解であった。
今日自分たちの手で収穫したものだと、そう言えば主殿は喜んで食してくれることだろう。そう言って昼の料理当番である長谷部を言いくるめ追加させようとしているその苺。
それを育てるのに本来不必要のはずである赤だとか白だとかの液体を彼らが地面に注いでいるところを見たと、弟が言っていた。
穢らわしい。まさか本当にそんなものを主に食させようとしていたとは。これならまだ鯰尾の企みなど可愛く思える。
厚はこの本丸で二番目の最古参である。刀種の差こそあれ、比較的遅く来た二人より実力は高い。その実力をもって忌々しい苺を目にもとまらぬ速さで奪い取ると、雑草を燃していた火の中へとそれらを放り込んだ。
ついでにまだ残る苗を引っこ抜き、実と同じ運命を辿らせる。
小狐丸と三日月は企てを邪魔した厚に怒るでもなく、事態を察した長谷部の怒声をにこにこと食えない笑顔で聞き流していた。
その笑顔を見て厚は決心する。この二人は最大限に警戒すべきだと。
馬当番と手合わせも見回り、こちらは問題がないことを確認した厚は、少し遅くなってしまった昼食に主を呼びに走る。
主に付いていてくれた弟たちを労い、昼食をとりに行く。もちろん主の膳の確認は怠らない。
昼食の片付けは「せめてこれだけでも 」と主がやりたがるため、厚はそれに付き合うことにしている。
主が洗った皿を厚が受け取り、拭く。厚が午前にあったことを話せば主が目を細めて頷いたり、やわらかな声で返事をくれるのが楽しくて、厚は主と二人で話をしていられるこの時間が好きだった。
片付けが終われば、厚は執務室へついていく。午前のこともあるので畑当番の二人が気にかかったが、近くで手合わせをしていた長曽祢と同田貫にあれらを気にかけてくれるよう頼んであるので、おそらく大丈夫、だろう。
そちらも気にはなるが、これからこちらにも面倒ごとがやってくるのだ。
主が報告書をまとめ終えた頃、案の定ドタバタと音がして執務室に嵐がやって来る。第二部隊の加州と大和守が我先にと飛び込んできて主に飛びつくのを間に入って阻止する。
誉だなんだと騒ぐ二人に、墨が飛ぶと注意すれば、じゃれ合いにも見えるそれが可笑しかったのか主がくすくすと笑った。
その後も帰ってきた面々が誉や怪我に託けて主に触れようとするのを妨害しつつ、主を「鬼事」に連れ出そうとする今剣を岩融に引き渡したり、過度に主に甘味を与えようとする堀川を止めたりしていれば、時間はあっという間に過ぎていった。
夕食も朝や昼と同じようにして終えれば、残る時間は少ない。
しれっと主と一緒に風呂に入ろうとするにっかりや乱を追い返し、主が五虎退たちに寝物語を聞かせている間に厚も入浴を済ませた。
寝落ちた面々を主と共に布団に入れてやり、主の私室まで共に行き、毎晩同じ言葉で主と厚の一日は締めくくられる。
「いいか大将、絶対、絶対、何があっても! 誰が来ても! 部屋に入れちゃダメだからな!」
「はーい。大丈夫ですよ、厚との約束は絶対に守ります」
「よしっ、じゃあまた明日だな大将。いい夢見ろよ!」
主の部屋には、主の招きがない限りは入れないよう術がかけられている。
だから厚は、自分が翌朝起こしに行くまでは、絶対に誰も入れてはいけないと口を酸っぱくして毎晩言い聞かせているのだ。
そして主も、ずっと近侍を務めている厚の言葉を疑うことなく、約束を守ってくれている。
主の呼吸が寝息のそれに変わるまで、厚は部屋の前で仁王立ちして辺りの気配に睨みを利かせる。
やがて主が寝入った様子を感じて、諦めたように幾つかの気配が去っていった。
完全に気配がなくなったのを確認したあと、厚藤四郎は床に就く。長い一日であった。
(やっぱり、この本丸はまともじゃない奴らが多過ぎる)
魂を狙うもの、貞操を狙うもの、優しい主の安全を愛だとか何だとかのたまって脅かそうとする面々のなんと多いことか。
自分が中心となって大将を、を守らねばならない。近侍である自分以外に、を守り切れる者などいないのだ。
どうかには、あんな汚い感情を知らずに過ごしていてほしい。はあんなにも愚直に刀の神たちを信頼しているのだから。どうか綺麗なままで。
厚藤四郎の一日は、いつも同じ言葉を思い浮かべて終わる。
(ああ、大将は俺が守ってやらなきゃ)
150511