「足の腱でも切っちまえばいいのにな」
 ぽつり、零した彼の言葉に、不思議そうな表情では首を傾げる。
少し離れたところに立っている彼女には、和泉守の声は聞こえても内容までは届かなかったらしい。
それに若干の落胆を感じながらも、和泉守はを八つ時に呼びに来たことを思い出し、その手を取るためにの傍へと歩を進めた。
 本丸の中でも奥まったところにある庭は、日頃本丸の中を遊び場にしている短刀たちの喧騒からも遠く、静謐な空気が漂っている。
そこで彼らの主は度々、人目を憚るように佇んでいることがあった。
目を閉じ、胸もとで指を組み合わせ、何も言わずに、じっと立つ。
それを黙祷と呼ぶのだと、言ったのは長谷部だったか歌仙だったか。
 『神の御許へと迷わぬように』
 彼女の祈りが終わる前に、の唇はいつも音もなくその言葉を紡ぐ。
幸いにして、まだこの本丸の刀剣が折れたことは一度たりともない。ならば、彼女が死出の旅の行先を祈る相手は。
 和泉守は、太刀の中では比較的早くに彼女のもとへと来た。
がまだ戦場へと着いてきた頃のことも自分の記憶として知っている。
そして戦が終わるたび、こうも長い時間ではなかったものの、が何かに祈りを捧げていたのも目にした。もっともそれもひっそりとしたもので、気づかないことの方が多かったから、長谷部たちが来てその意味を知るまでは、特にその行為を気にかけたこともなかったのだが。
 きっとは、歴史修正主義者のために祈っているのだ。
彼らの願いもろとも破壊することへの痛みを。
そしてそれがの元で戦う自分たちにとっては失礼なことだと考えているから、こうして誰にも見られぬように隠れて祈る。
 は敵に情けをかけろとは言わない。自分がすべきことを理解しているからだ。それでも命を奪うことの悲しみに、願いを踏みにじることへの罪の意識に、直接手を汚すことはないといえども、或いはだからこそ、奪った命に思うところがあるのだろう。
 若しくは、と和泉守は小さな主のつむじを見下ろし思う。
 江雪のように戦いを厭うもの、和泉守自身や陸奥守たちのように前の主を歴史に淘汰されたもの、薬研や堀川のように歴史の中で自身を消失したもの、それぞれに意思を持つ彼らをこの戦場に置いていることへの懺悔なのかもしれない。
 どちらにしろ、戦場へと、外へと出たがるはきっとこの戦いが孕む矛盾に気が付いていて、だからこそその疑問を解くべく、真実に近い場所を求めている。
 けれども、そんな必要はないのだと、和泉守はに言いたかった。
何も考えずともいい。はただ敵である彼らを鏖にしろと、そう命じる存在であればいいのだ。
 確かに和泉守は以前の主を救えなかったことを無念に思っている。しかしそれは未練ではない。
土方の愛刀として、堀川とともに戦場を駆けた。
それは彼の誇りであり、彼の中の輝かしい思い出だ。それを今になって変えようとは思わない。自分や堀川、ひいては土方の生き様を否定することは、何よりも許しがたいことに思われた。
それをひとつの後悔として嚥下した和泉守は、今はを主として仰いでいる。
今の和泉守にとっては、ここに存在し生きているが、自分に付喪神としての器を与えたこそが唯一の主である。それを違えることはない。
 そして付喪神としての和泉守がを主として得ているのはこの戦いのおかげである。
戦乱がなければ刀など無用の長物に過ぎない。蔵にしまい込まれ、時々人目にさらされ賞賛を受ける。己の造形の美しさを自覚し誇る和泉守とは言えど、殺傷の道具、刀としての本分を果たせない日々はあまりにも空虚過ぎた。
 思えばこんな子供を戦場に将として放り出すこと自体おかしいのだ。
けれども和泉守の主は誰でもないである。
 そんなが、彼らの主として戦うことに、疑問を持ってしまったら。
歴史修正主義者たちの悲しみに触れ、戦えと命じる政府に不信を抱いてしまったら。
淘汰されるのはになるかもしれない。が自分たちを捨てて、正しいと思うところへと行ってしまうかもしれない。
は優しい子供だから、きっとすぐに騙されてしまう。今この戦場に、人々のためと言い聞かせられて閉じ込められているように。
 主を失う後悔を繰り返すものか。
何が正しくて何が間違っているのかなどさしたる問題ではない。
が和泉守の主として在ること、それが和泉守にとっての全てである。
 それを脅かすのは、この本丸の外全て。
今は厚がついているから戦場には出ないだが、行こうと思えば何処にでも行けるのだ。彼女にはそのための足がある。
 が何処にも行かないように、いつまでも彼らの主でいてくれるために。
の足は少しばかり自由すぎる。枷を、重荷を、外のことさえ知らなければ、もはや何処にも行けなくなってしまえば、きっとは。
 ぎゅっと握る手に力を込める。
痛いはずなのにそれを表情には出さず、微笑みすら浮かべて「どうしたんですか、兼さん」と訊いてみせるが、どうしようもなく愛おしくて哀れに思えた。
(ほら、この子供は、こんなにも優しすぎるじゃねえか)
 
150515
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