どうぞ、と主へ差し出した果実は、近侍の手によって阻まれた。
「鯰尾兄貴! 」
 ぱしんと、腕を掴まれる。険しい顔をした弟の後ろで、主のがぽかんとした表情を浮かべていた。
「厚?」
「……ああ、わりぃな大将、びっくりさせちまって」
 ちょっと虫がついてたんだ、取り替えてくるぜ、そう努めて穏やかな表情で厚はに言うと、掴んだままの鯰尾の腕を引いて部屋の外へと歩き出す。鯰尾はさして抵抗することもなく着いていく。前田と平野は、なんとも言い難い顔をして兄たちを見ていた。
「……あのなあ、兄貴。向こうのもん大将に食わせんなって言ってるだろ」
「うん、ごめん」
「…………」
 厚が鯰尾に強くものを言えない理由はいろいろあるが、そのひとつに、鯰尾の真意がどうにも読みづらいことがある。誰かに阻まれればその場はあっさり諦め、咎められれば逆上することもなく謝る。そしてほとぼりがさめればまたしれっと同じことを繰り返すのだ。
どういうつもりなのか、本気で黄泉竈食をさせたいのかもどうにも判らない。厚にとってはどうにもやりづらかった。
「兄貴は大将をどうしたいんだ?」
「うーん……どうってわけでもないけど、ただ、なんとなく」
 ずっと一緒にいられたらなあって。
 そう言って、鯰尾は果物を抱えたまま厚に背を向ける。
言葉自体はなんてことない、いたって微笑ましい願いであるはずなのに、厚はその言葉に薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
 
ふらふらと、特にどこへ向かうというわけでもなくただ足を動かす鯰尾。
腕の中にある幾つかの柘榴を、どうしようかと考える。もっとも、自分で食べるか捨てるかしかないのだが。
 主から借りた本に、異国の神話のものがあった。
冥府の神が春の乙女の神に思いを寄せ、冥府へと連れ去るものの女神の母が怒り狂い、結局冥府の神は恋したその女神を母の元へと返すことになる。しかし冥府の神をいたわしく思った庭師の計らいによって、女神は冥府の柘榴を食してしまう。
年に数ヶ月は冥府へと戻らねばならなくなった女神は乙女の名を捨て、眩い光という名を与えられ、冥府の神と連れ添うこととなった、という話である。
 この世ではない彼岸へと、想い人を閉じ込めた神がいた。
冥府の王ともあろう大神が神を拐かすことを許されるなら、自分たちのような末席の神であっても、人の子ひとり拐かしたところで誰に責められることがあるだろう。
(だって、主さんはきっとこの世が嫌いなんだ)
 親もなく、似たような境遇の子供たちと一緒くたに施設に押し込められていたかと思えば、戦場に放り出されて。
無垢な魂には、この世に蔓延る怨嗟や妄執、誰かの思惑や野心がどれほど醜く映ることだろう。この戦場に満ちている怒りや悲しみ、どうしようもないないものねだりの願いのぶつかり合いに、どれほど心を痛めていることだろう。
 あんなにきれいな心の人が、この汚い世界で息もできずにいるのがどうしようもなくかわいそうで。
此岸から解放してあげたいと、あちらでもこちらでもないこの空間で、みんなでずっと一緒にいられたらと思うのは、そんなに悪いことだろうか。
弟たちがあまりいい顔をしないから、強くは出ない鯰尾ではあったが。
(そういえば、柘榴って人の肉の味がするんだっけ)
 手元の果物をじっと見つめ、おもむろに手で割って口に入れてみる。
(主さんを、食べたらきっとこんな味がするのかな)
 甘くて、少し酸っぱい。
恋の味みたいだと、鯰尾は思った。
 
150526
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