「過去の自分たちを否定してまで、彼らがほしいものとは何なのでしょうか」
このところ何事か思いつめている様子を見せていたを心配した鶯丸が茶に誘えば、の口からはそんな言葉が出てきた。
厚も彼の兄弟も、今この場にはいない。一応信用はされているらしい、と鶯丸は内心少し驚いたものだ。
「彼らがそう願ったことすらも、過去が変わればなかったことになるかもしれないです。そうなった時、彼らの願いはどこに行くんでしょう」
「……さて、俺はあれらではないから、確かなことは言えないが」
ここに和泉守や同田貫あたりがいれば、そんなことは考えなくてもいいのだと彼女を諭したかもしれないが、鶯丸は茶菓子を咀嚼してから口を開く。
「奴らは、いなくなってしまいたいのかもしれないな」
守れなかった後悔を、抱えて生きていくにはこの世界はあまりに残酷で、時の流れは優しすぎる。
「何もかも、なかったことにして。もう何も見なくてもいいように、跡形も残さずに。整然とした目的など、ないのかもしれないぞ」
「なんだか、迷子みたいですね」
「かわいそうだと思うか?」
「……そんな言葉で片付けては、いけない気がするんです。けど、厚たちはそれでいいんだって言います」
「そうか」
鶯丸にはむしろ、こそがかわいそうな迷子にも見えた。
あちらともこちらともつかない場所で、それぞれに正しさを主張する神に振り回されて。
(そういえば主の名前は、)
という名前を、目の前の審神者の少女が名乗った時に瞠目したのは自分だけではなかったはずだ。真名を知ってしまえば、付喪神であっても人間など好きにできるのに。
けれど彼女のその名前は、施設の職員が適当につけたものらしい。年に何人も現れる捨て子に割り振られる、名前という形の記号。ほんとうの名前がなんだったのか、本人ですら知らない。或いは、存在してすらいないのかもしれない。
だからという名前を彼らが知ったところで、には何の不利益もない。もっとも、たとえ真名があったとしても、彼女はてらいなくそれを彼らに教えていただろう。はそういう人間だ。
だからというわけではないが、彼らのほとんどはの名前をあまり口にはしない。
人名事典の五十音順に割り振られたうちのひとつにすぎないという名前を、それでもがとても大事にしていると解っていても。
「主は、あれらをどう思う」
「……とても、寂しいことをしているんだなって、だけど彼らはきっともうそれしか持っていないんだと、思います」
「やめたいか?」
「いいえ、私にももう、ここしか無いので……」
という審神者とのつながりが知れれば、孤児院が襲撃を受けるかもしれない。
そういう建前で、の存在が元いた孤児院はもとより、表の世界から消されてしまったことを、鶯丸は知っている。
それが、いつ死ぬともしれない戦いの駒の逃げ道を塞ぐためのものであることも。
血縁がなくとも、愛した家族だったのだろう。
その家族のためと言い聞かせられてこんなところに閉じ込められた少女が抱える寂しさは、如何ほどのものだろう。
付喪神には、主の性情が少なからず影響を与える。
ならばこの本丸の刀剣が主たる少女に異常な執着を覚えるのは、が抱えた寂しさが故でないとは言い切れない。
親の顔すら碌に知らず、仮初の家族とすら引き離された少女が抱え込んだ寂しさを、掬い上げようとすることは間違いではないはずだ。
「帰るところは、もうないです。戦いが終わったら、新しい施設へと、新しく名前とかをもらって行くことになるんだそうです。たとえもう二度と会えなくても、あの子たちが消えてしまうかもしれないのに戦いを止めたら私、ここに来た意味なんてなくなってしまいます」
「意味などなくても、いいとは思うが。だがまあ、主がそう言うのなら、俺ももう少し頑張るとしよう」
「ありがとうございます、鶯丸」
微笑んで礼を言うの知らないことで、鶯丸が知っていることがひとつある。
別に鶯丸は、彼女がどこかへ行ってしまうことを恐れていないわけではない。
だから一部の刀剣たちが必死になってをこちらへと引きずり込もうとしていることも、理解はできるし止めもしない。
けれど、鶯丸があえて急ごうとしないのは、急ぐ必要がないと知っているからだ。
神は無償で人を助けない。
政府が彼女をいなかったことにした本当の理由を、鶯丸は知っている。
彼女がここに来た意味など、あってもなくてももはや変わらないことだと知っている。
いつぞやこんのすけの向こう側にいる人間が、の報告の後うっかり通信を切らぬままに話していた言葉の中で、彼女たち審神者をジョン・ドゥと笑っていた声。
報告が終わった後にすぐ部屋を出ていたは知らない。あの日こんのすけのあった部屋にいた鶯丸だけが知っている。
(供物なら、既に受け取った)
歴史修正主義者たちのほしいものなど知らないが、自分のほしいものなら知っている。そしてそれは既に手の内にある。
ジョン・ドゥ或いはジェーン・ドゥ、それが名前のない死体につけられる記号だということを、教えてくれたのは他でもない、目の前で笑う、『いないことにされた』少女であった。
150531