びりっと嫌な音がして、は足元に視線を落とす。見れば、五虎退の白い虎がスカートの裾にぶら下がっていた。おそらくにじゃれ付きに来たのだろうが、その鋭い爪に修道服は耐え切れずに裂けてしまったようだ。と、そこまでが落ち着いて分析したところで厚の怒声が響いた。
「五虎退ー! ちゃんと虎見とけっていつも言ってただろ!!」
「ご、ごめんなさいぃいいいい!!」

「あ、あの、主様」
「どうしました? 五虎退」
「虎さんが、ごめんなさい……主様の大切な、お洋服をダメにしてしまって……」
 厚が、大将が下卑た視線に晒される前に! と超特急で持ってきた着物に着替えたが、無惨に裂けてしまった修道服を見つめているのを見て、五虎退はしょんぼりと頭を下げた。
それを見てはふんわりと笑みを浮かべて、ほとんど高さの変わらないふわふわとした五虎退の白い髪に手を伸ばす。
「気にしないでください、五虎退。繕えば着れないこともないですし、もし着れなくなっても何枚かに切って汚れ拭きにしますから」
「あ、主様は……大事なお洋服がそんなになってしまっても、いいんですか……?」
「……確かに、この服はあの子たちと暮らしていた思い出ですが、あの子たちの笑顔は私の心の中にあります。この服がもう着れなくなったのなら、それはこの服があるべき役目を終えたということでしょう。たまたまそのきっかけが五虎退の虎さんだったというだけで、五虎退たちが悪いわけではないですよ?」
「主様……ありがとう、ございます」
 ぼろぼろと、涙が落ちる。大切な服が台無しになって悲しいのはであるはずなのに、は涙一つ零さないどころか、情けなくも涙が止まらない五虎退の頭をその胸に抱え込んでぽんぽんと優しく叩いてくれる。それが嬉しいのに、何故か少し悲しくて。五虎退は悲しいと感じる理由などわからないまま、に縋って大泣きした。

「おそらくそれは、様がご自分をないがしろにされるからかもしれないね」
 が優しくしてくれたことが、どうして嬉しいのに悲しいのだろう、と優しい長兄へと問いかけた五虎退は、返ってきた答えに大きな瞳をぱちくりと瞬いた。
「大切な服がダメになってしまったことへの悲しみよりも、そのことに責任を感じて泣く五虎退の悲しみを癒すことを優先する。その優しさは嬉しいものだけれど、だからこそ聡い五虎退は様の打ち捨てた御自身の悲しみを感じ取って、共感することができたのだろうね」
「大将はずっと、周りのちびっ子を優先して生きてきたみたいだからな。自分のことを我慢しちまうのが癖になってるんだろうな」
 一期一振の言葉に、薬研が頷く。五虎退はそれを聞いて、腕の中の虎をきゅっと抱きしめた。
「僕、主様が、あのお洋服着ているのを見るのが好きだったんです……」
 可憐な着物姿も好きだった。けれど黒いスカートに黒いヴェールに包まれたは、侵しがたい尊い清らかな印象をぐっと強めていて。修道服が地味であるだとかの境遇を想起させるために好まない刀剣も多かったが、五虎退にとって修道服姿のは、の神聖さの象徴だった。
「もう、見られ、ないのかなあ……」
 俯く五虎退に、薬研と一期一振が顔を見合わせる。
「なあ、五虎退。形あるものはいつか壊れるもんだ」
「失われたものを惜しむことは大切なことだけれど、それによって訪れる変化を拒んではいけないよ。そうしないと、前に進めなくなってしまう……アレらと、同じモノになってしまう」
 誰も、口にはしない。に、五虎退に、新しく修道服を取り寄せてはと提案するものはいない。が、着られる服があるのに新しく服を求めたりするような性格ではないのを解っていて彼らは何も言わない。
彼らの知らないの象徴。の不遇の象徴。と現世をつなぐもの。それが失われたことは、彼らにとってひどく喜ばしいことだったからだ。と現世の鎹を、取り戻そうとする者はいない。の悲しみを慮る感情ももちろんあるが、内心五虎退の虎はよくやったと思っている者がほとんどなのだ。
「どんな格好してようが、大将は大将だ。そうだろ、五虎退」
「はい……ごめんなさい」
「謝ることはないよ、五虎退。お前が様を思いやる気持ちは素晴らしいものだから」
 ひとつ、ひとつずつ、と現世をつなぐものが失われていく。と現世をつなぐ糸が切れていく音がする。も気付かない、緩やかな変化。
 五虎退は、虎を抱き締めて俯く。黒い修道服と共に、神様のようなを、台無しにしてしまった気がした。
 
150626
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