先日の白龍の問いに対する答えが琴線に触れたのか、最近の白龍はとの距離を縮めようとしてくれている気がする。朝起きた時、夜寝る前、ふとした瞬間にを優しく抱き締めて口付けをするようになったし、瞳に甘やかな色を浮かべてに触れることが多くなった。元々優しい人ではあったが、政治的なもののために良好な関係を築いておこう、という目的以上の何かを感じさせる情を見せてくれるようになって。にはそれが嬉しくて、白龍と過ごす毎日は幸せを感じられる時へと変わっていった。
「これを、白龍様が……?」
「ええ、殿の口に合えばいいのですが」
 目の前に並べられた料理の数々に、は目を瞠る。机の上には懐かしい故郷で食べた品が並んでいて、は感動と驚きを胸に白龍を見上げた。聞けば禁城で働いている料理人の中にの国の近郊出身の者がいるらしく、その料理人に習って作ってくれたのだとか。
「故郷が恋しくなったら、いつでも俺が作ってあげますから」
「ありがとうございます、白龍様……!」
 暖かい笑みを浮かべる白龍に、は深々と頭を下げる。夫に料理をさせるなど、と申し訳なく思う気持ちもあったが、それ以上に白龍の思いやりが嬉しかった。元々料理は得意らしいが、のために態々人に聞いて異国の料理を作ってくれたのだ。何度も礼を言うにご飯が冷めてしまいますよ、と白龍は苦笑して席に着くことを促す。にこにこと笑う白龍に見守られながら食べた久方ぶりの故郷の料理は、とても温かくておいしかった。
殿の国の料理は、俺も好きです。優しくて懐かしい味がします」
 汁物を飲んでほっと息を吐いた白龍が、目じりを緩めて笑う。故郷を褒められた嬉しさにはにかんだ笑みを返して、も口を開いた。
「白龍様にそう仰っていただけて、嬉しいです。私も、叶うことなら祖国や煌の料理を白龍様に作って差し上げたいのですが……」
 煌では貴人は基本的に料理をしない。その上は異国から人質として嫁いだ身だ。厨房を貸して欲しいなどと言えば、何を企んでいるつもりかと痛くもない腹を探られることになるだろう。残念そうに肩を落としたの口元に、白龍は白玉団子の乗った匙を差し出す。唇をつつかれて口を開けたの口内にそっと団子を放り込み、口の中に広がる甘さに顔をほころばせたを見て白龍は優しく笑った。
「大丈夫です、今は俺が煌の料理も殿の国の料理も作ってあげますから。いつか殿の手料理を食べることのできる日を心待ちにしています」
「……はい、ありがとうございます」
「そうだ、今度俺と一緒に料理をしましょう。俺が一緒なら何か言われる心配もありませんし」
「良いのですか?」
「ええ、俺も殿の国の料理をもっと知りたいですから」
 あなたにもっと喜んでほしいんです、と笑う白龍に、は胸の奥が暖かくなるのを感じる。約束ですね、と指切りを交わして、と白龍は笑い合った。

 あれから白龍は、毎日のために料理を作ってくれるようになった。最初は一日に一食だったのが気付けば二食へと増え、いつの間にか白龍が三食全て作るようになっていて。約束した通り白龍との二人で一緒に作ることもあったが、ほぼ毎日夫の手をかけさせていることには少し申し訳ない気持ちでいた。せめてものお返しにと白龍の髪を結ったり服を繕ってみたりするものの、そのお礼にと白龍もの髪を整えたり服を選んでくれたりする。白龍だって忙しいだろうに無理はしないでほしい、と遠回しに伝えれば、返ってきたのは寂しげな笑顔で。
「俺は、勉学と鍛錬の他にやることもありませんから」
 その言葉に、は自分の迂闊な発言を後悔する。この頃にはも白龍の置かれている微妙な立場を理解していて、何か大きな目的を持ってひたむきに努力する白龍を支えたい、負担になりたくないと思っていたのに、それが仇になってしまった。しゅんと肩を落としたの亜麻色の髪を撫でて、白龍はの顔を上げさせる。
「それに、殿が喜んでくれると思えば何をするのも楽しいんです。負担だなんて思ったりしません」
「白龍様……」
「あなたは俺の、大切な人ですから」
 ぎゅっと手を握られて、真剣な眼差しで見つめられる。胸の奥がきゅうっと切なく締め付けられて、頬に熱が集まっていくのが解った。握られた手にも血が集まってひどく熱くなっているが、それと同じくらい白龍の手も熱い。それが嬉しくて愛しくて、はそっと白龍の手を握り返した。
「私も、白龍様が大切です。白龍様がいてくださって、どんなに救われたか……白龍様のおかげで、私は今とても幸せで……私も、白龍様を笑顔にしたいんです。白龍様が笑っていられるように、支えになりたくて、」
 緊張で震える声で、精一杯に感謝と愛しさを言い募る。涙で潤んだ榛色の瞳が真っ直ぐに伝えようとする想いに、白龍は口元をほころばせた。
殿、」
 そっと抱き込んだ体は、小さくて柔らかくて、とても熱くて。耳元で囁けば、頼りない肩がビクッと震えた。
「俺と、本当の夫婦になってくれませんか」
 するりと細い腰を抱き寄せて、求める熱情で湿った吐息を赤く染まった耳に吹き込む。こくんと頷いたの顎に手をかけて、白龍は艶やかに笑った。

「あれは……」
 白瑛の部屋から出て反対方向に去っていく人影を見て、紅炎が眉を上げる。後ろにいた紅覇がひょいっと顔を出し、へえ、と感心したような声を上げた。
じゃん、少し見ない間にずいぶん変わったね」
「そうですか?」
「そうだよ、ここに来たばっかりの頃は捨てられた人形みたいだったのが、あんなに綺麗になってさ」
 首を傾げた紅明を振り返って、紅覇はの変化を指摘した。容姿は綺麗でも翼をもがれた小鳥のように哀れな雰囲気だったが、今は蕾が花開いたような美しさを身に纏っている。紅徳の後宮に入れられていたら決して見られなかった姿だと思うと、紅炎の胸の内に少しだけ苦い思いが浮かんだ。
「白龍と上手くやっていると聞いていましたが……恋をする女性は美しくなるとも言いますしね」
「何故白瑛の部屋に?」
「白龍の小さい頃の話とか聞きに行ってるんだってさ。もっと白龍と仲良くなりたいんだって」
「……そうか」
 もうすぐ鍛錬を終える白龍を迎える支度をするのだろう、心無しか弾んだ足取りで早足に歩いて行くの後ろ姿は、血にまみれた城の中で見た姿とはまるで違っていて。薄い桃色と白を重ねた煌の着物に身を包み、大人の女性の綺麗さを持ったは、あの日泣いて震えていた少女とは別人のようだった。綺麗だな、と素直に感嘆の思いが浮かぶ。結果的に仇となった煌に繋がれていてもなお、あのように幸せそうな笑顔を浮かべていることに安堵の感情が生まれた。
「でもまあ、白龍ってああいうのが好みなんだね」
「どういうことです?」
「服も髪も白龍がやって、ご飯まで白龍が作ってるんでしょ? そんなのもう、白龍があれを自分好みに作り変えてるってことじゃん」
 の体を作る食事も、を飾る外見も、全て白龍が支配しているのだ。内外からじわじわとを侵食していく白龍の愛情に似た何かを、優しさだと思えるはどこか歪んでしまっているのだろうか。それとも気付かせない白龍の執着が深いのだろうか。
が白龍のこと好きになっちゃったなら、可哀想で仕方ないよ」
 少しずつ、白龍に心身を侵されていく。例えば服の好みで言えば、は落ち着いた色の動きやすい服を好んで着ていたのが、今は明るい色合いのひらひらと裾の翻る女性らしい服を着ていることが多くなった。ひとつひとつで見れば些細な変化であっても、もう白龍と出会う前のはいない。今ここにいるのは、白龍の妻のだ。頭の天辺から足の先まで白龍の与える甘く優しい感情に侵されて、今までの自分を失くしていって、それが幸せだと思ってしまうのだとしたら、それは。
「……だが、その方が好都合だろう」
「まあ、そうですね」
 仲睦まじくやってくれるのであれば、それに越したことはない。の国は良質な金属を多く産出してくれていて、そこを抑えておくには国民に慕われているを繋いでおくのが一番良いのだ。白龍に恋をしようが執着されていようが、大人しく囚われていてくれるのであれば言うことは何も無い。白龍との間に子でもできればそれを領主に据えて統治するという方法もある。哀れな少女に入れ込んで白龍が燻らせている憎しみを忘れるのであればそれもそれでいい。どの道、が白龍に与えられる穏やかな何かに毒されて壊れてしまおうが、紅炎たちにとってはさしたる問題ではなかった。
「…………」
 亜麻色が、廊下の奥に翻って消える。それを見送った紅炎たちはそれ以上について何か言うこともなく、本来の目的であった白瑛の部屋の扉を叩くのだった。
 
160107
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