最近、体が重いと思った。更には吐き気がして、眩暈や貧血を起こすことも多くなって。
夫である白龍に相談したところ、はたいへんに心配された。危篤の重病人のように寝かしつけられ、温かい掛布を何枚も重ねられ、不自由はないですかと何くれと白龍に世話を焼かれた。
そして、煌で一番の名医だという白龍が呼んだ城付きの老人は、豊かなひげを撫でてにこやかに笑った。
「ご安心くださいませ、白龍様。様はご病気ではございません。お二方にとって、喜ばしい報せでございます」
「それは、どういう……」
「ご懐妊でございます。これは私ではなく、産婆の手が必要ですな」
 好々爺然とした笑い声をあげる医師に、白龍ももぽかんと口を開ける。血を補う効能がある食べ物を片っ端からの口に運んでいた白龍の手が止まり、からんと箸がその手から落ちた。一生懸命にもぐもぐと口を動かして咀嚼に努めていたも、ごくんと口内の食べ物を飲み込んで目を見開く。
「懐妊、」
「ええ、そうですな」
「……!!」
 ぼふっとの顔が赤く染まり、ついで幸せそうにゆるゆると緩む。頬を抑えるの手を白龍がガッと掴み、今にも泣きそうな顔での瞳を覗き込んだ。
「ありがとう、殿……ありがとう……!!」
「白龍様……」
「俺との家族を授かってくれて、本当にありがとう……! 俺は今、煌で一番の幸せ者です……!」
 の両手を強く握り締め、白龍は熱い瞳でに歓びを訴える。こんなに喜んでくれるのが嬉しくて、胸の内が暖かい気持ちで溢れかえって、気付けばは微笑みながらぽろぽろと涙を流していた。老医師は微笑みを浮かべたまま静かに立ち上がり、二人の邪魔をしないようにと部屋を辞す。
「ありがとうございます、白龍様……私に、家族を与えてくださって……私、本当に……」
 涙で声が震え、詰まる。あたたかい。繋いだ手も、新しい命が宿ったお腹も。
全てを亡くしたはずだった。帰る国も失くしたはずだった。家族も故郷も悲しみの海に沈んでしまったけれど、それでもまた水底に光は射した。白龍が、を受け入れてくれたから。白龍が、に与えてくれたから。
「私、幸せです……! 白龍様と、同じくらいに……本当に、本当に……ありがとう、ございます……!」
「……ッ!!」
 泣き笑いを浮かべるを見て、白龍がガバリとを抱き締める。重なった鼓動の下に、今新しい鼓動が息づいているのだ。白龍との幸せは、今この瞬間全く同じ形をしていた。

殿が、俺たちの子どもを授かったんです」
 ここ数年では珍しく満面の笑みを見せる弟の報告に、白瑛もまた両の手を合わせて歓喜の表情を浮かべた。このところ体調が優れないと聞いていただったが、まさか妊娠だったとは。嬉しいことだ、本当に嬉しいことだ。普段難しい表情ばかりしている弟がこんなに無邪気に笑っている姿にまた、彼に笑顔と幸福をもたらしたへの感謝の気持ちが強まる。白龍が幸せでいてくれることが、姉にとってどんなに幸せなことか。は国を奪われ、煌に囚われた悲運の姫だ。それでも、感謝を捧げたかった。
(弟を愛してくれて、ありがとう)
 白龍が、殿のところに戻りますと頭を下げて踵を返す。にこやかにそれを見送った白瑛の元に、ふわりと甘い匂いを伴って足音がやってくる。振り向いた白瑛は、僅かに目を見開いた。
「白龍ったらあんなにはしゃいで、何かいいことでもあったのかしら」
「母上……」
 袖で口元を隠し艶やかに笑う母は、相も変わらず美しい。母には悪いが白龍が帰った後で良かったと、白瑛は内心胸を撫で下ろした。あの眩しいほどの幸せに満ち溢れた笑顔はきっと、母親を見たら崩れてしまっていただろうから。弟がどうしてか母に抱く敵愾心のようなものを、白瑛はまだ把握しきれていなかった。玉艶があてがった妻を愛した白龍を、皆が不思議に思っているのだ。
「……殿が、子を授かったそうです。おめでたいですね」
「あら……まあ、そうなの」
 玉艶の大きな瞳が、月のように大きく歪む。先ほど見た弟の笑顔と比べれば、何とも恐ろしい笑みだった。背筋を震わせた白瑛の前で、玉艶はころころと鈴を転がすような声で笑う。
「それはいいことね。とってもいいことだわ。そう、あのこ、子どもができたの。お祝いをあげなくちゃ」
 ふふ、と楽しそうに笑う母はやはりとても美しいのに、どうしてか胸がざわめく。ぎゅっと拳を握り締めた白瑛の目に映る玉艶の姿は、まるで。
はいい子だわ。本当に、いい子よ。 ……ふふ、可愛い」
 ぞわりと、白瑛の背筋を悪寒が駆け上がる。白龍の消えた廊下の先を見つめる玉艶の瞳に映っていたのは、何とも形容し難い歪んだ色だった。
 170105
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