「……
 を優しく揺り起こしたのは、眩い金髪の兄神だった。タナトスの悋気で抱き潰され起き上がることも儘ならないを慎重に抱き起こし、水を含ませる。果物は口にできそうかと問うヒュプノスに、はひどく鈍い動きで首を横に振った。
「も、しわけ、ありません……」
 兄神に介抱されていたたまれなさに身を縮めるを、ゆっくりと撫でる。小宇宙を封じる呪具を全て剥がされたの身からは神気と小宇宙が制御できずに漏れ出していて、ヒュプノスはぴくりと眉を上げた。
昏い感情を煽りたて、不和を招く「エリス」の小宇宙。無論、神であるヒュプノスたちは人間とは異なりの小宇宙にあてられて我を忘れることなどないが、仮にも同じ夜の系譜である妹神の力は彼らに全く影響を及ぼさないほど弱くもない。ただでさえ苛立ち、欲情に火の点いたタナトスがその小宇宙にどう影響されるかなど、考えるまでもないことだった。
「……愚かだな。お前も、タナトスも」
 死の神の怒りを静めるために我が身を差し出したも、自らの小宇宙に呑まれるような真似をしたタナトスも。妹神の愚かさは愛すべき欠落として許容できるヒュプノスであったが、どこか刹那的で享楽的な面のある兄神の行動は片割れとはいえ度し難いものがあった。汗に濡れた前髪を指先で退かし、白い額に口づけを落とす。幼子のように柔らかな肌に手を伸ばせば、華奢な体がふるりと震えた。
「言っておくが、私とて嫉妬の情は持ち合わせている」
 愛らしい踝を、ぎゅっと掴む。ここに人間の男が触れて、あまつさえその小宇宙を流し込んだのだ。それを考えるだけで普段は凪いでいる感情が、激流へと奔り出しそうになる。タナトスも言わずもがな、ヒュプノスが掴んだ足首は既に真っ赤な手形を幾つも残していた。ぐるりと残る痕はまるで枷のようで、少しだけ愉快な気持ちになる。けれどそんなことで悋気が収まるはずもなく、ヒュプノスは今にも溶け落ちそうな雪を思わせる肌に指を這わせる。
「眠りの、にいさま……」
「今一度覚えておくといい、。死と眠りに愛されるということが、どういうことなのか」
 タナトスの小宇宙が、色濃く残っている。人間、それも聖闘士に匂いを残されたを、あの苛烈な兄神がそのままにしておくわけもなかった。最早人間などの小宇宙は残滓すらない。けれど、ヒュプノスはを自らの小宇宙で侵した。同時に、肌を暴いていく。タナトスの小宇宙を受けて何度も仮死状態に陥ったに、せめて柔らかな眠りを与えよう。死そのものであるタナトスが自らを抑えることなくに触れれば、その身に降りかかるのは幾度も繰り返される死という苦痛だ。なまじ神の身であるが故に、死に切ることもできず何度も何度も死んでは蘇生してを繰り返してしまう。ヒュプノスとて似たようなものだ、死の弟である眠りがその本質を露わにしていれば、醒めぬ眠りに魂を引きずり込んでしまう。タナトスもヒュプノスも、本質はと変わらない。愛するものに触れるとき、在るがままでいては傷付けてしまう。ただ触れるだけで死を与う、そんな兄神の愛し方を受け容れるのはだけだ。もタナトスたちも、自らの力を抑えることで傷付けぬようにと慈しむ。けれど彼らが決定的に異なるのは、苦痛も含めて愛を受け入れる者がヒュプノスとタナトスにはいて、にはいないということだ。脆く儚い人間などに、在るがままのに触れてやれる者はいない。
「哀れよな、
 昏睡状態に陥った妹を、静かに犯していく。この激情を、儘ならない愛を、受け容れる小さな妹神。愛されて、傷付けられて、受け容れて。その在り方は彼らの知る限り最も尊いものであるのに、は自分が愛するものにはその愛を受け容れてはもらえないのだ。ただ、遠くから眺めるばかり。けれど、それでいい。それがいいのだ。決して満たされぬ歪な魂だからこそ、は兄神を受け容れるのだろう。一見優しく慈しみに溢れた手付きで、しかし余すことなく熱をぶつけながら体を暴くヒュプノスを、けれどは赦すのだ。憐れで愛おしいと、ヒュプノスはあどけない頬を撫でるのだった。
 
171003
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