ふ、と視線が吸い寄せられた。
目を惹かれる、まさにその言葉通りに。
 シンドリアの、朝の海。まだ日の昇りきらない海岸に響く波の音。人々を眠りから醒ます鳥の鳴き声が、どこか遠くに聞こえる。波打ち際でちゃぷちゃぷと踝まで透明な海水に浸している少女が、ぼうっと立ち尽くすシンドバッドを振り向いた。
 『――、』
 珊瑚色の薄い唇が、動いたような気がした。けれど、何を言ったのか読み取ろうとする思考すら浮かばない。驚きも焦りも浮かべない、無としか言いようのない表情の少女に、シンドバッドは魅入られていた。
白から深い青へと、頭頂部から毛先に向かうにつれ色を濃くしていく不思議な髪色。ふわりと揺れた髪の間から飛び出した耳は大きく尖っていて、その大部分は鰭のような造形で薄い水色に透き通っている。透き通るほど白い肌を覆うのは、肌と競うかのように真っ白な、袖の無い簡素なワンピースで。シンドバッドを静かに見据えた大きな瞳は、瑠璃色にも浅葱色にも、光を受けてゆらゆらと色を変える。透明にさえ見えるその瞳と視線を合わせたまま、シンドバッドは瞬きすらできなかった。美しいだとか、綺麗だとか、そんな思いすら浮かんでこない。ただ、時間さえも忘れて見入っていた。
「っ、」
 昇り切った朝日が二人を強く照らし始め、あちこちから喧騒が聞こえ始めた頃。ふいに、少女が首を傾げる。ハッと息を呑んだシンドバッドの目の前で、少女の姿は一瞬のうちにかき消えていた。

「その人は、どこかの金属器使いの眷属だったのでは……!?」
「諜報に来てたけど、王サマが王サマだって気付いて慌てて姿を消したとかじゃないんですか?」
「ヤムの魔法みたいな能力があるのかも!」
「だとしたら警戒態勢に入らなければいけないな、自由に姿を消せることができる間諜がいるとしたらまずいどころの話ではない」
 少女が消えた後もぼうっとその場に立ち尽くしていたシンドバッドを朝議に引き摺ってきたジャーファルが、シンドバッドがぽつりぽつりと語った少女の話に顔色を変える。やいのやいのとその少女についての憶測を重ねる部下たちを他所に、未だどこか惚けているような様子のシンドバッドはぼんやりと夢見心地のまま呟いた。
「いや、そんな感じではなかったんだよな……」
 確かに、言われてみれば同化の進み始めた眷属のような見目をしていた。けれど、あの瞳は明らかに人の範疇を超えている。どんな動物も人も、ジンさえも、あんな目はしない。感じられる気配も、生き物というよりも草木や石、流れる川、自然そのものに感じる気配のようで。とはいえそんな矮小な気配ではない、もっと雄大で、深きもの。
「シン、いくらあなたが女性を見る目があると言ってもですね、」
「……理由なら一応あるさ。彼女の体のどこにも、眷属器らしきものは見受けられなかった」
 仮に姿を消した能力が眷属器のそれだとしても、眷属器を外した状態で能力が使えるわけがない。シンドバッドの様子にむう、と黙り込んだジャーファルは、自身を無理やり納得させるために重い溜息を吐く。他の者も皆、シンドバッドの言葉に少女が眷属である前提の会話を取り止めて考え込んだ。
「……じゃあ、その子はいったい何だったのかしら」
「お化けだったんじゃねえの?」
 ヤムライハの呟きに、シャルルカンが軽い調子で返す。やだー! と楽しそうな悲鳴を上げたピスティが騒ぐのを宥めて、ジャーファルは朝議の開始を告げた。
 
160220
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