「ここはきっと天国なのですね」
「いや、大東亞文化協會だ」
 大真面目な顔をして福本特製の粥をちまちまと咀嚼するに、佐久間も大真面目な顔をして返答する。傍で本を読んでいた実井が、くすくすと笑みを零した。
「そんなにおいしいですか?」
「はい、とても。ふくもとさんは天使さまにちがいありません」
 ずっとまともな食事を与えられていなかった少女は、一口一口噛み締めるように匙を口元に運んでいく。きちんとした躾を受けて育ったようで、胃の萎縮のために食べる速度こそ遅いものの、それ以外はしっかりとした所作で食事をしていた。天使とまで言われた福本は、腹を抱えて笑い出した実井をいないものとして無視している。けれど少女に料理の腕を絶賛されて悪い気もしないのか、コップを磨く手付きはどことなく嬉しそうに見えた。
「まだ食べられそうか? リンゴを剥こう」
 福本の言葉に、少女は嬉しそうに瞳を輝かせて何度も頷く。が小さな器を少しずつ空にしていく横で、福本は手際よくリンゴを切り分け、半分はすりりんごに、もう半分はうさぎの形にしてやっていた。その鮮やかな手付きに、佐久間は感嘆の溜め息を漏らす。
「福本は器用だな」
「ええ、まあ」
 そこで謙遜をしないのがこの機関の人間である。笑いの収まった実井が、福本から受け取ったすりりんごをキラキラした目で見つめるに問いかけた。
「何でも見えるというあなたは、天使や天国を見たことがあるのですか?」
「ううん、ないですよ」
「では何故、福本が、ふっ、天使だと?」
「…………」
「わたしにみえないだけで、いるかもしれないです。おばあちゃんは、みえるものだけが全部じゃないって、いってました」
「なるほど。素晴らしいお祖母さんをお持ちだったのですね」
「はい! おばあちゃんはすごいひとなんです!」
 嬉しそうに頬を緩めてすりりんごを一口食べたに、実井は笑みを浮かべる。人畜無害そうなその笑みに何故か意地悪な雰囲気を感じ取って佐久間が腰を浮かしかけるものの、それより早く実井が口を開いた。
「でも、あなたはお祖母さんよりもすごい人なのでしょう? お祖母さんや家族にも、すごいと言われて育ったのでは?」
「……おばあちゃんもおとうさんもおかあさんも、確かにすごいとよくほめて、くれましたけど……でもわたし、おばあちゃんたちよりも自分がすごいなんておもいません」
「それはまたどうして?」
「だって、わたしはおやしろさまから目をおかりしてるだけです。おかりした目で、いろんなものが見えるだけです。でもおばあちゃんたちはちがいます。ろくねん生きるだけでとってもたいへんなのに、なんじゅうねんも生きてました。それはおばあちゃんたちが、じぶんたちでやりとげたことです」
「……君は、本当に良い家族を持っていたのだな」
 行儀の良さだけではなく、心根も。温かい家族に、大切に厳しくも優しく育てられたのだろう。目尻を緩める佐久間に、は兎のりんごを齧りながら嬉しそうに頷いた。
「……恨まないのか」
 それまで黙っていた福本が、空になった粥とすりりんごの器を洗いながらぼそっと呟く。首を傾げたに、福本は静かに問いかけた。
「それだけ大切だった家族を殺されて、足と目を奪われて、組織の男が憎くはないのか」
「うらんでますよ。でも、うらみつづけはしないです。痛かったのもおばあちゃんたちのこともゆるしませんけど、しかえしをしようとか思ったら、きっとおばあちゃんたちがかなしみます」
「……そうか。明日は何が食べたい」
「おとうふのおみそしるがのみたいです」
 淡々とした声で、福本は了解を告げる。何が可笑しいのか、実井はくすくすと笑みをこぼしていた。六歳の子どもにしては達観し過ぎているが、それもいろんなものを見すぎたせいなのだろうか。結城がの保護を決めた理由のひとつに、彼女が復讐に囚われていないこともあるのだろう。がどんなに有用だったとしても、男への恨みに囚われていたのなら結城はきっとをここには置かなかったはずだ。それでも悲しいことだと、佐久間は思う。まだこんなに小さい子どもが、激情に身を委ねることもできないほど何を見てきたのか。哀れだと思ってしまうから、自分は化け物にはなれないのだろう。けれどこんな幼子を可哀想とも思えない化け物にはなりたくないと、佐久間はひそかに思うのだった。
 
170516
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