狡噛慎也に、妹がいる。それも、目に入れても痛くないほどに溺愛している妹が。
その情報を手に入れた時、槙島は狡噛をいかにして利用するかということを真っ先に考えた。自身を癒し、理解してくれる可愛い妹。狡噛にとってかけがえのないその存在をどう使って、あの男を追い詰めるか。幾通りも考えつく利用価値を取捨選択していた槙島は、はたと思考を止めた。
狡噛慎也と槙島聖護は似ている。刑事と犯罪者という真逆の立場でありながら二人には共通点があり、互いの思考を読み合うことができるほどに近い存在ともいえる。そんな狡噛にはあって、槙島にはないもの。命や人生をかけてでも守りたいと思うもの、自分の手で庇護したいと思う存在。
「…………」
槙島は、狡噛に関する資料をもう一度改めて見直した。少女の十六年の人生の全てを暴いた資料を、一文一文じっくりと読んでいく。顔も合わせたことのない存在を、理解しようとするかのように。
両親に愛され、兄に愛され健やかに育った少女。シビュラが適性を見出した職業に就くために、親元を離れ全寮制の学校に入っていたが狡噛慎也の執行官降格を機に兄の元へ帰る。狡噛慎也に対するヒーリング効果を持ち、潜在犯ではないものの執行官の区画で兄と共に暮らしている。その色相はピュアホワイト。生まれてから、一度も濁ることなく。色相に関する文面を読んだ槙島が、ぱちりと瞬きをした。
「……僕以外にもいるだろうとは思っていたが」
狡噛がそれなのかはわからない。しかしもしそうなら、ずいぶんと数奇なものだと槙島は口角を持ち上げて笑う。
「君の白は、本物だろうか」
するりと、槙島の指がの写真を撫でる。立体電子映像に感触などあるはずもないのに、槙島はその美しい顔に微笑さえ浮かべていた。
「ちゃんが、帰っていない……!?」
公安局に帰ってくるなりまた飛び出そうとした狡噛を押し止め、告げられた言葉に朱のみならず一係の人間は皆目を見開く。現在は通信教育を受けているために学校に通っていないだが、時折買い出しなどのために出かけたりもする。けれどそれはいつも必ず狡噛に許可を取った上で、遅くとも夜になるまでには帰ってきているのだ。それが、深夜である今になってもまだ帰らず、狡噛に連絡もない。狡噛から連絡をしても、繋がらない。監視官の許可と同伴なくしては外に出ることすらできない狡噛がそれも忘れて飛び出そうとしたのは、が何かの事件に巻き込まれてしまったのではないかという懸念からだった。
「確かに、あの子が狡噛に何の連絡もなく外をほっつき歩いているとは考えづらいわ」
「ちゃんに限って、家出もないだろうしねー」
「生活安全課に捜索要請を出そう。だから落ち着け、狡噛」
宜野座に窘められ、狡噛は宜野座を睨みつけそうになり直前で自制する。これが落ち着いていられるかと言いたいところではあったが、狡噛との仲が拗れた後もとは親密な関係を保っている宜野座は、今できる最善の策を提示しつつもを心底から案じていて。無邪気に慕ってくると仲を深めた朱を始め、一係の人間は皆の不在は家出だろうと笑うこともなく心配してくれている。自身で大切な妹を探しに行きたい狡噛ではあったが、拳を握り締め努めてゆっくりと息を吐いた。
「ちゃんの端末には遠隔から位置情報を見ることのできる機能もついてたでしょ? 居場所だけでも探してみるから、アクセス権寄越しなさい」
「……ああ、頼む」
唐之杜に連れられ、狡噛が分析官の部屋へと消えていく。宜野座は既にの捜索を生活安全課へと依頼しており、高い優先度で捜索してもらえるとのことだった。きっとすぐ見つかる、もしかしたらただ何らかの原因で帰って来れなくなってしまっただけかもしれない。そう思うのに、朱の胸中では嫌な胸騒ぎが渦巻いていて。
「……大丈夫ですよね。きっとすぐ、見つかりますよね」
「そうだと、思いたいんだがな」
狡噛の次にを猫可愛がりしていた征陸が、義手の方の手で頭をかく。はぁ、と吐き出された溜め息には、確かな憂いの色が包含されていた。
「昔の刑事には、身内の巻き込まれている事件には関わるなというルールがあった。感情が、正常な判断能力や捜査能力を歪ませるからだ」
「…………」
「は無事だと確信したい。そう思った時点で、刑事としては間違ってるんだ」
「征陸さんの、刑事の勘は、」
数々の事件を解決に導いた、長年の経験により培われた征陸の直感。それはの失踪をどう捉えているのかと問うた朱に、征陸は緩く首を横に振った。
「ほぼ確実に、事件の渦中だ」
狡噛もそう直感したからこそ、報告や他の対処を後回しにして飛び出そうとしたのだろう。嫌な予感ほどよく当たる。祈るように、朱は両手の指を組み合わせた。
161023