職業柄、は人の機微には敏いほうだ。小さな夜の街の片隅、小ぢんまりとしたバーがの狭くて広い世界だった。はこのひっそりとした、隠れ家のような自分の店を愛している。静かに酒を嗜む常連の紳士も、浮ついて賑やかな一見の学生も、にとっては皆大切な客であった。
「ですので、貴方がそのようにお怒りにならずとも」
「怒ってなどいない。ただ僕は、ものの価値も解らぬ輩に貴方の作品が汚されるのが耐え難いだけだ」
「……それを怒っているというのでは」
「なら、怒っているということにしましょう。、貴方は客を選ぶべきだ。貴方にはそれだけの価値がある」
三好の前に、はそっとグレープフルーツのジュースを出した。客を選ぶような大層な身分ではないつもりだが、三好に助けられたのは紛れもない事実だ。のサービスに、三好は片眉を上げた。
「僕は酔ってなどいませんよ。あの客じゃあるまいに」
「ええ、存じております。素晴らしい弁舌でしたから」
泥酔して店内に雪崩込んできた上、あれやこれやと無茶を言い暴れようとした男を、華麗にあしらって追い返してくれたのは三好だ。さすがは警察の中でも特殊な仕事をしているらしいだけのことはあると、口下手な方であるは三好の弁舌の鮮やかさに内心いたく感心していた。ただ三好があまりにも苛ついているというか、不機嫌なように見えたので、普段滅多に感情を表に出さない三好の異変を心配してのことだった。三好もそんなことは見透かしているようで、黙ってグレープフルーツジュースを煽る。ことりと空になったグラスを置いた三好に、は先ほどの礼を申し出た。
「仕切り直しはいかがですか、三好さん」
「……では、ハイライフを二杯。一杯は僕の払いで、貴方への奢りです」
普段であればは勤務中にアルコールを摂らないし客からの奢りも受けないのだが、今回は理由が理由である。幸いというべきか、今は三好の他には客はいない。ここで三好の厚意を無碍にするのも筋が通らないと、は首を縦に振った。
三好は男にしては線が細く、紅を差したように赤い唇が目を引く美男ではあるが、その実かなりの酒豪である。おそらくが今手にしているウォッカを一瓶まるまる空けたとて、平然と次を注文してくるだろう。次々に脳裏に浮かび上がろうとするかつて三好に飲み比べを挑んだ者たちの末路を雑念として振り払い、はシェイカーを強めに振った。
「貴方のように素晴らしいバーテンダーには、失礼な問いかもしれないが」
の手元をじっと見つめながら、三好が紅い唇を開く。グラスに注がれた、黄色みを帯びた乳白色の液体。ふたつ並んだグラスの一方を持ち、もう一方をに促す。が軽く頭を下げてグラスを取ると、三好は乾杯の前に問いを紡いだ。
「ハイライフのカクテル言葉を、知っていますか」
「ええ、存じております」
「流石だ。僕は貴方に、その言葉を捧げましょう」
「……ありがとう、ございます」
頬に朱色が差しそうになるのを、何とか抑えつける。愉快そうにクスクスと笑う三好に促されて、グラスを合わせた。
三好は存外、気に入ったものへの執着が強い性質であるらしい。もっともそれも猫のように気まぐれな執着で、「要らない」と思ったその瞬間には切り捨てられてしまうのだろうが。一口、グラスに口をつける。自分の思い描いていた通りの、良い出来だった。
――私は貴方に相応しい。
この空間に自分は相応しい。自分にこの空間は相応しい。気位の高い三好らしい賛美だと、は熱くなる頬を誤魔化すのだった。
170608