「はじめまして、こんな姿でごめんなさい。私、脚が悪くて。見苦しい姿での挨拶をお許しくださる?」
 ハキハキと喋る知的で快活な印象と、車椅子がどうにも噛み合わない。一瞬覚えた違和感を払いのけたジークフリートは、旧友の妹御に対して失礼のないように礼を執った。
「初めまして。俺で良ければ、貴女のエスコートをさせていただこう」
「まあ、よろしいの? 私、ずっとあなたとお話ししてみたかったのだわ!」
 手を打って喜ぶ姿は、兄によく似て怜悧な風貌にあどけない印象を与える。溌剌とした姿にはやはり車椅子がどうしても噛み合わなくて、ジークフリートは少し目を逸らしながらその持ち手に手を添えた。

 英雄譚の好きな妹に旅の話をしてやってほしいと、パーシヴァルに頼まれたジークフリートは少し迷ったが頷いた。貴族の話し相手というのは、ジークフリートといえど多少気後れするところがある。それも英雄譚などと、濡れ衣とはいえ一度は王殺しの狂人として国を追われた自分には相応しくない。けれど、信頼するパーシヴァルの妹だ。普段世話になっている分は返したいと、ジークフリートはウェールズへやって来たのだった。普段通りの口調で話してくれと言われて、戸惑いながらも頷く。ウェールズの王族は個性が強いと、褒めているのか失礼なのかよくわからないことを考えた。
「パーシヴァルお兄様は、外ではどんなふうに言われているのかしら?」
「……言葉を飾らず、厳しいこともきっぱりと言う。だが、真に民を思いやっていて、その志に共感する者も多い。剣の腕も頼りにされている」
「ふうん? 外でもああなのね。『偉そうな問題児』だとか言われたりしていそうだけれど」
「…………」
「言われているのね、やっぱり」
 車椅子を押しながら、ウェールズの城の入り組んだ庭を歩く。くすくすと笑うに、何と返して良いものか迷った。
「そうね、お兄様は厳しくて優しいわ。アグロヴァルお兄様は、甘いと仰るけれど」
「……身内に対しても、ああなのか?」
「アグロヴァルお兄様に対しては、色々と拗らせていてよ。ラモラックお兄様とは、よくわからないわ。私もあの方はよくわからないもの。私に対しては……厳しいけれど優しいのだわ。優しすぎるくらいに……ええ、きっと優しいのだわ」
 自身に言い聞かせるような声に、ジークフリートは眉を顰めた。一拍の躊躇いの後に、ジークフリートは静かに問うた。
「パーシヴァルは何故、俺をあなたに会わせたのだろうか」
「あら、お兄様からは何も聞いていらっしゃらなくて? 私がお願いしたのだわ。最後の我が儘なのよ」
「最後の我が儘?」
「ええ、私、明後日にはお兄様に嫁ぐのよ?」
「……それは、」
 兄に嫁ぐという言葉に、思わずジークフリートは目を瞠った。は悪戯が成功した子どものような無邪気な笑顔を浮かべて、驚いてくれたかしら? と振り向いた。
「パーシヴァルお兄様は、昔からとても厳しかったのだわ。教師の横からいつも、怖い顔をして私の間違いを指摘して。ひとつでもマナーを間違えようものなら、それはもう長いお説教をされたのだわ。そのうち、私の教師を全員辞めさせてしまったのよ。『俺が完璧な淑女に育て上げる』だなんておっしゃって」
 くすくすと上品に笑うの仕草は、貴族らしい気品に溢れている。それは何よりも雄弁に、パーシヴァルの指導の結果を物語っていた。
「お兄様は厳しかったけれど、それはもう鬼のように厳しかったけれど、私をどこに出しても恥ずかしくない淑女に育ててくれた優しさは本物なのだわ。言葉や態度こそ厳格でも、私ができるようになるまで作法の稽古にも勉強にも付き合ってくれたのよ」
「……パーシヴァルはとても面倒見がいい。口でこそ、ああは言うが」
「そう、とても思い遣りが深いひとなのだわ」
 ジークフリートの言葉に嬉しそうに頷いたは、ふと自分の膝に視線を落とした。
「私は、英雄譚が好きだったわ。お兄様たちが見てきた外の国のお話も、大好きだった。それに私、自分で言うのも何だけれど剣の才能があったのよ。勉強も稽古も頑張ったけれど、同じくらい乗馬や剣術も頑張りたかったの」
「……その脚は、事故で?」
「そう、ね。きっと事故みたいなものだわ……私、お兄様たちと同じように外の国へ行きたかった。自分の腕で剣を振るって、国の力になりたかった。守られるだけのお姫様なんて嫌だったのだわ、私も騎士になりたかった」
 膝の上で、はぎゅっと両手を握り締める。白くなるほどに強く握り締められたその手を、ジークフリートは静かに見下ろしていた。
「私は、家督の相続権もあったの。ウェールズ家の倣いで、他国の騎士団に預けられる話だって出ていた。パーシヴァルお兄様は、ずっと反対なさっていたわ。ウェールズは清く正しいだけの国ではないと。王位を争うつもりがなくとも、継承権がある限り政争に巻き込まれる。お前まで骨肉の争いに巻き込みたくないと、あのお兄様が懇願した姿は今でも目に焼き付いていてよ?」
「……パーシヴァルらしいな」
「ええ、でも私は首を縦に振らなかった。このことに関しては、アグロヴァルお兄様の方が理解があったのだわ。ウェールズの力になるのであれば姫でも構わないと、むしろ俺たちを喰らう勢いで力を手にしてみせろと、剣の稽古までつけてくださったのよ」
 覇道と王道を往く二人らしい対比だと、ジークフリートは内心思った。は膝が痛むのか、長いスカートの下に隠れた膝を宥めるように何度も摩っていた。
「……私が預けられる騎士団が決まった日、お兄様は私の脚を落としたわ」
 昏く低い声での呟きに、ジークフリートは自分の耳を疑った。がスカートの裾を持ち上げて、膝から下を晒す。そこにあったのは、金属でできた冷たい義足だった。
「とても、痛かったのだわ。さっきまで笑っていたお兄様が、突然剣を抜いて斬りつけてきたのよ。ぞっとするほど躊躇いがなくて、美しい太刀筋だった。私の脚はおもちゃみたいに転がって、でも血は溢れなかったわ。お兄様の炎で断面を焼かれたの。おかげで死ぬほど痛かった。痛いと言っているうちに、もう片方も転がっていたのだけれど」
 絶句するジークフリートの前で、はスカートの裾を静かに下ろす。はしたなくてごめんなさいと、自嘲気味に笑ったに何も返せなかった。
「三日三晩、寝込んだわ。あのアグロヴァルお兄様が真っ青になって枕元に駆け付けたところを見れたのは面白かったけれど、得したことなんてそれくらい。私は、剣も夢も失ったわ」
「パーシヴァルが、そんなことを……」
「お兄様は、笑っていたわ。心底安堵したような顔をして。『これで俺が一生お前を守ってやれる』って、泣きそうな顔をして笑っていたのだわ」
 俯いていたは、顔を上げてジークフリートを振り返る。その顔は泣きそうな顔をした歪な笑顔で、きっとの脚を斬ったパーシヴァルもこんな顔をしていたのだろう。
「私、ほんとうにあなたにお会いしたかったのだわ。兄の信頼する、兄の尊敬する騎士。私、心底からあのひとを憎んでいてよ。私は絶対にあのひとを許さない。一生、許さない。私に消えない傷を残したあのひとに、私も傷を残すわ。あなたの信頼が、きっと兄には大切なものだから。例えいつか瘡蓋になっても、取るに足らない傷でも、それでも傷は残る。それが私の、最後の我が儘なのだわ」
 愛憎に揺らぐ、緋色の瞳。パーシヴァルは、妹の抱く憎悪も全て解っていて自分を連れてきたのだろう。それがどうしても不可解で、ジークフリートはの手に自らのハンカチをそっと置いたのだった。

「お兄様は、私に感謝するべきだわ」
「初夜の花嫁にしては、随分と可愛くない言葉だな。俺はそんな教育をしたつもりはないが」
 表向きは事故として処理された、凶行の責任を取る。その言葉が建前でしかないと、もパーシヴァルも、それにきっとアグロヴァルも解っていた。
「私から全てを奪ったお兄様に、見せる可愛げがあると思っていらっしゃるの? 笑えない冗談なのだわ」
「減らない口だ、萎えるようなことを言うな。夜の務めについてもきちんと俺が教えたはずだが?」
「むしろ萎えてほしいのだわ。お兄様の子どもなんてできた日には、私自殺してしまいそうですの」
 憎まれ口を叩く妹の体は、けれどカタカタと震えていた。義足を外してしまえば、もうは立つことさえできない。精一杯の虚勢が愛らしくて、少し青ざめた白い頬をゆっくりと撫でた。
「……生憎と、お前に反抗された程度で余計に燃えるだけだが?」
「信じられない変態なのだわ」
 髪も目も、パーシヴァルと同じ色をしている。それなのに、まるで違う人間だった。
「私、お兄様が憎くてよ。その背中に、剣を突き立ててやりたいくらいに」
 覆いかぶさったパーシヴァルの背中に腕を回して、はその背筋を指先でなぞる。閨で無防備な急所を晒しているにも関わらず、パーシヴァルは余裕の笑みを浮かべていた。
「殺せもしないくせに、可愛いことを言う」
「勘違いしないでくださる? 殺さないのだわ、お兄様はウェールズに必要な方ですもの」
 一生懸命皮肉っぽく唇を吊り上げる妹は、人に慣れない仔猫のようで愛らしい。その唇に自らの唇を重ねてしっとりと食むと、初めて怯えの色が緋色に過ぎった。逃げようと動く体を押さえつけて、ふたりの息が同じ温度になるまで何度も口づけを繰り返す。とうとうぎゅっと目を瞑ったの唇をぺろりと舐めて、その口内に舌を這わせた。華奢な丸い肩を両手でしっかりと掴んで、ゆっくりと舌を絡める。それはパーシヴァルにしてみれば初めてのに対する優しさだったが、にとってはいたぶられているのと変わりなかった。望まぬ情交など、乱暴でも痛くてもいいから早く終わってほしい。それなのにこの頓珍漢な兄は、に拒絶を許さないくせにを抱くその手つきは悍ましいほどに優しいのだ。
「……っ、」
 体を強張らせるを宥めるように、肩から下りたパーシヴァルの手が体の線をなぞるように撫でる。腕や脇腹、腰を慈しむように滑るその手は、躊躇いなく太腿へと伸びた。傷口に近いところを撫でられて、痛みの記憶がぶり返して冷や汗が滲む。懸命に声を堪えるは、ただただ早く時間が過ぎ去ることを願っていた。
「どうして、と訊いたな。お前の脚を斬り落とした日に」
「……それが、何か?」
「惜しくなった。俺の手で育て上げたお前が、どこの馬の骨とも知れぬ輩に傷つけられ、奪われるのが。お前は俺の手がけた、初めての『結果』だ。他人にくれてやるのは惜しい」
「……まるで、物のような言い草ですわ」
「何を言う、お前は血の通う人だろう。お前は理想の王女だ。俺の愛する妹だ」
 答えの代わりに、は無言で目を逸らした。シーツをぎゅっと握って、体を這う兄の手がもたらす感覚に耐える。パーシヴァルにとって、を育てることは理想の国を造ることと変わりないのだ。はパーシヴァルの初めての作品だ。初めからは、パーシヴァルの所有物だった。
「優しく、しないでくださる? 私、もっと物らしく扱ってほしいのだわ」
 胸を撫でる手は、穏やかにがパーシヴァルの手に慣れるのを待っている。体温が交じりあっていく錯覚が怖くて顔を背ければ、そっと頬に手を添えられて強制的に視線を合わさせられた。
「お前を壊したくない。ようやく、完成したんだ」
 ぐっと、脚を押さえつけられる。その手に籠る力はそれまでの優しい触れ方とは打って変わって、容赦なくを押さえつけていた。燃えるような瞳が、を静かに見据える。
「欠けたお前は、何よりも美しい。、脚も剣も夢も失ったお前が、この世で一番美しいんだ」
 狂気すら滲む言葉に、は絶句する。ああ、ジークフリートとの信頼に傷をつけたところで何の意味もなかった。この瞳は、しか見ていない。
「殺したければ殺せばいい。もっとも、そう易くは殺されてやらないが」
「……よろしくてよ、お兄様。『私』の代償は、高くついてよ?」
 兄の頬に手を伸ばして、爪を立てる。ぐっと爪を喰い込ませて肉を抉れば、血が滲んだ。この男の血も赤いのだと、少しだけ意外に思う。
「楽に死ねるとは、思わないことだわ」
「そうか、楽しみにしているぞ」
 不敵に笑う兄の首に腕を回して、その首筋に歯を立てる。それでも変わらず触れる手は優しくて、それがひどく憎らしかった。
 
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