フェードラッヘには、小さな王女がいる。国王の姪であり、王弟が年をとってから生まれた子であるため、大層可愛がられている王女であった。甘やかされて我儘になることもなく、素直に純粋に育つ姫。黒竜騎士団の面々もまた、国王や国民たち同様に姫の健やかな成長を願っていた。まだ少年から青年への過渡期にあったランスロットが、ジークフリートによって幼い王女の元へと連れてこられたのは、ある穏やかな春の日のことだった。
様、これなるは俺の部下のランスロットです。今はまだ修行中ですが、勤勉で筋が良い。必ずや、貴女をお守りする騎士となることでしょう」
「……らんしゅ、りゃ、らんす、ろっと?」
「はい、ランスロットです。ランスロット、姫君に御挨拶を」
「はっ、はい! 王女、貴女をお守りする騎士である、ランスロットです。よろしくお願い、致します……!」
「今日からランスロットが、姫様の世話役になります。ご用命の際は、この者にお申し付けください」
「ようめい?」
 こてんと首を傾げるに、ジークフリートはにこりと微笑む。
「お願いしたいことがあれば、ランスロットに。きっと貴女の願いを叶えてみせます。そうだろう? ランスロット」
「は、はい! 姫様、このランスロット、如何なるご用命であろうとも果たしてみせます!」
「らんしゅ……らんしゅろっと! よろしく、おねがいします?」
 世話役がつくことの意味をよくわかっていなさそうにしながらも、小さな王女は握手を求めるように手を差し出す。けれど初めて間近で接する王族に緊張でいっぱいいっぱいになっていたランスロットは、何を思ったのかその手を掴んで手の甲にキスを落とした。貴婦人に対する騎士としては間違っていないが、思わぬ行動にジークフリートは目を瞠る。もまた、ぽかんとした後にみるみるうちに赤く頬を染めた。
「あ、う……!?」
「おい、ランスロット?」
「えっ? あっ……も、申し訳ありません様! 姫様の御手に不躾に触れてしまい……!!」
 失態に気付いてワタワタと慌て出すランスロットと、つられて混乱する。真っ赤になったはとてとてと全力でジークフリートに走り寄り、その影に隠れてしまった。それを見てランスロットは、真っ青になってこの世の終わりと言わんばかりの絶望を露わにする。前途多難だな、と思いつつジークフリートは、ぎゅううっと脚に必死にしがみつくをどうすべきか頭を悩ませるのだった。

「らんしゅー? らんしゅ、らんしゅよっとー?」
 愛らしい、舌足らずな声でランスロットを探すの声に、お茶の準備をしていたランスロットは大慌てで主君の元へと駆け付けた。現れた少年騎士の姿に、はぱあっと顔を輝かせる。幼気で愛らしい姫の反応に、ランスロットの顔にも自然と笑みが浮かぶ。装束に土がつくことも厭わずに、ランスロットはの前に膝を着いた。
「はい、様。あなたのランスです」
「ら、らんしゅー、う……」
「……ええ、様。あなたのランシュはここにおりますよ」
 滑舌の悪さを気にしてしゅんと落ち込むに、ランスロットは慈しみの笑みを浮かべて自分の名前を言い直す。世話役なのだから甘やかすだけではいけないのだと常日頃自身に言い聞かせているランスロットだったが、彼も結局他人から見れば十分に甘かった。
「いかがなさいましたか、様。もうすぐお茶の時間ですが」
「あのね、きいちご、とりに、いきたいの」
「木苺ですか?」
「まえにね、べいんがいってたの。おしろのそとに、おいしいきいちごがいっぱい、って」
「ヴェイン……」
 立場ゆえに滅多に城の外に出れないに話していいことではないだろうと、ランスロットは快活な幼馴染を脳裏に思い浮かべ内心ため息を吐く。きらきらと目を輝かせるに心が痛むが、これもお目付け役でもある自分の役目だとランスロットは眉間に皺を寄せる。できるだけ優しく諭さねばと、ランスロットはと目線を合わせて口を開いた。
様、木苺を召し上がりたいのでしたらヴェインに採ってこさせましょう。俺もいつでも採りに行きます。ですが、様はこの国に唯一の王女であらせられる。城外に出るわけには……」
「ううん、おとーさまにあげたい、の。おとーさまに、よろこんでほち、ほしーの」
 父に贈る物は自分の手で採りに行きたいのだと、拙くも懸命に訴えるに、ランスロットの決意は揺らぎそうになる。ヴェインの言う木苺の場所ならランスロットも知っている。あそこは城外といえど城壁からそう離れてもいない。自分が目を離さずにいれば――そう考えてしまっている時点で、もうランスロットの負けは決まったようなものだった。
「……だめ?」
 とどめにあどけない大きな瞳で窺うように見られては、もう何も言えるわけもなく。ぐう、と唸ってしまいそうになったランスロットは、可憐な王女にそっと手を差し出した。
「このランスロットが同行致します。ですが、今回だけです。そして、これは俺と様の秘密です。ヴェインにも、ジークフリートさんにも、決してお話しになりませんようお願い致します」
「……いいの?」
「はい。俺がお傍におりますので。俺は貴方の、騎士ですから」
 繋いだ手に傅いて、ランスロットは小さな手に口付けを落とす。ジークフリートやヴェインと共に前線で戦いたい気持ちが、ないわけではない。けれどこの小さな貴人を守り育てることが自分に任された役目なのだと思えば、誇らしかった。子供と侮ることなく敬意を表すランスロットに、の表情がふわりと緩む。この人はを傷付けない。の瞳に、少年騎士への信頼が生まれる。ランスロットは、の手をしかと握り、可憐な王女への忠誠を改めて誓うのだった。
 
171024
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