「わぁ……!」
が城外への道を覚えてしまわないよう、外套を羽織りその中にを隠して城の外に出たランスロットだったが、外套を退けた瞬間目の前に広がった木苺の茂みに顔を輝かせたを見て、哀れみを抱いてしまったことに自己嫌悪を覚えた。わくわくとした表情でランスロットを見上げ、許可を待つようにランスロットを窺う。無邪気なその様子に、ランスロットはふっと口元を緩めた。
「ここですよ、様。一緒に木苺を採りましょう」
「うん!」
小さな籠を握り締め、は喜び勇んで木苺の茂みに近付いていく。の持っている中で一番簡素なワンピースを着てもらったが、万が一にも汚したりしないようにとランスロットは慌てて後を追った。
「らんしゅ、らんしゅ、」
「いかがなさいましたか? 様」
「どうして、このきいちごはみどりなの?」
至極真面目な顔をして問うに、ランスロットはぽかんと口を開ける。けれど、が王女であることを思い出してさもありなん、と口を閉じた。思えば自分も最初は木苺を摘んで持っていくと言ったのだ。この可憐な姫の知る果物とは、最上の状態で食べられるものばかりなのだろう。ランスロットは柔らかな笑みを浮かべて、未熟な木苺を指さした。
「この木苺はまだ熟していないのですよ、様。十分に育っていないので、食べられないのです」
「そうなの? でも、きれいだね」
「ええ。いずれ赤く色付けば甘くなります。青い実は、取らずにそのままにしておきましょう」
「うん!」
明るく元気よく素直な返事をしながらも、の視線はじっと緑の木苺に向けられている。旺盛な好奇心が熟していない木苺に向けられているのが見て取れたが、青い実を食べて苦い思いをさせるのも可哀想だ、とランスロットは手近な赤い実をぷちんと摘んだ。
「様、お口を開けていただけますか?」
「?」
素直に開いた小さな口に、ランスロットはそっと木苺を放り込む。もぐ、と口を動かしたの表情がぱあっと華やいで、ランスロットは微笑ましさに口元を緩めた。
「おいし、ね! おとーさまも、よろこぶ?」
「はい、きっとお喜びになられるかと。さあ様、たくさん摘んでいきましょう」
そっと促せば、頷いたは夢中になって拙い手つきながら籠に木苺を次々に入れていく。その横でランスロットも木苺を摘みながら、ふとジークフリートの言葉を思い出していた。
ランスロットがの世話役をする期間は、そう長くない。あと何年かすればは王都を離れ、慟哭の谷へと向かうのだそうだ。黒竜騎士団の団長であるジークフリートがかつて封印した、真龍ファフニール。その封印が解けぬよう、荒ぶる魂を慰め祈りを捧げる龍の巫女として、あの魔物の蔓延る地に分け入り、魔物の少ないところに神殿を建立して祈りの日々を送るのだそうだ。自身もそのことは知らされ、納得しているらしいが。果たしてこの無邪気な幼子が、いったいどれほどその意味を理解しているのか。王族とは責務ある身でただ傅かれるのみではないと解っていたが、ランスロットはが不憫でならなかった。
「らんしゅ、」
「……は、はい、様」
くいくいと外套を引っ張られ、思索に耽っていたランスロットは慌てて現実に意識を引き戻す。屈んだランスロットの口元に伸ばされた小さな手の指先には、真っ赤に熟れた木苺が摘まれていた。
「らんしゅ、あーん」
「……!? つ、謹んでいただきます」
にしてみればランスロットが木苺をくれたことへのお返しなのだろうが、ランスロットにとっては天変地異レベルの驚きである。真っ赤になってぷるぷると緊張で震えるランスロットの口に、がちょんと木苺を放り込んだ。そのままむぐむぐと咀嚼するが、甘いはずのその味がわからない。何とかそれを嚥下したランスロットに、はにこりと微笑んだ。
「らんしゅ、おいし?」
「はっ、はい!」
ガチガチになって返事をするランスロットに、はにこにこと心底嬉しそうに笑う。未だ何も知らない、可憐で無垢な姫君。果実が青から赤に色付くことも、独り龍の封印を守り続けることの寂しさも知らない。あまりに幼い、ランスロットの主君。知らないことを憐れと思うのに、知らない綺麗さを保っていてほしいと願うのは矛盾だろうか。この気持ちは、いったいどんな感情に拠るものなのだろう。
「おじさまにも、もってかえろうね! べいんにも、じーくにも!」
「……ええ、そうですね」
だが今はただ、の臣下として忠義を尽くすだけだ。きっとは、素晴らしい君主になる。父や伯父のように。そしてその成長を手助けし尽くすことこそが、ランスロットに与えられた使命なのだ。ならばランスロットは、きっとを守り抜こう。が旅立つ、その日まで。
「たのしーね、らんしゅ!」
木苺を摘む、たったそれだけのことが世界で一番楽しいかのように笑うがただ、美しいと、そう思った。
171026