「くっ……ランちゃん、いくらランちゃんが相手でも、ここで退くわけには……!」
「それはこちらの台詞だ、ヴェイン。その剣を下ろして、様をこちらに引き渡すんだ」
「様、ここは俺に任せて先に……!」
「べいん……!」
「させませんよ。さあ、様。こちらに」
「う、うおお! 様は、俺が守る!」
「様をお守りするのは俺だ」
べしっと音を立てて、呆れた顔のランスロットがヴェインのうなじを打つ。無駄にシリアスな空気を出してランスロットと睨み合っていたヴェインは、ごはっと言ってそのまま地面に倒れ伏した。
「きゃー、べいんー!」
「姫様、お戯れはそこまでです」
慌ててヴェインに取り縋るに、ランスロットは跪いて手を差し出す。ニコニコと笑うランスロットの笑顔の圧力に負け、は大人しく手を重ねた。
「ら、らんしゅ……」
「はい、あなたのランシュですよ」
にこやかに笑ってはいるが、重ねた手をぐっと掴んだランスロットは、逃がさないと無言で語っていた。
「お、おこりゅ……?」
「いえ、あなたに怒ることなど。ですが、ヴェインにはよく言って聞かせなければ」
「べいん、おこらないで……! わたしが……!」
「いいえ様。彼は咎められなければいけないのです。やったのはあなただとしても、そう仕向けたのはヴェインですから」
「う……」
ゴソゴソと、ランスロットが取り出した薄めの本。それは騎士団で一般教養の教育のために使われる教本だった。その裏表紙には、デカデカと元気よく本来あるはずのない単語が書かれていて。
「様、正直にお答えください。これをあなたに教えたのは、ヴェインですね?」
「ひゃ、ひゃいっ……!」
教本の裏表紙には、大きな字で『ランちゃん』と、そう書かれていたのだった。
「いいですか、様。教本の裏表紙に名前を書く、その行為自体は咎められるものではありません。むしろ好ましいことです。紛失や取り違えを、防ぐことができますから」
「はい……」
「ですが、記名は正確にすべきです。様は以前、俺の名前をたくさん書いて練習してくださいました。それなのに何故、このような嘆かわしい事態になったのですか」
「らんちゃん……よろこぶって、べいんいった……」
「そうですね、ヴェインのせいです。ですから様、あなたは逃げずとも良かったのです。悪いことをしてしまったと思ったなら、逃げずにまず謝りましょう。よろしいですね?」
「はい、ごめんなさい……」
「ええ、いい子ですね、様」
椅子の上に行儀よくちょこんと腰掛けたの前で、ランスロットはにこやかにを諭す。けれど許されたはといえばひどく不安げにして部屋の隅をちらちらと見ていた。
「……ああ、様。ヴェインのことを心配してくださっているのですね。様は本当にお優しい」
「らんしゅ……べいん、いたそ……」
「様優しいなあ……!」
部屋の隅では、正座をさせられたヴェインの膝の上に大量の分厚い本が乗せられていた。地味に重くて痛そうなのだが、涙目で唸るヴェインを見てランスロットはにこりと笑う。ランちゃんと、にだけはそう呼ばれたくなかった。にとって頼れる騎士でありたい、そう強く思うランスロットにとって、にそう呼ばれるのだけは許容できなくて。そんな本音を隠して、ヴェインに笑顔を向けた。
「お前に本のありがたみをわかってもらおうと思ってな。様の今日のお勉強が終わるまで、そこでそうしていてくれ」
「えっ」
「さて様、本日のお勉強はフェードラッヘの国史についてでしたね。教師が待っておりますから、あちらの部屋に向かいましょう」
「べ、べいんは?」
「頑丈な男ですから、問題ありません」
ヴェインを可哀想だと思いつつも、笑顔の圧力には勝てずは大人しくランスロットに手を引かれて部屋を出ていく。去り際に物凄く申し訳なさそうに小さく手を振ったに、ヴェインは未だかつてない良い笑顔で返したのだった。
171030