また明日。明日はきっと、かくれんぼで見つけてみせるから。その『明日』は結局、来ないままだった。
「ありあ……ありが、とうね、らんしゅ」
「え……?」
「らんしゅ……ぅ、らんす、らんすよっと、うぅ、」
やはりまだランスロットの名前がうまく言えないと肩を落とすの前に、ランスロットは駆け寄って跪く。たった今聞いた言葉が、信じられない。木苺を山ほど積んだ籠が、どさりと落ちた。
「様、今なんと……おっしゃったのですか」
「……きょうで、らんしゅとばいばいしなきゃだめって。もう、どーこくのたに、いかなきゃだめだから」
「そんな、そのようなことが……まだ様は子どもでしょう? 何故、こんなにも突然に、」
「ふぁふにーる、おきそうって、いざべらいってた。わたし、いかないと。だから、らんしゅにありがとって、いわないと」
「様……」
ありがとうなんて、いらなかった。そんな言葉はいらないから行かないでほしいなんて、言えなかった。は幼くとも、王女としての責務を理解しているのだ。出立は今日の昼だという。こうして別れを言いに来たのは、の温情だろう。ランスロットが何をしたところで、決まったものは覆りはしない。真龍ファフニールの脅威は、ランスロットもよく理解しているつもりだ。あれが目覚めれば、この国はまた混乱に陥るだろう。ジークフリートがいるとはいえ、ファフニールの力は凄まじい。目覚める前に封印し直すのが最善の策なのだと、頭ではわかっていた。に与えられた役目はファフニールの封印を守ることだ。が行かなければいけないのだと、わかっていても。
「俺は……行かせたく、ありません」
「らんしゅ?」
「様は、慟哭の谷がどのようなところかご存知ないのでしょう。あそこはとても危険なところです。麓でさえ、魔物が出る。いくら警備がつくとはいえ、城とは比べようもなく危険なのです。せめて俺が、共に行ってお守りすることができたなら……」
だが、それも叶わぬことだ。元々ランスロットがの世話役に選ばれたのは、ジークフリートの後継としての教育の一環だったのだそうだ。内々に、世話役の任を解かれたあとはいくつかの任務を経て、副団長へ昇進することが決まっている。副団長の地位よりも、少なくはない時を共に過ごした優しい王女への忠義を優先したい。だが、幼いが自らの責務を全うしようというのに、どうしてランスロットが自分の我儘を貫けるだろうか。
「俺は……まだあなたをお守りしたかった。ですが、あなたの決意を汚すことはしたくない。様が行くとおっしゃるのなら、俺はそれを……見送ります」
の手を取った、ランスロットの手は小刻みに震えていた。離れたくないという本心が、震える手にも引き結んだ唇にも表れていた。
「俺は、世話役の任を解かれても様の騎士です。俺は、あなたのランスロットです。どうか、それをお忘れにならないで、ください……!」
「……うん、らんしゅ。らんしゅは、わたしのいちばんの『きし』だよ! いつか、かえってくるから、だから……」
ランスロットに応えるの笑顔が翳り、弱々しく俯く。しゅんと俯いたは、本当は寂しくて、怖くて、悲しいのだ。せめてランスロットにありがとうを告げる間は笑顔でいたかったのにと、空元気も萎んでしまったは肩を震わせる。ぽろりと、我慢しきれなかった涙が零れた。
「かえってきたら、またかくれんぼ、しようね……? こんどは、らんしゅがみつけてね? ぜったいだよ、ぜったい、わたしのこと、わすれないでね、」
「忘れなどしません、絶対に! 次は必ず、俺が様を見つけます」
「やくそく?」
「はい、約束です。あなたの騎士として、この剣に誓います」
腰から鞘ごと抜き取った剣を、に手渡す。おそるおそる剣を受け取ったに、その剣を抜いてくれるように請う。真似事でも、ごっこ遊びでもいいから、に騎士の叙任を受けたかった。ランスロットの願いに、は涙を拭ってにこりと笑みを浮かべて頷いた。
「――『きし』らんしゅろっとに、けんをさじゅ、さずけます」
「ありがたく、拝命致します」
儀礼も言葉もあやふやな、少年騎士と幼い王女のごっこ遊び。それでも、二人だけの意味は確かに刻まれた。両手でこわごわと抜き身の剣を差し出すから、恭しく剣を受け取る。ランスロットにとって、何にも替え難い誉れだった。
「いままで、ありがとう、らんしゅ」
「……はい。様も、今までありがとうございました。どうか、お元気で」
二人だけの、さよならを交わす。きっと出立の見送りは、泣いてしまうだろうから。そのときにはもう、はランスロットの頬を撫でていたその手を伸ばすことができないから。そしてもきっと、泣いてしまうから。だから今は、笑顔でさよならとありがとうを告げるのだ。
「またね、らんしゅ」
「はい、様。またお会いしましょう」
差し出されたの手のひらに、敬愛と親愛を込めてキスを落とす。初めて会った日のことを思い起こさせる行動にはきょとんと目を瞬き、くすくすと笑う。ランスロットもまた、照れたような笑みを浮かべるのだった。
180206