繰り返し、夢を見る。人を殺し続ける竜の夢。いつしかそれは、自分の夢となってを苛んだ。向けられる人々の目は、恐怖と憎悪に染まっている。ああ、殺した。またひとつ、命を踏み潰した。美しい花を無残に潰し、水を穢し、森を焼き尽くし。ただ在るだけで、他者を傷つけずにはいられない。槍が、剣が、弓が、『私』を殺そうと鈍く光る。この爪が、この牙が、この炎が、優しい命を摘み取っていく。ただ争い合い、憎み合うだけの記憶。その繰り返し。『自分』が摩耗していく。どこからがで、どこからがファフニールなのか、わからなくなっていく。昔見た優しい青が、焔の中に消えていく。その終末はいつも、翻る黒と紅い大剣だった。
「…………、」
 身を貫く刃。根源的な死への恐怖。伸ばした手の先は炎へと変わり、たったひとつの名前を呼びたくて口を開くけれど、漏れた音は慟哭のような咆哮だった。

様……?」
 自分の呟いた声で、目を覚ます。ハッとして目元に手をやるが、泣いてはいなかった。どうして自分が泣いていると思ったのか、理由はわからない。ただ、夢に見た懐かしく愛おしい思い出が、ランスロットの心の柔らかいところを刺した。
と過ごした長いようで短い日々は、柔らかい真綿に包んで仕舞っておきたいほどに脆く優しい記憶だった。たとえ会えない時間の方が長くなろうと、それは変わらない。はランスロットに、初めて騎士の誉れを与えてくれた主だった。
「…………」
 ベッドから出て、乱雑に散らかった部屋の中で唯一整頓のなされている一角へと向かう。壁にかけた剣を手に取って、そっと鞘から抜いた。今のランスロットの手にはもう馴染まない、少し小ぶりな剣。丁寧に手入れはしているものの、もう実用性はほとんど失くした刃。曇りひとつない銀色は、鏡のようにランスロットの顔を映す。あの頃はまだ残っていた丸みや幼さの失われた自分の姿に、流れた年月の長さを知った。
 『お前の、一番大切な人との約束を思い出せ!!』
 脳裏に響いた声に、ぎり、と歯を食いしばる。あの裏切り者に言われずともわかっている。ランスロットがとの約束を忘れるわけがない。まだ来ない『明日』、それを待ちわびているのは他でもないランスロットだというのに。ランスロットはを忘れない。『次は』必ずを見つけ出す。その約束を、忘れるなどありえなかった。
ジークフリートは国を裏切り、パーシヴァルは騎士団を去り、ヴェインは地方へと旅立ち、黒竜騎士団の頃とはほとんど顔ぶれが変わって。時折胸の中を通り抜ける冷たい風は、孤独だろうか。自分は寂しさに苛まれるほど弱くないはずだと、叱咤するように言い聞かせた。は自分を一番の騎士だと言ってくれた。のランスロットは弱くない、弱くあってはいけないのだ。が帰ってきたときに、の誇りとなれるように。
「一目でいい、またお会いしたいのです」
 剣を前に、ぽつりと呟く。すまぬな、と言ったイザベラの言葉を思い出した。ランスロットにの居場所は教えられないと。ランスロットはきっとに会いに行かずにはいられないだろうと。ジークフリートもとランスロットが親しかったことは知っている。王殺しが生きているのなら、も狙われている可能性がある。万が一にも後をつけられにまで危害が及ぶようなことがあってはいけないと、ランスロットはの居場所を知らされなかった。時折シルフの護衛で慟哭の谷へと行くたび、眠るファフニールを滅してしまいたい衝動に駆られた。この竜さえいなければ、は王都に戻ってこられるのだ。王都であれば、自分の手でを守れる。けれどファフニールがいなければ、シルフは霊薬を作れない。フェードラッヘの国益が、失われる。きっとはそれを望まないだろうと、ランスロットは自分に言い聞かせなければならなかった。
「……ふう、」
 気付けば険しい顔をした自分が刃に映っていて、ランスロットは眉間の皺を指でほぐす。もうすぐヴェインが久々に王都に帰ってくる。ヴェインは方向音痴だから、港まで迎えに行ってやらなければ。旧友との再会に思いを馳せるランスロットの思考を切り裂いたのは、けたたましいノックの音だった。
「――騎士団長!!」
 何事かとドアを開けたランスロットの元に、転がり込むようにやって来た兵士。その顔には、焦燥がありありと見て取れた。
「真龍ファフニールの封印が解け、シルフ様が襲われました!! 封印を守っていた様が、謎の男に拉致されたとのことです!!」
「――!!」
 が、拉致された。その言葉に、ランスロットの頭は真っ白になった。

「――もっと早くに、気付くべきでした」
 眠るファフニールを前にして、ジークフリートは深く頭を垂れた。
「ここにいらしたのですね、様。気付く機会は何度もあったはずが、俺には何も見えていなかった」
 それは、禁じられた魔術のひとつ。異なるふたつの命を、繋げる禁術。はイザベラの手によって、ファフニールと命を繋げられた。そして、覚めない眠りの魔法をかけられた。が眠り続ける限り、ファフニールもまた目覚めることはない。ファフニールをずっと眠らせ続けるための人柱として、はこの地へと連れてこられた。人々を守るため、そう信じた幼い王女に、残酷な業を背負わせて。そして、誰にも見つからないようにとファフニールの腹の中へと隠された。死なないようにと、シルフの結界で守られて。
確かには国を守り続けた。厄災をもたらす竜を、封じ続けた。けれどその代償は、あまりにも大きすぎる。十年を超える歳月と自分自身を、は犠牲として払わされていたのだ。
「……朝が来ます、様。どうか、お目覚めになってください」
 ようやく手に入れた禁術の解呪の符を握り、ジークフリートはファフニールへと一歩近付く。この国もまた、目覚めなければならない。ファフニールとシルフ――霊薬アルマに頼る裏で、何が起きていたのか、知らなければならない。歪な安寧は、終わりを迎えるべきなのだ。
「ヨゼフ陛下……あなたとの約束を、今果たします」
 が閉じ込められているファフニールの腹に、符を押し当てる。バチバチと激しい光が迸り、鱗の奥が透けて見えた。ぼんやりと小さな人影が見えて、結界ごとファフニールの体内から押し出される。破裂音と共に消失した結界から、膝を抱えて丸くなっていた華奢な体が現れて。
「……っ、」
 ジークフリートは、思わず息を呑んだ。身に纏うもののない肢体を、自らの外套で包んで抱き上げる。最後に見たときからずっと成長したの体には、ところどころに赤い鱗が浮かび上がっていた。長く伸びた髪に隠れるように、小さな角が覗いている。背中からも、赤い翼が生えていた。
ファフニールに同化させられていた時間が、長過ぎたのだ。今のは、半人半竜と化してしまっている。外道が、と思わず罵らずにはいられなかった。このままではいつかは、完全に人の形を失ってしまっていたに違いなかった。同時に、不安が胸をよぎる。の人格は無事なのだろうか。眠らされている間、絶えずファフニールの意識が流れ込んできたはずだ。想像もつかない、気が狂ってもおかしくはない状況だ。魔術を解かれたはやがて目覚める。はたしてそのは、人の記憶を残しているのだろうか。
「……、」
 の口元が、僅かに動く。ぽふっと火を吐き出したその唇の動きを、ジークフリートは緊張した面持ちで見守った。ぴくりと瞼が動いて、ゆっくりと瞳が現れる。瞳の色が昔と変わらないことに、無性に安心した。ぼんやりとした目は、何度か瞬きを繰り返して。そして目の前にいるジークフリートに、焦点を合わせた。
「…………じー、く?」
 掠れた声で呼ばれたのは、確かに自分の名前で。はい、と返事を絞り出すのがやっとだった。胸を締め付けるこの気持ちは、切なさだろうか。泣きたいような気持ちを、ジークフリートは必死に胸の奥に押し込めた。
 
180209
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