「やーっ!」
ジークフリートとランスロットの鬼気迫る打ち合いに割って入ったのは、あどけない泣き声だった。頭を庇うようにして丸くなったが、転がるようにして斜面から落ちてくる。咄嗟にランスロットを弾き飛ばしたジークフリートが、戦いを捨ててを保護した。懐かしい声に気を取られたランスロットは弾き飛ばされたところをヴェインに庇われたが、目の前の光景に唖然と目を見開いた。
「じ、じーく、ごめんね、あのね、」
「お怪我はありませんか、様。いかがなさったのですか」
「わたし、待ってたよ、でも、魔物……ひうっ!?」
ガサガサっと茂みを揺らしたのは、大型の蝙蝠のような魔物だった。驚いて涙を零したの目を片手で覆い、ジークフリートは魔物を斬り捨てる。魔物が霧散するのを確認して、ジークフリートはの目を隠していた手を外した。ぺたりと座り込んだの頭を、優しくジークフリートは撫ぜる。
「もう心配ありません、様。魔物は逃げました」
「あ、ありがとう、ジーク」
「、様……?」
自分を呼ぶ声に、は思わず振り返る。そこには、精悍な青年へと成長したランスロットがいた。隣にはランスロットを支えているヴェインがいる。まずいときに来てしまった、と内心ジークフリートは焦るものの、もう隠しようはなくて。白竜騎士団のほぼ全員が、の姿に驚いて固まっていた。きょとんと首を傾げるに、ランスロットは泣きそうになりながら、信じ難い気持ちで口を開閉させる。
「……らんす?」
「様……なのですね、その、お姿は……?」
「っ!!」
魔物の襲撃で気が動転していたは、ランスロットの言葉で我に返る。見回せば、皆がを見ていた。の頬や腕、脚に浮かぶ鱗を、髪の間から覗く角を、背に生えた翼を、地面にぺたりと伏した尾を。信じられないようなものを見る目で、見ていた。
「あ……」
自分は異形なのだ。その事実を思い出したは、怯えて後ずさる。それは夢の中で、いつも向けられていた目によく似ていた。未知のものへの恐怖。彼らは、恐怖から身を守るためなら何でもする。そして彼らは、武器を持っている。武器は、『私』を殺すためにある。
ざあっと血の気が引いて、傍のジークフリートに縋り付いた。ジークフリートがを隠すように、自らの外套を被せる。立ち上がってを庇うようにこちらを睥睨するジークフリートに、白竜騎士団の面々は警戒して身構える。イザベラは顔色を青くしながらも、をすっと指差した。
「――偽者だ!」
イザベラの言葉にはびくりと震え、白竜騎士団に動揺が走る。口の端を吊り上げて、イザベラは勝ち誇ったように言葉を続けた。
「あれは偽者だ! フェードラッヘ王女である様が、あのような悍ましい姿であるものか! あの者共を捕らえよ! 王家を騙る罪を、許してなるものか!」
イザベラの言葉に、はジークフリートの外套の下でぽたぽたと地面に涙を落とす。自分はイザベラの言う通り、悍ましい姿なのだ。皆、ファフニールそのものを見るような目でを見ていた。は人ではない、人ではなくなってしまった。戻る場所など――帰る場所など、最早無いのではないか。人々に敵意を向けられる恐怖に、はぎゅうっと瞼を閉ざす。世界を見る勇気は、出せなかった。怯えるの姿に、ジークフリートは歯を食いしばる。騎士団が戸惑っているうちに、一旦退くべきか。それともいっそこの場で、イザベラの悪事を明かしてしまうか。けれどその場の空気を変えたのは、場にそぐわない穏やかな声だった。
「……様、緑の木苺を覚えておいでですか?」
「ランちゃん……?」
「ランスロット、何を……」
ヴェインやイザベラがランスロットの言葉を訝しむが、ランスロットはその声には応えなかった。ランスロットは信じていた。たとえ姿かたちが多少変わっていようとも、あれはだと。ランスロットを呼ぶその声の響きと、優しい眼差し。あれがでないわけがないと、確信があった。だからランスロットは、二人だけの秘密を問いかけたのだ。おそるおそる外套から顔を出したは、ランスロットの言葉に首を傾げて。
「みどりの木苺、きれいだったけど、たべられないからダメって、らんすが言ったよ?」
「ええ、そうですね……そうでした」
目元を、手で覆う。ランちゃん? とヴェインが心配そうにランスロットの顔を覗き込んだが、幸い涙は出てこなかった。純粋な嬉しさに、口元が弧を描く。大丈夫だ、とヴェインの支えから離れて、ランスロットは深く息を吸いこんだ。
「あれは本物の様である! 皆の者、我らが王女をお救いするのだ!!」
「なっ……!!」
剣を掲げて号令をかけたランスロットに、白竜騎士団の兵士たちは戸惑いながらもランスロットの言葉を信じてジークフリートの後ろにいるを確保しようと身構える。イザベラがランスロットに睨むような目を向けたが、信頼する団長の号令を受けた白竜騎士団に迷いはなかった。ヴェインも野生の勘なのか竜のような姿の少女はであるという確信があったし、グランたちの想いは「まあ、ランスロットがそう言うなら間違いねぇよな!」というビィの言葉に集約されている。多勢に無勢の状況下、さすがのジークフリートと言えどを奪われないように守りながら闘うには限界がある。さっと片手でを抱き上げたジークフリートは、撤退を選んだ。
「しっかりとお掴まりください、様。いささか揺れます」
「で、でも、わたしびっくりしたら、火が出るかも……」
「構いません」
先程魔物に襲われたときも火を吐いてしまったは危ないからと躊躇うが、ジークフリートは構わずを抱え込む。ジークフリートが逃げの態勢に入ったことに気付いたランスロットは先んじて逃走経路に回り込もうとするが、ジークフリートの方が初動が速かった。取り囲もうとする兵士たちの壁が薄いところを的確に見抜き、最低限の動きで数人を弾き飛ばして包囲を突破する。
「待て、ジークフリート!! 貴様、様を返せ!!」
「先約があるのでな。ここは退かせてもらおう」
滑り込むように、ジークフリートは森の中に姿を消す。の姿が見えなくなっていくことに焦るランスロットは後を追おうと脚に力を込めるが、鋭いイザベラの声がそれを止めた。
「ランスロット! 今はシルフ様の護衛が優先だ、深追いするな!!」
「……っ、」
我を忘れかけたランスロットは、足を止めて振り向く。ヴェインの目が、追ってはいけないと訴えていた。もう一度だけ、森の奥を振り返って目を凝らす。ぽふっと小さく瞬いた炎が、標のようにランスロットの目に焼き付いたのだった。
180210