ジークフリートに手を引かれて、地下通路を歩く。王都にこんな場所があったのかと、は暗くてよく見えない天井を見上げた。何故か既視感がある気がして、けれどそれがどうにも思い出せない。ランスロットやジークフリートたちのことは多くを覚えていたが、の記憶はファフニールの夢に蹂躙されたことで摩耗している部分も多かった。
「ねぇ、ジーク」
「はい」
「らんす、わかってくれたね」
「あいつは、視野は狭いが一途ですから。あなたを見紛うこともありますまい」
 ところで、とジークフリートはに尋ねる。ランスロットはあの質問で何やら確信を得たようだったが、ヴェインたち同様ジークフリートもそれを知らなかった。
「緑の木苺とは、何のことなのですか?」
「……ジーク、おこらない?」
「はい」
「らんすのことも、おこらない?」
「……様が、そう望まれるのであれば」
 今はジークフリートはランスロットのことを叱るどころか刃を向けられる立場なのだが、ごく自然にランスロットのことを心配したの時間にはやはり彼らとのズレが生じている。憐憫を呑み込んで頷いたジークフリートに、はもじもじと尻尾の先を弄りながら口を開いた。
「あのね、いっかいだけ。いっかいだけだよ? ないしょで、お外に連れていってもらったの」
「……城の外に?」
「いっしょに木苺、とりに行ったの」
 あれか、とジークフリートは思わず額を抑える。いつだったかが、ヨゼフやカールに大量の木苺を渡していたことがあった。ヴェインやジークフリート、パーシヴァルもその恩恵に与ったが、あれがまさか城外で手に入れたものだったとは。陽気ながらも生真面目なランスロットがよく許したものだと思ったが、ヴェインが「ランちゃんああ見えて、昔はすっごくやんちゃだったんですよー」と笑っていたのを思い出す。優等生も根っこはやんちゃ坊主だったのかと思うと、思わず笑みがこぼれる。久々に、可笑しくて笑った気がした。
「わたしね、みどりの木苺、はじめてみたの。らんすが、それはまだたべられないって、教えてくれて」
「そう、だったのですか」
「あのときね、らんすのマントに入って、いろんなところをくぐったの。それが楽しくて、かくれんぼでもあちこちにもぐって……」
 恥ずかしそうにしながらも思い出を語るの声が、ぴたりと止まる。見れば、行き止まりに見える壁の切れ間から明かりが漏れていた。隠し扉であるそこを通ろうとジークフリートは前に進もうとするが、が動かない。訝しんでを見ると、は目を見開いて明かりの漏れる壁の隙間を凝視していた。
「……じーく、わたし、ここに来たことあるよ?」
「なんと……それは、いったい」
 この先にあるのは、ルフルス村の住人のような、存在を知られては困る囚人を投獄する地下牢だ。そして、霊薬アルマを生み出す過程で生まれる毒の宝珠、カルマ。どうしてがここを知っているのかと、ジークフリートはが記憶を手繰るのを待った。
「らんすとね、かくれんぼしてて……昨日は屋根の上にのぼったから、今日は下にかくれよう、って思ったの。それで、どんどん下に下に、ってもぐったら、まよって、ついちゃったの。きらきらした黒くて丸いものがいっぱいあって、イザベラが、すごくびっくりしてた」
「イザベラが?」
「うん。『どうやってここまでお入りになったのですか』って、イザベラすごくこわい顔するから、わたし、『わからない』って……」
「…………」
「イザベラがらんすのところにつれていってくれて、もうあそこに入っちゃだめって」
 の言葉で、ようやくイザベラがを人柱に選んだ理由がわかった。縛龍の封印があればいいものを、わざわざを、それも本来の予定よりも早くに使った理由。偶然カルマを見つけてしまったを、王都から遠ざけるため。そして何も知ることも語ることもなく、眠らせておくため。あのまま同化が進めば、は第二のファフニールと化していたはずだ。シルフとファフニール、その両方がなければ霊薬アルマは作れない。万が一ファフニールが失われた場合の、スペアとでもするつもりだったのか。どこまでも私欲に基づいた非道な振る舞いに、ジークフリートは思わず繋いだの手を強く握り締めた。

「そうか、が……」
 シルフ救出の任務を無事果たした白竜騎士団とグラン一行を労ったカールは、ランスロットの報告を受けて目を伏せる。一度は邂逅したものの、ジークフリートに再び連れ去られるのを許してしまったこと。その容姿が、竜を思わせるものに変わっていたこと。顔を上げたカールは、眉を下げて微笑んだ。
「ジークフリートの目的はわからぬ、不安は大きいが……今は皆、ひとまず休みなさい。宴とはいかんが、食事の用意もさせてある。よくシルフを助けてくれた、心から礼を言う」
「陛下……」
「……すまんが、少し一人にさせてもらえぬか」
 騎士団と騎空士たちを大広間に通し、カールは再び目を伏せる。一人娘を案じる王の心痛を思えば誰も異議を唱えるわけもなく、沈んだ空気の中、王の立ち去る衣擦れの音が重々しく響いた。

「…………あの、お転婆娘め」
 バルコニーから城下を見下ろし、カールは力無く毒づく。あのお転婆娘は、このバルコニーのある石塔の屋根に登ったこともあった。世話役のランスロットがものすごい速さで外壁を駆け上っていったあと、を抱きかかえてこれまたものすごい速さで外壁を駆け下りていったのだ。そのときもバルコニーで外を眺めていたカールは、突然の嵐のような出来事にたいそう肝を冷やされた。後日ランスロットが目の前を走り抜けた非礼を詫びに来たが、思わず「何故中の階段を使わんのだ……」と言ってしまったことを覚えている。きょとんとした後ハッとしたように大慌てで頭を下げたランスロットは、きっとそのときはが屋根の上にいることで頭がいっぱいだったのだろう。の影響もあるのかもしれないがランスロットもなかなかのやんちゃ坊主だったと、今は立派に騎士団長を務める青年を思い描いて笑みを漏らした。けれどその笑みもすぐ萎む。ランスロットが立派な青年になったように、もまた健やかに成長していることを願っていた。それがどうして、竜じみた容貌となって、行方不明になってしまったのか。王たるもの強くあらねばとは思うが、どうしても年の離れた一人娘を思えば心穏やかではいられなかった。
「まったく、あの子は……いったいどこで、何をしているのだ……」
「……その、ここにいまーす……」
「ぬおうっ!?」
 ひょこっと屋根から逆さまに現れた顔に、妙な声が出てしまう。思わず兵が駆けつけないか確認したが、幸いにも大広間のざわめきに紛れたようだった。ぱたぱたという羽ばたきの音に、カールは目の前の光景が信じられずに固まる。ついさっきまで思いを馳せていた一人娘が、目の前で飛んでいた。
「えっと……お久しぶりです、お父さま」
「……この、お転婆が! いや、お転婆にも程があろう、心配をかけさせおって、この馬鹿者!」
「あいたっ!」
 声量を落として怒鳴るという器用なことをしてのけたカールは、容赦なく愛娘に拳骨を振り下ろす。指輪もしていたために中々の威力を誇る拳骨を受けて、そのまま力無く下がっていく。やり過ぎたかと後悔したが、すぐに飛行能力を取り戻して元の位置に戻ってきたを見て思わず安堵の表情を浮かべた。けれどすぐに表情を引き締めて、涙目のと真っ直ぐに視線を合わせる。
「堂々と、玄関から帰ってこんか! お主を淑女に教育したランスロットが泣くぞ! だいたい十二年も手紙のひとつも寄越さんと思えば、誘拐などされおって……盗み聞きなどしている暇があったらさっさと顔を見せんか、まったくお主は……!」
「お、お父さま、」
「何だ?」
「わたしだって、わかってくださる、のですか……?」
「……この、馬鹿者が!」
 二度目の拳骨に怯えたに与えられたのは、ぎゅうっと強い抱擁だった。
「娘のことがわからん親が、どこにいる……!」
「だ、だって、わたし……その、変わって……」
「変わらんわい! こんな跳ねっ返りが二人といて堪るものか!」
「お、お父さま……」
「他に言うことがあろう!」
「ただいま、帰りました……!」
「うむ、よくぞ戻った……!」
 厳格ながらも優しい父の、疑うことすらしなかったが故の温かい叱責。十二年ぶりのただいまに、親子は涙を浮かべて抱き締め合うのだった。
 
180210
BACK